第36話_“時間差で消える”を可視化

 放課後の理科室は、氷の入ったタッパーがずらりと並び、窓際の温度計は18.6℃を指していた。藍が黒板に今日の実験計画を三行で書く。

  ① 氷の“結束パーツ”の形状別に溶け方を観察(輪/楔/紐)

  ② 日向・半日陰・日陰で“時間差”の可視化

  ③ 痕跡(輪・筋・点)を“見える工夫”に変換して掲示

  「安全管理は私。床は滑りやすいからマットね。火気なし、素手で氷長時間触らない」

  彩加が手袋の束を机に置き、穏やかに念押しする。

  「採寸とタイムキーパーは私がやる」

  莉菜はストップウォッチと記録表を配り、列に名前を書き込んでいく。

  「動かす係、任せて」

  有里が胸章をキュッと直し、氷を入れたトレーを三つ抱えて窓辺へ。

  「俺は実況と“見える化カメラ”!」

  純一はタブレットを三脚に据え、タイムラプス撮影の設定を確かめた。

  「導線は俺が切る。こぼれたらここへ誘導」

  翔也はコーンとブルーシートで安全ラインを作り、通学路を塞がない位置を微調整する。

  慎太郎はにこやかに全体を見渡し、「責めない・混ぜない・焦らない」と笑って合言葉を短く置いた。

  今日の主役――“氷の結束パーツ”は三種類。

  A:リング(紙コップ型/厚さ7mm)

  B:楔(リップクリーム容器で作った台形)

  C:紐(ストローで成形した棒状/径4mm)

  藍は三つを掲げ、対象物も三つ用意して見せた。

  ① ホース模擬(ビニールチューブの折り返し固定)

  ② ドアノブ模型+座金(放送室のノブ寸法に合わせたレプリカ)

  ③ “封印紐”模擬(標本ケースの紐を想定した木枠と紙帯)

