22話

「肋骨と背骨の本数も多いしですし、骨格も人間と少し違う……いやぁ魔族の方の体は初めて触ったのですが、思っていたよりも興味深いですねぇ!」


 ぺリアによって行われた"採寸"は、当然の如く肩幅や身長を測るだけでは終わらなかった。拘る彼女は手足顔の毛質を調べ上げるだけでなく、接触によって筋肉の量や内臓の位置や骨の形状を把握していく。触れられると擽られているかのようにこそばゆく、指圧が加わると体の内外全てをひっくり返されて調べられているかのようで不安感が湧き上がってくる。

 最高の仕事をしてくれるならと天井や壁のシミを数えて耐えていると、申し訳なさそうな顔をしたぺリウスと目が合った。彼は愛する人の行動で神経を擦り減らしているのか、時折片手を腹の上に乗せて胃痛に苦しんでいる。


「強面で体の大きなクルツさんが着ても不格好にならず、不自然でない洒落た格好となると……うん無い、無いから私が独自の物を作っちゃおう!」


 ペリアは俺の体を調べ上げて既存の衣服では条件を満たせないと判断すると、独り言を呟きながら試着室から出て店の裏手に向かっていった。既に自分の世界に入り込んでしまっている彼女は、3人分の茶の用意をしていたぺリウスの横を通ってもそれに気付かなかった。

 気づいてもらえなかったぺリウスは集中している彼女を呼び止めることはせず、少し寂しそうな微笑みでそれを見送った。本人はそこまで不満を感じていないようだが、傍から見ていた俺からすれば不憫であると感じざる負えない。野郎と2人きりで茶を飲みたくなどないが、このまま彼を放っておくのは少々可哀そうだ。


「気が利くなぺリウス、丁度茶でも飲んで休憩したかったところだ」

「あぁそういえば、前に話していた王陛下の孫娘が見つかったそうですよ。なんでも、魔神教徒から離反した集団が連れ帰ってきてくれたとか」

「普段通りの状態で帰ってきたのか?」

「えぇ、心労からか喋る事は出来ないそうですが治療もされていたとかで怪我一つないらしいです。裏切った魔神教徒達は城の一室を使って一時的な軟禁状態にしているそうですよ」

「それはまた、随分不自然な話だな。弟子が偶然見つけるまで情報を一切漏らさなかったくらいには徹底した統制を行える組織のくせに、そうも簡単に裏切り者が出るものなのか? 襲撃の中途半端さといい、引っかかるところが多いな……」


 空になったコップを手の内で弄び、見落としているものがないかと思考を巡らせる。名前しか判明していない"海月"と呼ばれる指導者は一体何者で、一体何を考えているのだろうか。


「今考えても仕方ないか。ぺリウス、情報の礼に1つ忠告をくれてやろう」

「忠告ですか?」

「そうだ。お前の恋人、ぺリアのことなんだがな。散々"業"に纏わる事件に関わってきた俺の見立てでは、あいつはかなり危うい部類の人間だ。もしも何かが狂えば、人の形を保てなくなるかもしれないから気を付けておけ」

「ぺ、ぺリアが魔族や魔神にッ!?」

「落ち着け落ち着け、そうなることが決まっちまったわけじゃない。ただ彼女の場合はそうなる可能性がそこらを歩いている人間より高いだけだ。余程の事が起こらなければ人のままで人生を全う出来るだろうさ」


 勢いよく立ち上がり椅子を倒した青年に冷静になるように言い聞かせ、飲んで一息つけるようにと彼のコップに茶を注ぐ。


「何か僕に出来ることはないのですか?」

「お前に出来ることは2つある。1つは彼女が妄執に囚われない様に支えてやることで、もう1つは"業"を押し付ける人柱を用意しておくことだ。もっとも、どちらも予防に過ぎないがな」

「解決策は……無いのですか?」

「あるかもしれないが俺は知らん。万物に宿り、万物の在り方を変えちまうような代物に対して人間程度が出来ることなんざ無いのかもしれんな」


 ポットに残った最後の茶をコップに注ぎ、3人分の茶菓子を口にする。

 大口を開けて食事をする俺を見たぺリウスは不安げな表情となった。自分の愛する人が人からかけ離れた魔族や魔物、最悪の場合は魔神になってしまうかもしれないと告げられ、実際にそうなっている俺を見て色々と想像してしまったのだろう。


