第4話 ダンジョン誕生(4)


 広場から撤退した探索者たちは、荒い息を吐きながら通路を駆けていた。


 靴が岩肌を叩き、反響音が耳に痛いほど響く。


 誰も口を開かない。ただ全員が逃げ出すことしか考えていなかった。


「……っ…!ここまで来れば……」


 先頭を走っていた盾持ちである隊長格の男が、階段から飛び出し、やっとのことで立ち止まった。


 ダンジョンの外にモンスターは追ってこない。理由は解明されていないがそれが当然だ。例え相手が、天災級の化物だとしても。


 胸当てに汗がしたたり落ち、荒い呼吸が兜の中でこだまする。


 他の仲間たちも立ち止まり、地面や膝に手をついて肩で息をしていた。


「な、なあ……今の……見間違いじゃないよな……?」


 震える声で射手の男が問いかける。


 彼の額には脂汗が浮かび、手にした弓もわずかに震えていた。


 誰もすぐには答えない。答えれば現実になってしまうからだ。


「……竜だった。黒い…大きな…」


 重い声で、このパーティ唯一スキル持ちのローブの男が口を開いた。


「それも、蜥蜴やモドキじゃない。本物の…純粋な竜種だった…」

「竜なんて超巨大なダンジョンの深層にいるやつだろ!?なんでこんなところに!?」


 荷物持ちの青年が声を荒げる。


「だが、見ただろ?俺たち全員がな……」


 盾持ちが唸るように言う。


「幻覚でも幻術でもねぇだろう。あの重圧と、恐怖はな。体が覚えてる」


 その言葉に、誰も反論することはできなかった。


 竜が息を吐くだけで肺が押し潰されそうになった感覚。


 大地を揺るがす咆哮。


 そして、竜の前に立っていた――あの、人影。


「あの影は……?」


 斥候が小さく呟く。


「人間の形をして、モンスターを従えていた。黒い狼に、白い狐…そして竜……」

「人がモンスターを従えるなんて有り得るのか?」

「モンスターを使役するスキルもあると聞いたことはあるが…竜を使役できるとは思えないな」


 そんなスキルがあるわけがない。と射手は馬鹿らしいと言うように肩をすくめた。


「……あれは、魔王だ」


 荷物持ちの男が震え声で呟くと、一同の顔が強張った。


 誰も笑わない。


 『魔王』


 フィクションやファンタジーでよく耳にするその名前は、この現代では恐怖の象徴であったからだ。


「……とにかく戻るぞ。協会に報告しなければ」


 盾持ちの言葉に、全員が黙ってうなずいた。


 彼らは振り返ることなく、街を駆け協会を目指した。


 ▽


 夕刻。街の協会支部に駆け込んだ探索者隊の姿は、まるで亡霊のようだった。


 汗にまみれ、誰もが顔面蒼白。


「緊急報告!緊急報告です!!」


 受付に駆け寄った荷物持ちが、声を裏返らせて叫ぶ。


「おいおい……落ち着けって。誰か罠にでも引っかかったか?怪我なら救護室に…」


 カウンターに座っていた若い職員が苦笑まじりに言った。


 彼らはここらでは珍しい上級探索者パーティ。協会所属では一番の実力者たちだ。そんな彼らが慌てていた事に若い職員は違和感を覚える。


「違う!竜だ!新しいダンジョンの奥に、竜がいたんだ!」


 その言葉に周囲の職員や探索者達は一瞬ざわめき、すぐに失笑が漏れた。


「はは、何言ってんだよ。竜なんているわけ無いだろ?」

「疲れて幻でも見たんじゃないか?」


 だが盾持ちの隊長が、机を叩きつけるように拳を置いた。


 重い音が響き、笑い声が途絶える。


「俺たち全員で見た。幻覚じゃねえ。竜がいた。そしてその竜を従えた人型の…いや、人間がいたんだ!」


 その迫力に、受付の青年は言葉を失った。その目は冗談を言っているような目ではなかったからだ。


 すぐに奥へ駆け込み、上層への報告を取り次ぐ。


 そうして数時間後、協会支部の会議室に管理者や市の職員たちが集められた。


 そんな彼らの中央に立つ探索者隊の六人は、固い面持ちで証言を繰り返した。


「暗い広場の中央にいた。確かに人の姿をしていたが…今考えれば人間かはわからない。でも、喋ったんだ。声は低く、響き渡るようで……」

「黒い狼、白い狐、そして黒い巨大な竜を従えていました」

「竜の咆哮は……本物でした。体が震えたんだよ…あれが幻術なんてあり得ない…」


 報告が進むごとに、部屋の空気は重くなっていく。


「誕生してすぐのダンジョン内の上層で竜種の出現…にわかには信じ難い」

「いや、それよりも問題は、人間が竜を従えていたという点だ。もしそれが真実なら……」

「…まるで魔王じゃないか」


 その言葉に、部屋がざわめいた。


「魔王が日本に?!馬鹿を言うな!」

「だが意思疎通のできるモンスターが現れたのだ。あの悲劇がまた起きる可能性は十分にある!」

「そんなことより問題はこれからの対応だ。この情報が街に流れば、国中がパニックになる。だが放置するわけにはいかん」

「……まずは協会本部に連絡をし討伐部隊を編成、真偽を確かめるべきだ。最悪の場合は国も動くだろう」


 彼らが言葉を交わす中、探索者たちはただ俯いていた。


 自分たちが遭遇したものの重大さを、改めて痛感していたからだ。



 ▽



 会議を終えた彼らは、疲労のあまりラウンジに流れ込んだ。


 煌びやかな照明の下、他の探索者たちは酒やドリンクを片手に談笑し、軽口を叩き合っている。


 まるでいつも通りの夜だ。


 だが六人だけは、端のテーブルに腰を下ろし、声を潜めていた。


「……報告のこと、頭から離れねぇな」

「口外無用だとよ…まあ当然だろうな。下手に漏れたら世界中パニックになっちまうぜ」


 射手が吐き捨てるように言う。


 少しだけ笑みを浮かべる射手だったが、彼の手は未だに震えていた。そして、それを馬鹿にできる仲間はこの中には誰もいなかった。


「竜だけじゃない。あの人影も、だ」

「……モンスターを従えていた、あの人影か」

「黒い狼に、白い狐。そして竜……」


 会話の合間、周囲を気にするように全員が視線を走らせる。


 誰もこちらに注意を払っていないことを確認し、再び小声を交わす。


「……やっぱり、魔王だよ…だって、学校で習った通りじゃん…」


 荷物持ちの青年が呟いた。


 その一言に、全員が押し黙る。


 言葉にした瞬間、恐怖が現実味を帯びるのを理解していたからだ。


「40年前のあれが……また繰り返されるのかもしれねぇってことか…」


 盾持ちの隊長が低く言い、テーブルの上の拳を固く握りしめる。


 そんな彼らの頭の中には、この街で暮らす友人や家族のことが浮かんでいた。


 彼らの表情は一様に沈み、笑い声が響くラウンジの片隅だけが別世界のように重苦しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る