世界が女で満ちる前に―坂口巴
グレ3/14
長崎の生活
第1話
日本、長崎地方、1590年
赤子の泣き声が城の大広間に響き渡った。
領主は新生児を腕に抱き、目に見えて喜んでいた。
「息子だ、跡継ぎだ……やっとだ! ありがとう、薫。お前は妻になるにふさわしい。」
出産を終えたばかりの若い女性は疲労困憊しており、侍女たちが汗を拭きながら世話をしていた。
領主の側近たちは小声で囁き合い、扉のそばに立つ一人の三十歳の女性へと同情の眼差しを送った。
巴――領主の正室である。
夫が息子を熱望していることは、誰の目にも明らかだった。
若い女がその願いを叶え、しかも正室に昇格した今、巴の立場は揺らごうとしていた。
皆、領主のご機嫌を損ねまいと、失脚する女から距離を置こうとしていた。
新しい父親の上機嫌は、妻に向き直った途端、怒りへと変わった。
「巴、お前は娘しか産まなかった。何度も抱いたのにどうだ? 十一人もの子をもうけながら、一人も跡継ぎを産めぬとは。女として失格だ!」
その言葉を吐いた男は、白髪交じりで五十に近づいていた。
「やはり家臣の言うとおり、若い妾を迎えて正解だった。」
彼の視線は、まだ若い一人の家臣へと移った。
「安富よ、お前の娘を誇れ! 最初の出産で息子を授けてくれたのだ。女としての価値を示した。必ず良き妻となろう。お前への褒美も忘れぬ!」
巴の背筋を冷たい汗が伝った。
夫が怒りに任せて暴力を振るう性分であることを、彼女はよく知っていた。
必死に心を抑え込み、顔に感情を出すまいとした。
――自分は処刑されるのだろうか。
「巴、もうお前の顔など見たくない。長きにわたり、我が名に恥をかかせた。これよりお前はもはや我が妻ではない! お前を捨てる。お前もお前の子らも、我が姓を名乗ることは許されぬ。お前の恥は川口家の名を汚すがよい。
お前たちはもはや存在せぬ。歴史はお前の惨めな生を忘れ去るだろう。」
しかし、それが全くの逆となるとは、この男は夢にも思わなかった。
十一人の子を抱え、末の子がまだ三歳という状況で一人になることは、死よりも過酷な宣告だった。
だが巴は、幾度もの出産を経て常人離れした強さと意思を身につけていた。さらに、家伝の秘薬のおかげで体力もすぐに取り戻していた。
「十一人もの子を産んだのだ、努力は認めてやろう……生きることは許す。
明日、お前と娘たちは日没までに城を出よ。二度と戻ることは許されぬ。」
安富は勝ち誇った笑みを浮かべて巴を見つめた。
巴は頭を下げなかった。
無表情を装いながらも、胸の奥では安堵していた。
ここ数年、己の体を限界まで酷使したのは、ただ夫に男子を与えるためだった。
彼女は様々な媚薬を試し、また子宝や精力を増す薬を研究していた。
そのせいで双子や三つ子を含む幾度も難産を経験したのだ。
「仰せのままにいたします、ご主人様。」
これからは、男子を産むためでなく、娘たちを育てるために力を注げる。
巴は堂々と顔を上げて部屋を出た。
その瞬間から、彼女は再び「川口巴」として生き始めた。
◇◆◇
巴は自分の境遇を嘆くような女ではなかった。
部屋に戻るとすぐに娘たちを呼び集め、状況を説明した。
「私たちは城を出なければならない。明日からは祖母の家に身を寄せるわ。私が別の道を見つけるまで、そこで暮らしましょう。さあ、荷物をまとめなさい。」
娘たちを下がらせたあと、巴もまた準備に取りかかった。
城内に広まる噂から、外国商人の間で媚薬や長期保存できる品物の需要があることを巴は知っていた。
実際、侍女の中には定期的に品を求め、それを転売する者すらいた。
巴の勘は告げていた。これまでに編み出した菓子や秘薬は、必ず役に立つと。
彼女は新しい商いの場を探すため、いくつかの伝手に文を送った。
そして、これまで幾度もそうしてきたように、巴は夜を徹して様々な菓子を作り上げた。中には媚薬の効能を持つものもあった。
―
「川口様、田中様からのお手紙が届いております。」
文を受け取った巴は、ほほ笑みを浮かべながら内容を読んだ。そこには、商いを始められる市の一角を与える旨が記されていた。
「やはり田中様は約束を違えぬお方……。」
数年前、田中もまた子宝に恵まれず悩んでいた。
その時、巴が特別な菓子を差し出したところ、程なくして願いは叶ったのだった。
翌日の昼下がり、巴と娘たちは一度も振り返ることなく城を後にした。
◇◆◇
翌日、娘たちと共に街頭で商品を売り始めた。
「川口巴の菓子屋へようこそ! 小腹がすいた? ぴったりの物がありますよ!
今夜元気でいたい? 特製の品をお試しあれ! 効き目は保証します!」
「
彼女の前に立っていたのは、一人の異国の男だった。
白い肌、長い髪に髭をたくわえ、金貨を一枚、膨らんだ袋から取り出していた。
巴にとって最初の客――それは一人のポルトガル人船乗りであった。
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