「まぁ不安になるのも仕方ないがな、あまり考え過ぎるなよ。悩み過ぎたらお前が俺みたいな面になっちまうからな。もし不安で不安で仕方がないってんなら、酒を飲んで美味い物を食って、歌って騒いで楽しく過ごせば気が紛れるからそうしろ。そうだな……一緒に騒ぐ友達が居なくて寂しいなら、俺とナールがお前の奢りで一緒に飲み食いしてやるぞ?」

「クルツさん……ありがとうございます。でもふふっ、僕の奢りなんですね」


 助言と冗談を交えた言葉を聞いた青年はくすりと微笑んだ。俺はそんな彼にそりゃそうだろうと言葉を返し、2人で服が出来上がるまで他愛のない話を続けた。



 黒いズボンを履き白シャツを身に着けた上に革製のベスト着込み、背中側に鉄片を仕込まれた身丈が脹脛まである上着を羽織った格好。火点け時を過ぎ夕食時になった頃合いにぺリアが仕上げたその装いは、まるで毛皮の上に新たな皮膚を纏っているかのように自然に体を包み込み動きを阻害しない物であった。


「暫くの間服らしい服を着ずに過ごしていたのに、違和感や鬱陶しさを全く感じない。それでいて動きを邪魔しないのだから凄いとしか言いようがないな」

「そうでしょう、そうでしょうとも! 骨と筋肉を調べ上げて予測した体の可動域を邪魔しない作りになっていますから、着たままでも戦えると思いますよ! あぁ、その服を着て戦ってるところも見てみたいなぁ……できればあの格好のナールちゃんも一緒だといいなぁ……」

「クルツさんクルツさん。お勘定、今のうちに済ませちゃいましょう」

「そうだな、あれが終わるのを待っていたら夜が更けちまう」


 にやけ顔で妄想を膨らませ続けるぺリアを横目に、ぺリウスは手馴れた様子で代金が書かれたメモ書きを作業場から見つけ出してこちらに手渡した。それに対して俺が記載された代金を革袋から取り出して青年の手の上に載せると、彼は静かに扉を開け放ち小さな声で挨拶を述べた。


「またのご利用をお待ちしております。お気を付けておかえりくださいませ」


 愛する人の貴重な顧客であり、忠告を行ってくれた者であり、そして頼っても良い相手となったこともあってか、彼からは恐怖や偏見が感じられなくなっていた。



「おかえりなさいお師匠様、それが新しい服なのですね! ナールは良いと思いますよ、とっても格好良いと思いますよ!」


 柑橘から作られた甘く爽やかな香りの香水を買ってから家に戻ると、身形を整えた弟子が出迎えてくれた。彼女は渦潮の様にぐるりぐるりと俺の周りを回り、初めて見る服らしい服を着た師匠の姿を眺めている。


「腕の良い職人に作らせたんだ。こいつの出来が良いのは当たり前だろ」

「いえいえ、そういう意味ではなくて――ひゃいっ!?」


 嘘偽りの無い褒め言葉を口にしようとした弟子を捕まえて、耳の裏と手首に香水を振り掛けて発言を遮った。師匠の威厳を保つために、気恥ずかしくなって口角が緩んだ顔を見せるわけにはいかない。


「お、お師匠様……ナールは、ナールは心臓が飛び出るかと思いましたよ!」

「大袈裟だな。その程度で臓器が飛び出すなら、今頃お前の中身は空になってるぞ。そんなことよりほら、支度も出来たしタダ飯とタダ酒を馳走にされに行くぞ」

「はいお師匠様! あっ! お師匠様、お師匠様は胸中が漏れ出してますよ!」

「誰が上手いことを言えと言った。まったく……」


 香水を振りかけている俺に思いついた冗談を言った弟子の頭に弱めの手刀を入れ、丸腰のまま扉を開けて家から出る。まだ不安要素が残っているので棍棒や鹵獲した槍斧を手元に置いておきたいが、夜会が行われる場に長柄の武器を持っていくわけにはいかない。もしも周囲に人がいる状況で何か良からぬことが起こったら、怪力と弟子に頼らざる得ないだろう。

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