傘
自分の顔にポツポツと水滴が落ちてきた。見上げると壮大な灰色が空を埋め尽くしていた。雨か。今日って雨予報じゃなかったよね。いつもは折り畳み傘を鞄に入れているのだが、今日は運悪く別の鞄を持ってきてしまっていた。段々と雨粒が大きくなってくる。段々とアスファルトに水流ができる。
私は近くのカフェに雨宿りすることにした。ちょうどお腹も空いていたし、私は席に座るとコーヒーとホットケーキを頼んだ。隣の四人席の壁際に、男性が一人座っていた。彼は私を凝視してきた。私は二人席の壁際に座っていた。私は気づかないフリをして、スマホを触っていた。なんとなく開いていたインスタのストーリーは読む気になれなかった。
注文した食事が届いた。コーヒーを一口飲んでから、ホットケーキに手をつけた。男の視線が気になるが、口腔は至福を訴えていた。甘さ控えめの良いホットケーキだった。
私は肘が当たってしまって、伝票を落とした。それを取ろうと左に屈み、起き上がった時に、隣の男と目が合った。男が目を離そうとしないので私は動けなかった。
私は言った。
「あ、あの……どうかされましたか?」
男の反応は無いに等しかった。私は席に座り直したのだが、男は私を見つめたままだった。私はもう一度言った。
「どうかされましたか?」
声をかけても何も返さない男に少し腹を立て、「あの!」と少し声を荒げた。
すると男は言った。
「か、か、かか、傘」
「傘?」
「傘、傘、傘はいりませんか。傘」
「はあ」
「外、雨が降ってるでしょう。ですから、傘、傘が必要でしょう。いりませんか」
「いえ、結構です」
「必ずいりますよ。傘。私は傘を売っているんです。傘。傘。ひとついかがです、傘」
男は食い下がろうとしなかった。私は無視をしてコーヒーを飲んだ。
「どいつもこいつも……」
男は小声でそんなことを言った。
「どいつもこいつも、どいつもこいつも、そうやってぼくを無視するんだ。わかっていてやってるんだろう。関わらない方がいいと思っているんだろう」
男はぶつぶつと独り言を唱えていた。私はホットケーキを口に運んだ。
「どいつも! こいつも! ふざけやがって!」
男は飲み終わったコーヒーカップを片手で粉砕した。彼のもう一つ隣の女客は悲鳴を上げ、私は驚きで手が震えた。男はのっそり動き出し、私の近くに立って、私と目を近づけた。殺されてしまうのだろうか。
男は私に傘を押しつけた。
そして男は店を去った。
(お題:顔 雨 腹)
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