  「屋外に三つの観測点を作る。“日向・半日陰・日陰”。同じ形の氷を同時に置いて、溶け方と“痕”を比べる」

  藍の号令で、全員が中庭へ移動した。温度計は“日向22.1℃/半日陰20.0℃/日陰18.4℃”。結香はスケッチブックを開き、配置図に🔍🪞を小さく書き込む。

  最初はA:リング。

  ホース模擬の折り返し位置にリングを二つ“通し”、面ファスナーの上から軽く当てる。足元には黒い吸水シートを敷き、溶けて落ちた水の“輪”が見えるようにした。

  「スタート、15:32」

  莉菜が声を上げ、純一のタブレットがカチリと動く。

  ――8分後、半日陰のリングに細い亀裂。

  「ひびの“筋”が出た」

  藍が指差す。吸水シートには、輪郭の外から内へと濃淡が移る“リングの輪”がじわり。

  日向はさらに早い。11分で外縁が崩れ、直径7cmほどの円がはっきり残った。日陰は粘り、15分を過ぎても形を保つ。

  「“輪”はリング、“筋”はひび。“点”は破片、だね」

  結香がまとめカードにイラストを描く。

  《輪→リング型/筋→亀裂経路/点→破断片》

  次にB:楔。

  ドアノブ模型の座金と扉板の隙間に、楔を“差し込むだけ”でかませる。

 「引いちゃダメ。“差したまま放置”の痕を見たい」

  藍が目を細めると、座金の縁に“半月状の濡れ”が現れ、やがて細い“筋”となって下へ落ちた。

  「見えた。『半月+筋』」

  慎太郎が写真を三方向から撮る。

  日向では半月がすぐに消えるが、扉下に“糸のような筋跡”が二本並んだ。日陰では半月が長く残り、筋は一本だけ。

  「“半月→楔”“二本筋→二点支持”。これ、明日の倉庫再現に使える」

  藍はカードに『半月=冷却接触/筋=落下経路』と書き、矢印で“鍵穴の楕円影”と結んだ。

  最後にC:紐。

  “封印紐”模擬装置の紙帯に、氷の紐を“巻き結び”のように回し、上から細い紙テープで軽く押さえる。

  「これ、結んだ“ように見える”けど、実体は氷」

  藍の言葉を合図に、タイムラプスが回る。やがて氷紐は紙テープの下で細くなり、ほどなく“点々”の水玉を残して消えた。

  紙帯には“縦の筋”が微かに二本――水が流れた跡が繊維に染み、角度を変えると光る。

  「標本ケースの封印で“固く結んだ痕跡がない”矛盾、これで説明できる。――『繊維の水流痕』が出るはず」

  彩加が安全札を掲示枠に貼り、「近づきすぎないでね」と低学年に声をかける。子どもたちは素直に下がり、遠巻きに覗き込んだ。

  測定は淡々と続いた。

  ・リング(日向)──輪の直径7.3cm、消失まで12~14分。

  ・リング(日陰)──輪の直径6.1cm、消失まで19~22分。

  ・楔(日向)──半月の残存1~2分、筋二本(長さ12cm/9cm)。

  ・楔(日陰)──半月の残存4分、筋一本(長さ6cm)。

  ・紐(半日陰)──点の連なり(間隔1.5~2.0cm)、紙繊維の“縦筋”が出現。

  「数字が揃った。――“時間差で消える”は、角度と場所で“見える”に変えられる」

  藍はマーカーで“見える三点”を太字にした。

  ① 輪(Ring)=冷却された“面”の証拠

  ② 筋(Line)=落下/流下の経路

  ③ 点(Dot) =破断と散りの痕

  ジョシュアが横で頷く。

  「R・L・D。覚えやすいよ。“Ring, Line, Dot.”」

  カロリーナは「図を大きく」と助言し、結香がA3ポスターに“輪・筋・点の見つけ方”を描き起こす。右下にはもちろん🔍🪞。

  片づけの途中、瑛太が意を決したように手を挙げた。

  「……ごめん。前に、標本ケースの“紐の結び”、触った。固い結びじゃなかったのに、『固い』って言い切った」

  空気が一瞬止まり、慎太郎が柔らかい声で受け止める。

  「言ってくれて、ありがとう。今日の“紐の氷”で、誰でも錯覚するって分かった。――次は“見えたこと”を言葉にしよう。『縦の筋があった』みたいに」

  「……うん」

  瑛太は安堵の息を漏らし、確認者欄に自分の名をそっと書き加えた。

  夕方。タイムラプスの映像を皆で確認すると、氷のリングが“何もない”に変わる瞬間、吸水シートの“輪”だけがくっきり残る。紐の氷は“点々”が列を作り、楔は半月から細い筋へと移る。

  「これを廊下に流そう。QRコード付きで、R・L・Dを“見えるレッスン”にする」

  藍の提案に、莉菜が配信許可の申請書を書き始める。

  「明日は37話――じゃなくて、実験“② 仮止め楔”の再現ね」

  結香が冗談めかして笑い、全員がちょっとだけ肩の力を抜いた。

  最後に、明日の段取り。

  ・倉庫の扉で“氷楔だけ差して放置”→半月+筋の出現を現地で確認

 ・“押し込み禁止”の午後ルール+“半月見たら報告”の札を追加

 ・標本ケースの封印は“繊維の水流痕”を拡大撮影して検証

  彩加がマイクロファイバーで床を拭き、滑りのないことを確かめる。窓の外、校庭の色は少し青くなり、温度計は17.2℃へ下がった。

  「怖さは“消える”けれど、手順は“残せる”。――それが、今日の収穫」

  藍がまとめを言い終えると、右下の🔍🪞が夕光を受けて小さく光った。

  “時間差”で消える結び目は、もう“見える”記録へと縫いとめられた。次に同じ手が来ても、針目のように辿れるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る