16話
「お師匠様お師匠様、これからどうするのですか?」
見つけられる範囲の全て、手を付けられる範囲。その全ての魔神教徒の拠点を焼き払い、人員を殴殺し秘匿していた兵器を処分した後の道中。弟子はこちらの前方に回り込み、後ろ歩きでこちらに顔を向けてこれからの指針を尋ねた。
「北方の"山賊道"を通って帝国領に入る。その後はトロップで宿を借りて、英雄様達が事件を解決するまでそこに滞在する。金が無くなるまでは休暇だな」
「温泉で有名なあの観光地トロップでお休みですか! でしたらでしたら、ナールを観光に連れて行ってくださいますよね? 時間もありますし、いっぱいいっぱい師事もしていただけますよね?」
生まれてこの方娯楽目的の旅行というものをしたことが無い彼女は、帝国を訪れた旅人が必ず足を運ぶ観光地へ赴き余暇を過ごすのが楽しみであるらしい。
「楽しみなのは結構だがその前にほら、厄介事のお出ましだ」
両脇を玉蜀黍畑に囲まれた道を弟子と話しながら進んでいると、進行方向にある村から黒煙が立ち上っているのが見えた。村には老若男女が血を流して倒れており、小さな少年の手を引いて逃げる少女が魚面達に追いかけられている。どうやらあの小さな村は魔神教徒に襲われているようだ。
こちらへと逃げてくる子供達が俺達を見つける前に、弟子を小脇に抱えて玉蜀黍畑に逃げ込む。彼等に見つかれば助けを求められるし、そうなれば否応無しに巻き込まれることになる。赤の他人の為に無報酬で戦うなど勘弁願いたい。
「おおおお、お師匠様! お師匠様!」
「何だ? 何も得られないし、助けな――」
ナールが何かに怯え地面を指差したのでそちらを確認する。するとそこには蜂の巣があり、俺はそれを踏み潰してしまっていた。巣を破壊され怒り狂った蜂達が飛び出そうとしているのだろう、足裏の地面からは羽音が聞こえてくる。
迷っている時間は無い。巣穴から飛び出した蜂から逃れるために、ナールを抱えたまま玉蜀黍畑沿いにある用水路へと向かう。こうなってしまえば見つかるのは必至、ならば致し方ないと濡れてはならない物を放り出し、逃走する子供達を捕まえ共に水の中へと飛び込んだ。
「何者……蜂ィっ!?」
追いつく寸前まで迫っていた魚面達は、蜂の群れに襲われた。襲われた彼等は蜂への対処の仕方を知らないのか水へと飛び込むことはせず、手に持った武器で群がる蜂の群れを払い除けようとしている。
弟子と子供達を抱えて水に潜って1分程経ち用水路から出ると、魚面達は全身が腫れ上がった姿で地面に転がり呻いていた。毒が回っているので放っておけば苦しんだ後に息絶えるであろう容態の彼等は、弟子を焚きつけるのに使えそうだ。
「おいナール、こいつをやれ」
「やれって……もしかしなくても殺せってことですよね?」
「それ以外に何があるんだ? ほら、苦しませ続けてもいいのか?」
「頼……殺しテ……オ願……」
苦しむ魚面を哀れみの顔で見つめていたナールに、止めを刺すように指示していると会話を聞いた魚面達が弟子の足元へと這いずって行き懇願した。
地獄の苦しみからの解放を求められた弟子は、自分がやらねば苦しみ続ける事と自分が苦しむことを天秤にかけた末に決断し、震える手で剣を抜くと刃を振り下ろしていった。一太刀また一太刀と、刀身を振り下ろす度に彼女の双眸からは輝きが失われ、迷いで鈍っていた太刀筋は鋭くなっていく。初めて自らの手を使って殺生を行った彼女の顔は事を終えた時には一人前の傭兵の顔へと代わっており、股座は敵を初めて殺傷した新兵のようにすっかり湿らせてしまっていた。
「あの、助けてください!」
呼吸を整え終えた少女は、俺達が武器を持っていることに気が付くと助けを求めてきた。魔族に襲われたくせにより凶悪な面をした魔族に助けを求めるその姿は、溺れる者が何に捕まってでも助かろうとするのによく似ている。
「助けてほしいか? それなら金を払え」
「えっ――」
「傭兵に命のやり取りをさせたいなら金を払うのは当然だ。無償で殺し合いをしてほしいってんなら、血に飢えた人斬りか人助けが生き甲斐の聖人様でも探すんだな」
弟子と共に魚面から戦利品を剥ぎ取りながら、少年少女に助けは有料であることを告げる。不運な彼等に同情はするが、戦闘を生業としている以上赤の他人に対して報酬抜きで仕事をするわけにはいかないのだ。
「そんな……お金なんて持ってませんよ……」
「払えないなら話はここで終わりだ。村の事は諦めるんだな」
「ま、待ってください! お金は払えませんけど、お金になる物は渡せます!」
