第8話_鏡暗号の応用(宝探し)
放課後の教室に、紙のこすれる乾いた音が重なった。黒板前の机に、結香が名刺サイズのカードを八枚、表を下にして並べる。カードの端には鉛筆で小さく🔍🪞の記号。保健室や掲示板の隅で見たあの印と同じだが、これは結香が「まねして」描いた印だ。――鏡にまつわる出来事を、ここで前向きに使い直すために。
「目的は二つ」
結香は手短に言って、カードの束を片手でおさえた。
「一つ、廊下の商店街掲示に混ざってる“誤植写真”の場所を突き止める。二つ、見つけたら、“正しい手順で”差し替える。答えは全部、鏡で読むと分かるようになってる」
「走る係は?」
食い気味に身を乗り出したのは有里だ。
「任せた」
「了解!」
隣で煌大がニッと笑い、上履きの踵をトントンと鳴らした。
「俺も走る。結香、指示は?」
「鏡はこれ」
結香は手鏡を二枚、机から滑らせた。家庭科室から借りてきた、割れにくい樹脂のものだ。
「藍は最終チェック。危ないこと、筋の通らないことは止めて」
「把握。安全優先、根拠は明示」
藍は静かにうなずき、ノートの一ページ目に「反転確認」と見出しを作る。教室の後ろで彩加が先生への連絡票を掲げた。
「廊下での作業、許可もらったよ。立会いのサイン済み」
慎太郎は「通路確保は僕がやる」と言って、掲示前の導線を確かめに先へ出た。
結香は最初のカードを、黒板の端に両面テープで貼った。見た目は意味不明。ぐにゃりとした矢印、鏡に映したような曲がった文字、読めない数字。
「ルールは簡単。カードは“鏡で読む”。出てきた数字は棚番か時刻、矢印は廊下の向き。解答は、行って確かめる」
「スタート!」
有里と煌大は同時に手鏡を構え、カードをのぞき込む。反転した線が鏡の中でまっすぐに整い、文字が意味を取り戻す。
「『3列目の掲示・上から2段目/14:20までに』」
有里が読み上げ、ドアへ飛ぶ。
「了解、行くぞ煌大」
「おう!」
廊下に出ると、放課後の光が床に斜めの帯を作っていた。二人は掲示板の“3列目、上から2段目”に目を走らせる。商店街の駄菓子屋の写真、文房具店、八百屋――。
「これだ」
煌大が指さした写真の隅に、小さな違和感。ガラスの映り込みで店名の文字が左右反転しているのに、キャプションには正向きの店名が記されている。写真自体が左右反転のまま印刷されたのだ。
「誤植場所、確定」
有里が藍のノートに合図を送るように手を上げると、藍は短くうなずいた。
「次のカード」
結香が二枚目を取り出す。今度は教室の前掲示に貼り付け、軽く指で弾いた。反射で白が光る。
「『理科準備室の前 掲示枠の裏 うすいテープの下』」
鏡越しに読んだ煌大が復唱し、そのまま小走り。理科準備室の扉前、掲示枠の裏へ指を差し入れ、そっと触れると、確かに指先に薄いテープの感触があった。
「……あった」
テープの下から出てきたのは、小さな封筒。表に🔍🪞と“しゅうせいキット”の字。
「中身は?」
「『正しい写真データのUSB』『貼替手順カード』『テープはがし用のへら』」
有里が素早く読み上げ、三点を並べる。貼替手順カードの文字は大きく、ひと目で順序が分かる。
1.写真の位置と番号を記録(撮影)
2.枠の四隅のテープを“右側つまみ”で外す
3.ガラスを拭き、正しい向きの写真をはめる
4.貼付は四隅対角→四辺の順
5.最後に“反転チェック”(鏡かスマホの自撮りで確認)
「楽しいな、これ」
煌大が笑って、へらを振ってみせる。
「楽しいけど、慎重に」
藍が近づき、カードの②を指でトントン叩いた。
「“右側つまみ”は、昨日の反転ポスターの検証で標準化した手順。左側の癖が付くと、剥離跡で混乱する」
「はい先生」
有里が敬礼して、へらの角をテープのつまみに差し入れ、ゆっくり引く。テープは音もなく持ち上がり、紙が歪む気配はない。
「記録済み」
