ドルオタ「俺はお前とは違う」
モ
斜に構えたオタクの心情
部屋の空気はぬるい。窓を開けても、外から入ってくるのは湿気だけだ。
机の上に伏せてあるスマホをひっくり返す。
画面は静かだ。通知は切ってある。振動に支配されるのが嫌だった。
Twitterを開く。時間の流れが変わる。
推しの新しい投稿が一番上に浮かんで、指が止まる。
投稿につくリプライは予想どおりだった。
「尊い🥺」
「供給助かる」
「今日も生きててえらい」
ワードは違っても、どれも似たり寄ったりだ。ちょっと長文を書くアカウントもいる。
気の利いた比喩を差し込み、ハッシュタグを三つ並べ、文末で「これからも応援します」と言うのもいる。
聞こえない拍手の音まで聞こえる気がして、薄く笑ってしまう。
いいねはしない。リプも送らない。
それは俺の習慣であり、理屈でもある。俺は群れない、そう決めた。
決めた理由はひとつだけじゃない。初めのきっかけは小さいコミュニティで一度だけ、流れに合わせて長い感想を投稿したときだ。
数分後、推し本人からの「見たよ〜」が来た。文字から伝わる棒読みでも来ないよりはいいはずだった。
群れの側からはすぐに正体の見えない圧が飛んできた。
「空気読めよ」
「こういうのは重い」
「推しに負担かけるな」
具体的な言葉は曖昧だが、要旨はそういうことだった。
その時は誰にも語らないが、ひどく落ち込んだ。
それから距離の取り方を勉強した。善意を見せびらかさないこと。
気づきのスピードで勝負しないこと。
わかったふりをするなら、わかったふりで通し切ること。
画面に目を戻すと、見慣れないアカウントが目に留まる。アイコンは地味な風景写真。フォロー数よりフォロワー数のほうが気持ち多い。
ツイートはほとんどなく、固定ポストは「推しが好きです」の一行だけ。
そのアカウントが、推しへのリプライを片っ端から「いいね」して回っている。
次々に灯っては消えるハートの色。何かを語るわけでも、画像を添えるわけでもない。他人の感想に頷くように、点を打っていく。
俺はこの動きを何度も見てきたが、いまだに慣れない。
「推しへのリプのいいね」しかしないアカウント。推しのポストではなく、推しに向けられた誰かの言葉を踏んでいく足音が聞こえる気がした。
足音は静かだが、数が揃うと床がたわむ。床なんてないのに、たわみの音が聞こえた気がした。
こういうのが、一番苦手だ。
理由は、たぶん単純だ。他人の感情にただ同意する行為は、思考の無人化に見える。無人化した賛同が集まると、そこに権威のようなものが生まれる。
そういう「尊い」が支配的になる世界では、長い感想は事故を起こす。
俺は画面のスクロールを止め、ゆっくり戻す。
未知のそのアカウントの足跡を辿るように、いいねの点が押された順を目でなぞる。
まずは、推しの体調を気遣う言葉にひとつ。
さらに、あるファンの真面目な長文の末尾にひとつ。
最後に、短く乱暴なワードのものにさえ、ためらいなくひとつ。
選別がない。選別がないことが、ある種の選別に見える。数で押し切る態度。まるで「推しの周辺温度」を積極的に均して回る係。
俺の胸の奥で小さく火が揺れる。火の名前は優越感だ。
「お前とは違う」
このひと言は、声に出すと安っぽくなるので、いつも心の棚の奥にしまっている。
だが今日は棚の扉が少し開いた。扉の向こうの空気がこちらに漏れてくる。
その空気がひどく澱んでいるのは彼は気がつかない。
画面を閉じて机の端にスマホを置く。手は空いたが頭の中は閉じない。
俺は自分の過去を取り出す。距離がうまく設定できなかった頃の記憶は、いつでも再生できるようになっている。
たとえば、初めて現場に行った日の帰りの電車を思い出す。
最前の熱に圧倒され、アンコールのリズムの取り方さえわからないまま、最後尾のドアにもたれていた夜。
駅で別れた群れが笑っているのを、横目で見ながら終電に滑り込んだ。
俺はその時、自分の中で線を引いた。ここは遊園地であって、町内会ではない。入退場は自由であるべきだ。
机に肘をついた姿勢のまま、息を吐く。薄い木造の壁が、わずかに呼吸を返す。
俺の部屋の隣では、テレビか動画の音が低く流れている。
男女の会話、笑い声、料理の皿が重なる音。そういう音に混じって、俺の「お前とは違う」は個人的な呟きになる。
個人的な呟きは俺を落ち着かせる。落ち着かせるが完全には満たさない。その不完全さがまた理屈を育てる。
――距離の理論を頭の中でノートに書くように整理し直す。
一、推しへの反応は、時間差をおく。
二、語彙は減らし、比喩は甘くしない。
三、善意は畳んで持ち歩く。
四、群れのリズムには同調しない。
五、届いてほしいのは「態度」であり「量」ではない。
この五箇条は、俺が俺に課した儀式だ。
儀式は馬鹿らしいと笑えるうちは、まだ正気だ。
再びスマホを手に取り、もう一度だけリプ欄を覗く。
例のアカウントは、まだ点を打っている。速度は一定、迷いがない。
俺はそのアカウントのプロフィールを開き、過去のタイムラインをざっと眺める。
月に一度か二度のポストで短い。季節の挨拶、推しの節目の言葉への感謝、誰かへの返礼が一つ。写真は少ない。飯テロも旅行も、ない。
ここまで空白が多いと、もう少し同情してもいいのかもしれない、と思う。
「お前とは違う」
棚の扉はまた少し開いたままだ。俺は指先でそっと押してみる。
閉まらない。今日は閉まらない日なのだと、納得する。
推しの最新ポストには、風景の写真が添えられていた。キャプションは短く「空が低い」とだけある。
この「短さ」に、俺はいつも救われる。推しの短さは、受け取る側にささやかな仕事を割り振る。
余白を埋めるか、余白の輪郭だけを鑑賞するか、その選択を委ねる。
俺は輪郭の方が好きだ。中身を勝手に塗っていくと、すぐに群れの塗り絵になる。
「空が低い」はとても良い。低い空は世界を縮める。縮んだ世界では動きが少し滑稽になる。滑稽さは俺を守る。
そういう理屈を一通り頭の中で回してから、俺は画面を閉じた。
壁の向こうで、笑い声がひとつ弾んで、すぐにしぼんだ。
時計は見ない。時刻を確認すると、夜が減る。夜が減ると、理屈も減る。
スマホは伏せたまま。画面は暗く、だがどこかで微かな光を吸い込んでいる。
いつでも点けられる距離で、点けないことを選ぶ。
それだけで、今夜はじゅうぶんだ。
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