「姉ちゃん、それって父さんと母さんの……」
「わかってる。でも、仕方ないの」
少女は立ち去ろうとした俺達を慌てて呼び止めた。彼女は首にかけた何かを握りしめている。指の間から黄金色の光を放っているそれには確かな価値があるのだろうが、手放し難いと思っているようだ。
「どうかお願いします! 私達を、私達の村を助けてください!」
少女は手を開くと、握りこんでいた物を差し出した。紐で繋がれた小さな首飾り、三日月を模した金製のそれには使い古された痕跡があり誰かの形見なのだろうことがうかがえる。成程、手放したくないと思っていたのはそれが原因か。
村や隣人を救うためならばと大切な物を差し出す彼女の心意気と報酬として申し分ない金額で売れそうな首飾り。戦えば友が戦う回数を減らす事にもなるし、寄り道をする理由としては申し分ないだろう。
首飾りを受け取り村へと向かい物陰から様子を見てみると、魚面達が捕らえた村人達を広場に集めて何かの儀式をしている最中であった。屠殺場の子羊のように震える村人達の前には以前壊した物に酷似した像や禍々しい形状の刃物が並べられ、魚面達はその周囲で太鼓や笛を使って不安を掻き立てられる音楽を奏でている。
村人を逃さぬように取り囲む魔神教徒の中には、今までの連中に加えて異質な者達が混じっている。板金鎧を着込んで馬を乗りこなす鯱頭に宝石珊瑚の杖を携える魔術師らしき鱓頭、一目で強者だとわかる彼等の存在が村人達の抵抗する意思を削いでいるようだ。
成す術が無いと思ってしまい、悲惨な末路を想像してしまった村人達は泣き叫び命乞いをするか神に救いを求めることしか出来なくなっている。多少の勇気を与えたとしても戦力にはなってくれなさそうだ。
「お師匠様、あれは何をしているのでしょうか?」
「儀式だって事はわかるが、内容までわからん。魔神に供物を捧げようとしているのか、それとも何かを呼び出そうとしているのか……まぁしようとしているのが何であれ、村人に危害を加えようとしていることだけは間違いないだろうな」
「では早く助けないと、ですね?」
「あぁ、そうだ。報酬を受け取った以上はそれに見合った仕事をしなきゃならん。出来得る限り、可能な範囲で奴らを守ってやろう」
棍棒を握り直し、魚面達に最も近い物陰へと向かう。幸いにも彼等は儀式と村人に夢中で周囲への警戒が疎かになっている。今飛び出して奇襲を仕掛ければ、20人ほど居る内の半数は屠る事はできるだろう。
「お師匠様お師匠様、魔術師の方はどうやって倒すのですか? 炎の魔術を使われたら、この前以上に動けなくなってしまうのではないのですか?」
「……問題ない。"魔術師殺し"を使うからな!」
2つある奥の手の1つ、生石灰が詰められた小さな壺を取り出し杖を持つ魚面の顔面に投げつける。壺は油断していた魔術師に命中し、撒き撒き散らされた粉塵が顔を包み込んでいく。
「アがガヴァ! メガっ! ノどがッ! ハナがッ」
水分に反応して熱や火を放つ粉末が粘膜に付着した魚面は、体内が焼け爛れる地獄の苦しみから聞くに堪えない悲鳴を上げ地面を転がった。余程高位の魔術師でなければ、魔術を発動するには発声を必要とする。呼吸困難となり動けなくなったこいつは無力化したといってもいいだろう。
突如起こった事態を呑み込めず思考が止まった魚面達に棍棒を振るい、包囲の一角に大穴を開ける。村人を逃がす事で混乱が大きくなれば、有利な状況がより長続きする……はずであった。
「無様ニ狼狽エルナ、一歩デモ退ク者ハ殺ス!」
様子を見ていた鯱頭の重騎兵は大声で叫び続ける魔術師を槍斧で叩き潰すと、慌てる魚面達に一喝を入れ、魚面達に後退りする脚を止めさせた。不測の事態に対応出来る冷静さと邪魔であれば仲間であっても殺してしまえる冷徹さを兼ね備えた彼は、暴力と恐怖でもって一瞬のうちに混乱を制してしまった。
死地に進み活路を開かねば確実に殺される。その恐怖に駆られた魚面達は、各々が持つ武器を構えると鬼気迫る表情で襲い掛かって来た。目の前で同胞が棍棒で叩き潰されようとも腹を食い破られようとも怯む事無く向かってくる彼等の勢いは凄まじく、身体に届いた刃によって身を引き裂かれてしまう。
白刃と鮮血が舞う舞踏が終わった時には、俺の体は自他の体液で一色に染まりきっていた。斬り落とされた左腕や傷が再生する感触と歯間を魚面達の肉片が埋め尽くしている感触、激痛と不快感に襲われている。
新しく生えた腕の具合を確かめながら、戦う様を観察していた鯱頭へと視線を向ける。魚面達と共に仕掛けれていれば、首を切り落とすか心臓を破壊して俺を殺すことも出来たかもしれないというのに、彼は動かずただこちらを期待の籠もった瞳で見つめていただけであった。一体何を考えているのやら。
