第13話 俺のもの

「俺に幻滅したか?」


 犬たちに乗っての帰り道。黙っているエリーゼに、ギルベルトが不意にそう切り出した。


「えっ、別にしていませんけれど、どうしてです?」

「お前の態度がそう見えた。……今も黙っているから、俺と話すのが嫌で、俺の存在が疎ましくなったのではないかと思った」


 表情はわからないが、どこか思いつめたようにも聞こえ、エリーゼは驚いた。


「そんなこと、思うはずがありません。……黙っていたのは、何だか疲れてしまって……たぶん、初めてあなた以外の悪魔を見たり、人間の醜い欲を目の当たりにしてしまったからだと思います」


 刺激が強すぎたのだ。


「ギルベルトが悪魔祓いをしていると聞いても、悪魔が悪魔祓いすることには少し違和感というか、おかしさは感じましたけれど……でも、よくよく考えてみると、小さい頃からそんなふうにして収入を得て、きちんと領地経営の資金にしているのですから、すごいなと思いました」


 ギルベルトの母親は彼が幼い頃に亡くなり、父親も後を追ったという。残された彼は自分にできることで領地を切り盛りしてきたのだ。エリーゼが彼の立場だったら、絶望して何もできなかったと思う。


(ううん。できない、っていうより、ギルベルトはできるようにしなければならなかったんだわ)


 前へ進むしかなかったのだ。そんなふうに考えると、彼を非難するような気持ちは一切わかなかった。むしろ尊敬する。


「あなたは、すごい人なのですね」

「過大評価しすぎな気もするが……悪く捉えていないなら、いい」


 後ろから抱きしめているギルベルトの抱擁が強くなった。


(ギルベルトも不安になったりするのかな)


 エリーゼは心配しなくていいと伝えたくて、お腹に回されている腕をそっと撫でた。


「それにわたし、もともと降霊術で母を呼び出そうとしていた王女ですよ? ギルベルトを恐れたりなんてしません。どちらかというと、あなたに呆れられる立場だと思います」

「俺がお前を呆れる? お前にはお前の願いがあったんだろう。それを嗤ったりはしない」


 予想とは違って真面目に答えられる。


「ああ、でも呼び出されて今にも死にそうだったのは驚いたな。あと降霊術と悪魔召喚を間違えたこと。さらに幽霊たちの見た目に驚いて半分悪魔の俺に隠れたことや――」

「もういいです!」


 やっぱり意地悪だ! とエリーゼが怒ると、ギルベルトはくすくす笑いながら、甘えるようにエリーゼの肩に顔を埋めてきた。少し密着しすぎな気もするが、マルガは今はいないし、たまにはいいかとエリーゼは見逃してあげることにした。何より――


「エリーゼ。お前といると、退屈しない」


 ギルベルトからもっといろんな言葉をもらいたかった。


(やっぱりわたし、我儘になってる)


 自分ばかりが欲しているだけではだめだ。彼にも何かしてあげたい。

 そうした気持ちは、以前よりもずっと強くなっていた。


     ◇


 後日。ギルベルトが悪魔祓いした男性は、彼の言いつけ通りオルバース領の最北に位置する修道院の門前に金貨がたっぷりと入った麻袋を置いていったそうだ。


「これで、しばらくの間は大丈夫だな」


 クリークたちに乗ってオルバース領以外の土地を見回っていると、幽霊を見える人間にも遭遇し、城で働かないかと勧誘し続けている。やはり普段見えないものが見えると、生活や人間関係にも支障をきたすのか、誘われた人間はけっこう承諾してくれる。お陰で料理人や庭師など、生きている人間が城に増えてくれて、幽霊たちも嬉しそうだった。


「アンネ、ここの隅が汚れているわ。ニキ! そんな泥だらけの格好で屋敷に上がってこないで!」


(マルガもすっかりメイド長ね)


 次々と雇われる新人たちをどの職に就かせるか、エリーゼはバゼルやパウリーネの他にマルガの意見も大いに参考にするようになった。それだけ彼女はもはやこの城になくてはならない存在だ。もちろん、それは他の人間や幽霊たちにも言える。


