12話

 友で作った肉の傘を差し、滴る赤で染まった布地を小波さざなみの様に揺らす少女が笑う。黒目が赤く、白目が黒く染まった彼女は背後の館に火を放つと、雑多な槍で地面に磔にされた俺へと近づき囁いた。


「これで私を忘れられないよね、先生?」


 悪魔のような微笑みを浮かべた少女は恋敵から奪った香水の残り香を残し、隙だらけの背中を向けてゆっくりと去って行く。後ろに残した男が自分を追いかけず、愛する人を救うべく燃え盛る館の中にかけていくのがわかっている少女は、復讐心を煽る為に俺とケイが好んでいた歌を口遊んでいた。


「お師匠様、朝ですよー。今日はナールの服を取りに行く日ですよー!」

「っ――!!」


 高揚した声を上げる弟子に体を揺らされたことで、悪夢から目を覚ますことが出来た。毎夜再体験させられる記憶の所為で、鼓動が聞こえるくらいに早まり既に塞がった傷跡が痛んでいる。

 魔神"大火"となった1人の孤児が目論んだ通り、俺は彼女を忘れることは出来ておらず復讐心と苦悩に苛まれ続けている。彼女の細い首を圧し折って息の根を止めなければ、悪夢を終わらせることは出来ないだろう。


「すごい汗ですが、大丈夫ですか? ナールがお水を持ってきましょうか?」

「大丈夫だ……こいつを飲んで少しすれば落ち着いてくる……」


 心配するナールの提案を断り、近くにあった蒸留酒を胃袋へと流し込む。このまま時間が経つのを待って酔いが回ってくれば、この苦痛は収まるはずだ。それまでの時間は、貴族街に入り込むための変装をする時間として使ってしまおう。

 安楽椅子から立ち上がり、朽ちかけの床板を外して隠してあった棺桶を取り出す。長らく表に出していない黒塗りのそれには、錆び付いて機能を失った鍵が付いている。開けるには壊してしまうしかない。


「お師匠様、それは何ですか? なぜ棺桶に鍵があるのですか?」

「こいつは勇者が俺を放り込めるようにと作っておいた代物だ。もっとも先に死なれて使い道が無くなっちまったから、今となっちゃただの箱だがな。鍵は見ての通りで盗難対策だ」

「中には何が入っているのですか?」

「見ていればわかる」


 脆くなった錠前を引き千切り、棺桶の蓋を開ける。中に入っているのは武具一式と振り香炉。人間が身に付けるには大き過ぎる鎧兜と7尺近い長さがある鉄製の金砕棒、そして刺々しい突起と血錆の付いた振り香炉だ。


「お師匠様の武具とこれは……」

「ケイが使っていた振り香炉、二つ名の元になった武器だ」

「武器……えぇっ!? 武器として使ったのですか!? これって祭具ですよね!?」

「本来はそうなんだが、あいつはこれをフレイルの様に振り回して敵に叩きつけていたんだ。あまりにも血生臭い使い方をしてたんで、伝えられてはいないがな」


 棍棒と鎧兜を取り出し、棺桶の蓋を閉じる。誰にも渡すわけにはいかない形見が入った棺桶は元の場所に戻し、床板で封をする。こうしてしまえば如何なる盗人も見つけ出すことは出来まい。


「流石"火薬樽"の作品だ。長年放置していたってのに錆が少ないな」


 長年放置していた武具は、保存環境が劣悪だったというのに腐食に耐えていた。鉄片を繋ぎ合わせて鱗状にした鎧も、頭の上半分を覆う威圧的な意匠が施された刺々しい兜も、弟子よりも重い鉄製の棍棒も実用に耐えうる保存状態だ。


「どうだ、これなら護衛役として買われた奴隷に見えなくもないだろう?」

「おぉ! 確かに見えなくもないですね! ……でもお師匠様、お師匠様を知ってる衛兵さんに会ってしまったら、背格好で変装が露見するのではないのですか?」

「貴族街を警備しているのは貧民街に足を踏み入れたことのないような騎士団員とその見習いだけで、俺の顔を知ってるような衛兵は一人も居ない。隣に身形を良くしたお前がいれば、疑われることすらないだろうさ」