ふと弟子の姿が見当たらない事に気が付いた。物陰からここまでは高い石壁も障害物もないのだから、加勢が間に合わないわけがない。まさか俺の目の届かないところで魚面に殺されてしまったのではないか。そう不安になって幾つかの目で辺りを見渡してみると、鯱頭の背後にある物陰で投石紐を振り回している彼女の姿が見えた。どうやら不意打ちを仕掛けようとしているらしい。
「狼ノ、貴様ノ名前ヲ聞コウ」
「そんなもの聞いてどうする? 呼ばれても狼だからワンとは吠えないぞ?」
ナールが石を飛ばすまでの間、彼女の存在を悟られない様に会話を続けてこちらに注意を向けさせる。彼がどれほどの強者だったとしても、無防備な後頭部に投石を食らえば痛いでは済まないはずだ。
「何者カ知ラネバ、首級ノ価値ガ測レヌ。モシ貴様ガ名ノアル者デアルナラ、貴様ノ首ハ武功ヲ誇ルノニ役ニ立ツダロウ?」
「自己紹介を求めるにしちゃぁ、物騒なことこの上ない理由だな。だがまぁ知りたいってんなら教えてやろう。一度しか言わないから、よぉっく耳を澄ませて聞けよ! 俺の名前は――」
名乗る素振りをし、息を吸い込みながら近づいていく。そして十分に近づいたところで、名乗る代わりに体内の毒袋から猛毒を吐き出し浴びせ掛けた。これは2つある奥の手のもう1つ、この姿になった時に得た体内に貯めこんだ病や毒物を吐き出す力だ。この力のおかげで俺には毒や病が効かず、他者を侵すそれを吸い出して助ける事が出来るが、それは今のところは役に立たないだろう。
油断していた鯱頭は、突如としてされた卑劣な攻撃を躱す事が出来なかった。近くにいる村人が吸い込んでしまう可能性を加味して致死性が低い毒を使用している上に、何らかの毒の対策をされていたらしく効果は無いに等しかった。だがそれで構わない、俺の奥の手は今この瞬間では陽動に過ぎないのだから。
驚きで動きの止まった鯱頭に、ナールは待ってましたとばかりに投石を放った。彼女によって放たれた直径5cm程の石礫は、空を切り裂きまるで導かれているかのように鯱頭の後頭部へと直撃し鈍い音を響かせる。そのはずであった。
「グォ!? オノレ卑劣ナッ!」
弟子の一投は見事に鯱頭の後頭部へと飛んで行ったが、男はそれが命中する直前に上体を逸らして避けた。攻撃に気付いた瞬間に即座に回避の判断をしてそれを成した一連の動作、それを見ただけでも百戦錬磨の英雄である我が友ベーリンと同等かそれ以上の実力があるとわかる。先程あった鯱娘とは違い、少なくとも俺と弟子だけでは勝ち目が無いのが見ただけでわかる。
「そこまでだ! 両者とも動くな!」
鯱頭と俺達師弟が睨み合いをしていると村の外側から声を掛けられた。声の主に目を向けると、鎧を身に纏った育ちの良さそうな青年と無駄に派手な衣服や武具を身に纏った冒険者であろう若者達がそこに居た。恐らくだが、魔神教徒と1戦交えてきたのであろう彼等の衣服は出血や返り血で染まり上がっており魔族である俺や鯱頭に極めて強い憎悪の視線を向けている。
「新手カ。獣ト餓鬼ニ加エテ小者ヲ相手ニシテイテハ遅参スルナ……」
「おい鯱頭、強いのに逃げんのか?」
「安イ挑発ダナ。退ケ、塵共!」
鯱頭は槍斧で進路上を塞ぐ冒険者を蹴散らしながらアルバルドに向かって葦毛の馬を走らせて行った。倒されたのは進むのに邪魔になる者に加えて弓兵や術者といった背後を攻撃出来る者、単純な戦闘能力が高いだけでなく頭の回転も速い。鯱頭は疑うまでもなく恐れるべき相手だ。
「勝てる気がしないな。……行くぞ」
「はいお師匠様!」
戦闘が終わりもう安全だと伝えようと振り返ると、村人達が俺を見て怯えている事に気が付いた。助けられた事への感謝よりも、得体の知れない怪物が目の前に立っている恐怖の方が強いらしく、彼等はこちらが顔を向けようものなら視線に入らぬように四散する。非常に人間らしい反応だ。
「ま、待て! お前は……お前は何者なんだ?」
「そこのガキ共に聞け。俺達はそいつに雇われただけだ」
俺達が立ち去ろうとしていると、何が起こっているのかわからない青年から何者であるのかを尋ねられたので、唯一視線から逃れようとしない2人の子供を指差してその場を後にした。説明は俺達が居ない状態で彼女達の口からしてもらった方が、説得力があるはずだ。
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