「エリーゼ。今暇か?」

「今ですか? はい。何かご用ですか?」


 執務室にいたはずのギルベルトに声をかけられ、エリーゼは椅子から立ち上がる。ちょうど帳簿の確認が終わったところだった。


「少し散歩に行かないか」

「ええ、いいですよ。でも、クリークたち、今の時間帯はお昼寝をしている最中なのでは?」


 彼らは昼は寝ていることが多く、夜に長く散歩の時間を取ることが多かった。


「いや。クリークたちの散歩じゃない」

「では馬に乗って?」


 ギルベルトは少し笑った。


「庭を歩くのは散歩とは言わないのか?」

「あ、そちらでしたか」


 てっきり犬たちや馬に乗って……と思っていたので、恥ずかしくなる。


「でも、ギルベルトと普通に庭を散歩するなんて、今までありませんでしたもの」


 間違えるのも無理ないではないかと言い返してみる。

 ギルベルトも自覚があったのか、それもそうだなと頷いた。


「だから、たまには普通のことをしてみようと思ったんだ。嫌か?」

「嫌なわけありません」


 嬉しいです、とエリーゼはギルベルトの手を取った。彼は目を細めて、では行こうとエリーゼを庭へ誘った。


 オルバース公爵家の庭は太陽の優しい光に照らされて――はおらず、今日も今日とてどんよりとした厚い雲に覆われていた。曇りとはいえ紫外線には常々気をつけるようマルガに言い含められているので、エリーゼは可愛らしいレースの傘を片手に散歩を楽しむ。


「庭師のニキが、太陽の光があまりなくても育つ花を植えて、公爵家を立派な花畑にしてみせるって意気込んでおりましたわ」

「ほぉ。それは楽しみだな。そういえば面接の時、地獄の植物に興味があると言っていた。今度持ってきてやろうか」

「それは……一度マルガに相談した方がよろしいかと……」

「女主人はお前だ。お前が育てたい、見たいと言えば、マルガも従うはずだ」


 そうでなければ許さない、と遠回しに言われた気がして、エリーゼは眉を下げて微笑む。


「わかっています。でも、やっぱり一緒に暮らしていくなら、他の人たちの意見も聞いておきたいのです」

「……お前は優しいな」


 優しいのだろうか。ギルベルトの足が止まり、エリーゼの手を取った。


「ギルベルト?」

「エリーゼ。まだ、死んだ母親に会いたいか?」


 エリーゼはどきりとした。


「もしかして……会う方法が見つかったのですか?」

「そうだ、と言ったらどうする?」


 エリーゼは頭をガンと殴られたような衝撃を受ける。以前ギルベルトは降霊術は難しいと言っていた。エリーゼの母親である魂をこの世に呼び出すには時間がかかるとも。だからエリーゼは方法が見つかる間、ギルベルトの婚約者として振る舞うことを決めたのだ。


(でもお母様に会えるのなら、もうギルベルトの婚約者でいる必要はない?)


 そう考えたとたん、泣きそうな気持ちになり、胸が痛くなった。


(だめよ、エリーゼ。我儘を言っては)


 そうだ。母に会えるのなら、死んでもいいと思っていたじゃないか。

 今までが夢みたいなものだったのだ。


(きちんとお別れして、今までのお礼を、言わなくちゃ……)