 完全武装の師を見て率直な感想と疑問を述べた弟子に証文を渡す。小銀貨1枚をかけて作った特注の一張羅に身を包んだ弟子を連れていれば、警備の者に止められることなく壁の内側にある貴族街に侵入できるだろう。


「そんなことよりも、こいつの解読が予定の半分しか終わっていないことのほうが問題だ。伝令が運ぶ密書より強固な暗号を使って守られているのだから、さぞ重要なことが書かれているんだろうが……」


 机の上に置いてある本を手に取り睨みつける。憎たらしいほどに出来が良い暗号を作り上げた連中は、幼子の指を集めて邪悪な像を作り上げる連中だ。きっとこの国を引っ繰り返すような謀略を巡らせているに違いない。場合によっては、あの赤狐の様に比較的に居心地の良いこの国を離れねばならなくなるかもしれないだろう。



「お師匠様、見てくださいよお師匠様!」


 袖口をフリルで飾られた白色の長袖シャツとスリットの入った黒いスカートに身を包み、洒落た金属の飾りがついた革靴を履いた弟子が嬉しそうに飛び跳ねる。一本に纏められた後ろ髪が揺れ動き、それに扇がれ起こった風がラベンダーの香りを運んでくる。

 彼女は服屋に着いてからぺリアと試着室に入っていくまで不機嫌だったが、今は耳は後ろに倒して千切れそうなほどに尻尾を振っている。ご機嫌のようだ。


「似合ってますか? 似合ってますよね?」

「あぁ、似合ってるな。剣を携えていてもまったく違和感がない」

「でしょうとも、でしょうとも! でも見栄えだけじゃないんですよ! 蹴りを打ちやすいようにスカートにはスリットが入っていますし、革靴にはナイフを仕込めるようになっ――」


 ぺリアはナールのスカートを少しだけ摘まみ上げ、俺に自信作の革靴を見せようとしたが、弟子の鋭い蹴りを顎に食らった。幸いなことに舌こそ噛まなかったが、泡は吹いて気を失っている。


「やっぱりナールはこの人が嫌いです」

「すみません……。あぁそうだ、ちょっと待っていてください」


 ぺリウスはナールに一言詫びると、気を失った変態を引きずって店の奥へと下がり一人で戻って来た。戻って来た彼の手には皿があり、それには硬めに焼かれたワッフルとジャムが乗っている。


「先程焼きあがったものですが、如何でしょうか?」

「お師匠様?」


 皿を差し出されると、弟子は唾を飲みこみこちらを見上げた。彼女には「店以外で出された物は極力口にするな」と教えているので、眼前の美味そうな菓子を食べる許可を求めているのだろう。溜息をつき食っても良いぞと手振りで示すと、彼女は皿を受け取り口にした。


「ふむ……やはり……」


 栗鼠の様に頬を膨らませ、幸せそうな表情をしているナールの顔をぺリウスはじっと見つめて考えこんでいる。どうやら何かを思い出そうとしているようだ。


「何ですか?」

「ナールさんは、私が知ってる方によく似ているなぁと思いまして……」

「似ている人が居るのですか?」

「リッセル卿の御息女にアンナ様という方がいらっしゃいましてね。もしかして血縁があるんじゃないかと思ってしまうくらいに雰囲気が似ているんですよ」


 そう言いながらペリウスは弟子から皿を受け取る。彼は綺麗に完食され空になった皿を見ると、少し微笑み会計用の台の上に置いた。


「艶やかな白髪に真珠の様な肌、澄んだ空の如き青い瞳を持つ白狼の獣人。見た目は全然違うのに、何処か不思議と繋がりがあるように感じるのですよ」

「気の所為ではないですか? 世の中には自分と似ている人が3人は居るって言うくらいですし」

「そう……ですよね! いやぁ変なことを言って申し訳ありませんでした」


 弟子にもっともなことを言われたぺリウスは、恥ずかし気に頭を掻いた。しかし、人形師という繊細な目を必要とする仕事を行う彼が似ていると思ってしまったのだから、アンナという御令嬢が弟子と共通点を持っているのは間違いない。一体それは何なのだろうか。

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