鋼色の短編怪談集
羽鐘
水辺にて
「ここら辺だったと思うんだけど……」とヨシアキはブツブツ言いながら、車をゆっくり走らせている。
僕は微かな記憶をたどりながら、「あっちの角じゃなかったっけ?」と、岸壁の一角を指差すと、ヨシアキはそこへ車を向けて停めた。
僕とヨシアキは、大学のオカルト研究会に所属していた。
所属メンバーの中で僕たちは妙にウマが合い、気が付けばよくつるむようになり、週末の夜は大概二人で心霊スポット巡りをしていた。
とはいえ、僕らには霊感なんてないし、絶対出ると言われるスポットや危険と呼ばれているスポットを巡り回ったけど、結局雰囲気が不気味なだけで幽霊なんて見たことがなかった。
なんとなく飽きがきていたこの日は、研究会の先輩に教えてもらった心霊スポットである地元の港を選んだ。
「この港の一角は自殺者が多く、その人たちが生きる者を羨み、妬んでいる」
先輩はそう話したが、そこまでの話だったらこの世の中に掃いて捨てるほどある。
しかし、この話のもう一つの特徴があった。
「生きる者を道連れにしようと、死者の肉体が海から現れる」
先輩が声を抑えながら話した脅し文句が、僕は頭から離れなかった。
それはヨシアキも同じらしく、僕らは土曜の夜にその港に行ってみることにしたのだ。
風が微かに唸る音だけが聞こえ、波が岸壁に打ち付ける音が、やけに生々しく耳に響いた。
潮風は生温かく、錆びた鉄と、言いようのない生臭い匂いが混ざり合っていた。
「しっかし、死者の肉体ってなんだよ?もしかしたら水死体とか?」
「わかんねぇ。本当に自殺する奴が多いなら、水死体かもな」
「そうだとしたら、幽霊じゃなくても怖ぇな……」
「まぁ、そんなことないだろうけどな……」
僕とヨシアキは、そんなことを言いながら、車のトランクから懐中電灯を取り出した。
幽霊が出るのは岸壁の角らしいので、僕はその辺りに向かい、暗い海に光を当てた。
風に揺れる水面がキラリと光る。
何か、それらしいものがないものかと、ほんの少しだけ海面を覗いた。
仄暗い水面だけがある。
僕は目を凝らし、何かないかと探す。
赤いビットの横に立った時だった。
突然、ポンと背中を押され、僕は半歩だけ前に体勢を崩した。
「おい、押すなよ」
僕は笑いながら振り返ったが、後ろには誰もいない。
ヨシアキは僕から2m離れたところに立ち、僕を見ている。
「ん、どうした?」
ヨシアキが僕を見て不思議そうにしている。
「いや、誰かに背中押されたような気がして……」
「怖いこというなよ」
「いや、怖いところに来てて、それはないだろ」
「確かに」
僕は、あえて冗談っぽく話した。僕自身、見えない何かに背中を押されたとは思いたくなかったからだ。
冗談めかして話はしたものの、背中には未だに、掌を押しつけられたような生々しい感触が残っていて、僕は、その感触を必死に気のせいだと打ち消そうとした。
その後、僕らは岸壁沿いに懐中電灯で足元を照らしながら歩いた。
やっぱり何も見つからない。僕が背中を押されたのも気のせいだろうと思いかけていたとき、ヨシアキがよろめいて海に落ちそうになった。
「おっと、押すな……って、誰だ?」
「どうした?」
「いや、俺も今背中押されたんだ……」
ヨシアキの顔が、少し青ざめていた。
そして、僕は、ヨシアキが背中を押された場所が、僕がよろめいた赤いビットの横だと気づいた。
「俺も、そこで背中を押された」
「おいマジかよ……もしかしたら何かあんのか?」
ヨシアキがよろめいた先の海面を懐中電灯で照らし始めたので、僕もおそるおそる横に立ち、光りを向ける。
最初に見たときにはわからなかったが、よく見ると、海の中になにかある。
それが何かまでは暗くて判別できないけど、確かになにかある。
二人でしばらく見ていたけど、結局それが何かわからなかったので、僕らは明日の朝、出直してみることにした。