 バゼルやパウリーネ、幽霊たちにもお礼を伝えなくてはいけない。

 マルガや新しく来てくれた人たちにも……。


「あの、ギルベルト、わたし……」


 ありがとう、とお礼を言って別れを告げなければならないのに、エリーゼの唇は震えて、言葉が出てこなかった。どうして、と焦る。最後くらい、きちんとしたいのに。


「エリーゼ」


 ふわりと慣れ親しんだ香りと温もりに包まれる。エリーゼはギルベルトに抱きしめられていた。彼はエリーゼを優しく抱き寄せながら、静かに問いかける。


「なぁ、エリーゼ。今のお前の、嘘偽りない気持ちを俺は知りたい」


 教えてくれないか? と優しい笑みと共に問われ、エリーゼはもう我慢できなかった。


「わたし……あんなにお母様に会いたいと思っていたのに……会えるなら、死んでも構わないと思っていたはずなのに……今は、そうじゃないんです」

「もう母親には会いたくないのか?」


 首を横に振る。会えるのならば、会いたい。今も恋しい気持ちはもちろんある。でも。


「わたしの命と引き換えに会おうと思うと、躊躇いが生じるんです。わたしはまだ……生きていたい」


 マルガやパウリーネたちとお菓子やドレスのことで楽しくお喋りしたい。もっとこの城を、オルバース領を賑やかにしたい。クリークたちにも乗って、いろんなところを駆け巡ってみたい。まだ知りたいことや、やりたいことがたくさんある。


(もっと――)


「ギルベルト。あなたと、一緒にいたいのです」


 だから母に会うことは望めない。まだ死にたくない。


「ごめんなさい。約束を破ってしまって」


 眦から涙が溢れて、頬を伝う。その涙をギルベルトの指先が拭い、唇がそっと触れた。額や頬にも触れるような口づけが落とされ、エリーゼはきゅっと目を瞑った。


「お前からその言葉が聞けて、よかった」


 目を開けると、少年のように嬉しそうに笑みを浮かべるギルベルトの顔があった。


「ギルベルト……怒って、いないのですか?」

「怒るはずがない。お前は、死者の魂を望むより、今を生きることを選んだのだから」


 嬉しいんだ、と彼はエリーゼの頬を大きな掌で包み込むと、頬をすり寄せた。


「ギルベルト……」


 彼が本気で嬉しがっているのが伝わってきて、エリーゼは胸がいっぱいになる。何も言えないまま涙をぽろぽろ零して、くしゃりと笑った。

 彼女のそんな表情を見てギルベルトが耳元で囁く。


「エリーゼ。婚約者としての証を、お前に刻みたい」

「えっ?」


 婚約者としての証を刻む?


「どういう、ことですか」

「お前のこの小さな手に、いや、細い首に……」


 ギルベルトがエリーゼの手を取り口づけを落とし、首に視線をやった。


「俺のものだという印を付けたいんだ」

「印を……刻む……それって、痛いのですか?」


 ギルベルトがくすりと笑い、いいやと答えた。


「少しチクリとするくらいで、刻まれたあとも痛みはない。結婚するまでの間で、もしお前に何かあった時のために……そうだな、例えばお前の血が印に触れた時、俺に異変を伝えてくれる」

「……なら、いいですよ」


 あっさりとエリーゼが許可したことでギルベルトは目を丸くした。


「本当にいいのか?」

「いいですよ。……なぜ驚くのですか。あなたが言い出したことでしょう。いいですよ。やめてもいいんですよ」

「いや、やめない」


 拗ねたエリーゼを真剣な顔で止めて、ギルベルトはありがとうと律儀に礼を述べてくる。

 いつになく真面目な態度にエリーゼも緊張してきた。


「で、どこになら付けていいんだ?」

「えっと……どこでもいいですけれど……ギルベルトの、刻みたい場所に……」

「首でもいいのか?」

「……ごめんなさい。やっぱり首は恥ずかしいので、掌にしておいてもらえると助かります」


 印がどういったものかはまだわからないが、ドレスを着る際など、見られるだろう。マルガに見つかったら絶対に小言を言われるだろうし、誰かに見られてしまう可能性も考えれば、首はやはり恥ずかしかった。