慎太郎がスマホで現状を撮り、ファイル名に“B-列_段_差替前”と打ち込む。周囲にいた下校中の子たちが遠巻きに見ていたが、彩加が静かに声をかけ、通路側に誘導してくれた。
「ありがと」
「ううん。みんなが見てる前でやると、次に間違えにくくなるから」
枠が外れると、ガラスの内側に薄い埃。結香が柔らかい布で拭き、藍が「繊維の残りなし」と確認。USBをPC室に走って持って行く係は――
「走る!」
煌大と有里が同時に手を上げる。
「私はここでテープ準備」
結香が残り、莉菜が「出力設定は私が見るね」とPC室へ同行した。ジョシュアは英語の補習の合間を縫って、プリンタの給紙を手際よく整える。
PC室のモニターに“正データ.jpg”。昨日ログで洗い直したフォルダ「正データ」に置き直されている。
「向き、OK」
莉菜がプレビューを確認し、印刷。出てきた写真は、店名の文字が正方向のまま、ショーウィンドウの反射も自然だ。
「戻る!」
煌大と有里が写真を両端で守りながら廊下へ戻ると、掲示枠は準備完了。四隅の新しい両面テープには、すべて右側につまみ折り。
「はめるよ」
結香の合図で、写真はすっと枠に収まり、四隅対角で圧着、四辺をゆるく追従して押さえる。
「最後、“反転チェック”」
藍が手鏡を掲げ、鏡越しの表示を確認する。店名は鏡の中で左右反転し、実物は正向き。キャプションの番号、列・段、日付も一致。
「整合、取れた。完了」
短い一言に、周囲の肩が同時に抜けた。
「やったー!」
純一が思わず声を上げ、有里がハイタッチを求める。煌大は掌を受け止め、軽く二度、音を重ねた。
「次のカードは?」
弾みで尋ねた煌大に、結香は三枚目を手のひらで示した。
「おまけ。『図工室/PC右上のフォルダの名前を“正データ”に統一』」
鏡で読むと、ただの小さな整頓指示だ。
「宝探しっていうより、整備だな」
「宝は“手順がそろうこと”だから」
結香は笑い、黒板を指さした。いつのまにか、藍のノートから移された“反転チェック手順”の骨子が、板書で共有されている。
①印刷前に左右確認(プレビュー)
②掲示のテープ“右側つまみ”
③貼付後に鏡確認(手鏡・自撮り)
④記録撮影(列・段・日付)
⑤🔍🪞印=確認済み
「この印、採用する?」
彩加が恐る恐る尋ねる。
「うん。『編集協力マーク』としてね。みんなで直した証拠」
結香が答えると、翔也が口の端を上げた。
「いいじゃん。主導権より、合意形成ってやつだ」
自分で言って照れたように視線をそらすのを、慎太郎が笑いで包む。
作業が片づくころ、廊下の光が少しやわらいだ。新しい写真は、正しい向きで、店主の笑顔がまっすぐこちらを見る。
「……ところで」
藍がふと、掲示板の下側を指先でなぞった。埃の薄い軌跡の端に、鉛筆でごく小さく🔍🪞が刻まれている。これは、結香が描いた線とは線圧が違う。
「これ、誰の?」
「私じゃない」
結香が首を振ると、周囲も一斉に否定した。
「同じ印でも、書き手は複数いるのかも」
藍は記号をノートに写し、線の入りと抜きを観察して、短く結んだ。
「発信者の意図は保留。けれど、私たちは“意味を与えた”。それで十分」
教室に戻る前、結香はもう一度だけ新しい写真の前に立った。ガラスに映る自分たちの姿は、左右が入れ替わっても、笑顔の印象だけは変わらない。
「宝探し、成功」
有里が言うと、煌大が肩をぐっと回した。
「次は“反転チェック表”を掲示にしようぜ。誰でも使えるやつ」
「作る」
莉菜が即答し、彩加が「承認印は任せて」と言って頬を少し赤くした。
廊下の奥でチャイムが鳴り、金属の余韻が校舎に広がる。カードの最後の一枚は、未使用のまま結香のポケットに戻った。そこには、鏡に映すと“ありがとう”と読める文字が、静かに眠っている。
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