普段だったら、もう一度行こうとは思わないけど、僕らはどうしても背中の感触が忘れられず、海中に何かあるか見てしまった以上、確認せずにはいられなくなっていた。
―――
翌朝。
僕らは、昨夜の岸壁の赤いビットの横に立っていた。
「いったい、なんだろうな?」と聞いてくるヨシアキに、僕は、自分の願望も込めて「きっと気のせいだと思うよ」と答えた。
でも、僕の願望も虚しく、僕らの目には海中2mくらいに沈んでいる車が見えた。
「お…おい、け、警察に電話しろ」
僕より少し早く我に返ったヨシアキに急かされ、僕は110番に電話した。
横で慌てているヨシアキを横目に、僕は警察に事情を説明していると、僕らの後ろに1台の 軽自動車が停まった。
「何かあったんですか?」
窓ガラスを開けて聞いてきたのは、40代くらいの女性だ。ヨシアキの慌てっぷりを見て声をかけてきたようだ。
「い、いや、車が沈んでるんですよ、そこに」
ヨシアキはパニックになっているのか、片言の日本語のようになっている。
「まさか……」
慌てた様子で車から出てきて、僕らの横で海を見た女性の顔がみるみる青ざめた。
「サトコ……何で……」
女性が両手で口元を押さえていたが、間違いなくそう言った。
「えっ?」
「あの車、私の友達のなんです……何か友達に呼ばれたような気がして来てみたら……」
女性の声はかすれ、最後は聞こえなくなった。
ほどなくして警察や消防が到着して、僕らは事情聴取を受けた。
僕らは幽霊見たさにここに来たとはとても言えず、何となくぼやかして説明した。
女性は泣いて泣いて話ができない状態だった。
―――
あの日以来、僕はオカルト研究会の活動をしなくなった。
ヨシアキは初めての心霊体験に興奮し、再三僕を新たな心霊スポットに誘ったが、僕はすっかり気持ちを失ってしまい、僕らはいつしか疎遠になった。
あの日から4年が経ち、就職で地元を離れていた僕は、あの日の記憶が薄れ、あの妙な恐怖を忘れつつあった。
それなのに、久しぶりに帰省した僕は、まるで何かに呼ばれたかのように、あの日の岸壁へと車を走らせていた。
岸壁は、あの日から時が止まったかのように、同じ景色を僕に見せてくる。
よく晴れた、気持ちのよい朝の風景。
霊的なものをイメージさせない、清涼な空気が僕を包んでいることに、僕は安心感を覚える。
あの日の女性は今、何をしているんだろう?
ヨシアキは、元気だろうか?
そんなことが脳裏に浮かぶなか、あの日、僕らが沈んでいる車を発見した岸壁の一角に向かってみると、赤いビットのそばに、釣竿を持った中学生くらいの男の子が二人、海を覗くようにして立っていた。
ただ、その表情は釣りに興じているというよりは、何かを恐れているかのように強張っていた。
「何かあったの?」
僕は車の窓を開けて男の子に話しかけた。
「あ、あの、車が海に沈んでいるんです」
全身から血の気が引いたような白い顔の男の子が、僕に助けを求めるような眼差しを投げ掛けてくる。
「まさか……」と、僕は呟いたけど、その後の言葉が出てこない。
僕自身、背筋が凍るような感覚だった。
たまたま思い出した記憶の扉が開いた瞬間に、あの日と同じことがあるだろうか?
そんな疑念がよぎるなか、僕は車を降りて、海を覗き込む。
僕は、自分が見たものを信じることができなかった。
よく見ると、車体はひどく錆び、フロントガラスは粉々に砕け散っていた。
そして、助手席の窓には、まるで何かを引き裂こうとしたかのように、内側から付けられた無数の爪痕が残されていた。
「ヨシアキ……何で……」
そう呟いたけど、それでも僕は、海に沈んでいるのが、ヨシアキの車だとは信じることができず、その場に立ち尽くすことしかできなかった……
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