「わかった。じゃあ、掌でいいか? 手袋などすれば、そう簡単には見えないだろう」

「そう、ですね。はい。では、掌でお願いします」


 ギルベルトはエリーゼの左手に唇を寄せ、そっと口づけを落とした。

 刹那、針に刺されたような小さな痛みに襲われる。


「できた」

「もう、ですか」

「ああ」


 ほら、と言うように手の甲をひっくり返されて、掌を確認させられた。

 赤い刻印は、薔薇の模様に見えた。


「……なんだか、お洒落ですね」

「これでお前は、俺の婚約者だ」


 低い声で告げられた宣言に、エリーゼはなぜか頬が熱くなる。

 掌にもじんわりとした熱を感じ、隠すように胸の前で握りしめた。


「ど、どうして突然こんなことを言い出したのですか?」

「突然じゃない。ずっと前から考えていた」


 初耳だった。


「身体の一部に印を刻むということは、女性側からすれば、重い覚悟を伴うだろう。だからお前の意思を今一度きちんと確かめておきたかったんだ」

「……もしわたしが、母に会いたいと言ったら……死んでも構わないと言ったら、どうしていたのですか?」


 ギルベルトが片眉を上げた。面倒な女と思われただろうか。


「その時は死なないよう会わせるに決まっているだろうが」


 何を馬鹿なことを、当たり前のことを訊くのだと言いたげなギルベルトの態度に、エリーゼは待ってくださいと確認する。


「では、別にわたしの命を差し出さなくとも、ギルベルトはお母様に会わせてくれるつもりだったのですか?」

「そのつもりだが?」


(そんな!)


「……お前、俺が婚約者の命と引き換えに願いを叶える、そんな血も涙もない男だと思っていたのか?」

「だ、だって、降霊術ってすごく大変だってギルベルトが言っていたから、だからわたしの命を上げるくらいしないと対価としてつり合わないと思って……」

「他の人間はそうだが、お前は別だ」

「そ、そんな……ではさっき、なんであんな尋ねた方をしたのですか」


 今まで見たこともない深刻な顔で問われれば、今生に別れを告げる準備はできているかと考えるに決まっている。


「それは単に、今のお前の気持ちを知りたかっただけだ」

「紛らわしいです!」

「そう怒るな。だが、俺に命を取られないとすると……母親に会いたいか?」


 エリーゼは一瞬口を噤んで、答えた。


「いいえ。もう、いいのです」

「遠慮するな」


 違います、とエリーゼは困ったように微笑んだ。


「あの時は追いつめられていたせいでもあるんですが……周りがよく見えていませんでした。……死んだ人をこの世に呼び戻すことは、やはりしてはいけないことだと、今は思うのです」


 母がこの世ではない遠い場所で眠っているのならば、そっとしておこう。

 それが自然の道理だとエリーゼは改めて思う。


「それに、わざわざ呼び出して確かめずとも、母はわたしのことを愛しています」


 母は姉のローデリカや他の兄姉たちのことも、とても可愛がっていたという。

 きっとエリーゼのことも同じように愛していたはずだ。


「だから、その願いはもういいのです」

「……そうか」

「はい。ギルベルトには、いろいろとご迷惑をおかけしました」

「いや、いいんだ。お前の言う通り、母親はお前のことを愛していただろう」

「……ギルベルトのお義母様も、そうでしたか?」


 家族のことを訊かれて、ギルベルトは意外だったのか、何度か目を瞬いた。

 もしかして訊いてはいけなかったかと後悔しかけたが、彼は「ああ」と当時を思い出すように表情をいくらか和らげた。


「厳しい人だったし、父に対しては蠅でも見るかのような眼差しで接していたが、俺やパウリーネたちには心がこもっていた」


(息子であるギルベルトのことは、愛していらしたのね……悪魔の心まで奪ってしまった女性……どんな人だったのかしら)


 隣国の王女だったと言っていたので、気品ある美しい人だったに違いない。

 容姿だけでなく、心までも。だって悪魔が惚れるくらいのだから。


(これからもギルベルトの婚約者であるのだから、今一度、きちんとお墓参りしたいわ)


 そこで、エリーゼは自分の家族にも思い至った。


(わたしも、そろそろ家族と向き合わなくちゃ)


 今まで目を逸らし続けていたが、ギルベルトと生きると決めたのならば、やはり正式な手続きを踏んで、きちんと妻になりたい。


「エリーゼ?」

「ギルベルト。王家と連絡を取ることは、可能ですか?」


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