第14話 来訪者
ヴェルナーの調査は少しずつではあるが確実に進んでいた。
死神三名のうち、二名まではすでに突き止めている。
残るは最後の一人、その正体が掴めないまま日数だけが過ぎていった。
彼は薄暗い書庫のような空間に腰掛け、手元の記録を指でなぞりながら低く呟いた。
「下衆な方法をとるくせに最後の一名は分からない。多少は頭の切れる者がいるようだな」
突き止めた二名の死神は、下卑た欲望に突き動かされただけの凡庸な存在にすぎなかった。
だが最後の一名は違うらしい。
目的を覆い隠し、痕跡を消すように巧妙に立ち回っている。
その周到さは、ヴェルナー自身をもわずかに警戒させるものだった。
その背に、冷ややかな声が投げかけられる。
「そう悠長にしていられないぞ」
アシュレイザルは焦りを感じながらヴェルナーにそう言う。
思わず口を衝いて出た言葉に、ヴェルナーの瞳が冷たく細められる。
「何の役にも立っていないお前が、私に指図するな」
その声にはアシュレイザルへ侮蔑が滲んでいた。
アシュレイザルはぐっと唇を引き結び、何も言い返せない。
彼は調査をヴェルナーに一任している身であり、また、ヴェルナーの冷静な判断が自分より優れていることを理解していた。
アシュレイザルは苛立つが、調査はヴェルナーに一任している手前、黙っているしかなかった。
「…………」
喉元まで上がってきた言葉を押し殺すと、ヴェルナーはアシュレイザルに指示を出す。
「お前はあの人間の方を監視しておけ」
ヴェルナーはそう告げた。
言いなりになるのは癪であったが、日々の仕事をこなしながらカイエルの元へと通うのが今のアシュレイザルにできる精一杯だった。
その日も同じように、アシュレイザルは人間界へと足を運んだ。
夕暮れの赤に染まる空の下、アシュレイザルは深く息を吐き己の苛立ちを押し込める。
いつもの場所にカイエルを見つけると、彼はかなり焦燥した様子でソワソワとしていた。
まるで今にも逃げ出したいが、逃げられない場所に縛られているかのように、周囲を警戒している。
「どうした?」
カイエルはアシュレイザルを見るなり、我を忘れたように駆け寄ってきた。
その表情は血の気が引いて青ざめている。
「どうしよう、アシュ……! 海神にバレてるかも……」
その言葉にアシュレイザルの冷徹な表情が崩れた。
彼は死神の鎌を携える男には珍しく、顕著な焦りを瞳に浮かべた。
「何……?」
思わず問い返すアシュレイザル。
自分の耳を疑った。
だが、カイエルの震えた声には嘘も誇張も混じってはいない。
「どういうことだ? 何があった……?」
「はっきりは言ってなかったけど……カマをかけてる感じでもなかったんだ。僕は、友達が今解決しようとしてくれてるから、待ってって言ったんだけど……一か月しか待ってくれないって……」
カイエルの言葉は途切れ途切れだったが、その深刻さがアシュレイザルにも痛いほど伝わった。
内容は詳しくは分からないが、カイエルの言葉の断片から予想はできる。
どういった経緯でバレたかもしれないのかは分からないが、アシュレイザルは周囲を注意深く見渡した。
「……ひと月か。それほど猶予がある訳ではないな」
アシュレイザルは冷静さを取り戻そうと努めたが、その声の震えを隠しきれない。
ひと月――――……それは、ヴェルナーの調査が終わるには短すぎる期間だった。
あの秀才のヴェルナーが苦戦しているのだから、そう簡単に見つかるとは思えない。
「悠長な会話だな」
二人の緊迫した会話を遮るように、気配のない虚空から声が響いた。
アシュレイザルは空気そのものが凍り付いたような感覚に襲われる。
誰よりも知っている威圧感がした。
アシュレイザルの全身から血の気が引いた。
「!」
背筋を貫いた冷気に振り返ると、そこには一人の死神が静かに立っていた。
黒き衣に覆われ、瞳は底知れぬ闇のように深い。
その存在だけで空間が支配される。
死神界最高審問官、マグナリオがそこにいた。
アシュレイザルは言葉が出ない。
最も知られたくなかった相手だ。
現れたという事実だけで、彼の運命は決したも同然だった。
マグナリオの視線がゆるやかに横を滑る。
カイエルを
その仕草にマグナリオは冷然と告げる。
「海神の加護者か」
たった一言、その声音には絶対の確信があった。
マグナリオの言葉が、冷たく突き刺さる。
「アシュレイザル。海神の加護者と関係を持つことは禁忌と教えたはずだが。処罰を覚悟しての事か」
「…………」
冷たい声で問い詰められ、アシュレイザルは何の異論も出てこない。
彼は全てが終わりだと悟っていた。
答えはない。
反論など許されない。
そして己が犯した禁忌を、否定することなどできなかった。
しかし、アシュレイザルの後ろに隠れるようにしていたカイエルが震える足で一歩前に出た。
「アシュは悪くないよ! 僕の生命力を吸ってる死神を探してくれてるんだ!」
必死に訴えながらカイエルは自らの首元を掻き上げ、そこに刻まれた呪印をさらけ出した。
マグナリオはそれを一瞥する。
だがその瞳に憐憫はなく、再びアシュレイザルを見据えた。
「それとこれは別の問題だ。アシュレイザルが禁忌を犯した事には変わりない」
マグナリオは個人の事情と組織の規則を一切混同しない。
その絶対的な論理にカイエルは絶望した。
「その通りだ。私が禁忌を犯している事には変わりない。処罰されて当然だ」
「そんな……! アシュは何も悪くないのに!」
カイエルは
だがマグナリオの声音は揺るがない。
「人間の価値観では分からないだろうが、海神界と死神界は陰と陽の関係。互いに不可侵であるからこそ均衡が保たれている。人間が考えるほど単純な話ではない」
カイエルは死神界の事も海神界のことも詳しくは分からなかったが、自分のせいでアシュレイザルが処罰される事だけは避けたいと考え、必死に言葉を繰り出した。
「僕とアシュは友達なんだよ! 甘い考えの僕が悪かったんだ、アシュを咎めないで……! 僕がアシュにお願いしたんだから!」
叫びは空しく響く。
マグナリオの瞳に情はなかった。
「お前に手を付けた死神らは、私が責任を持って処罰を下す」
アシュレイザルはもはやこれまでと覚悟を決めた。
背筋を伸ばし、静かに言葉を紡ぐ。
「禁忌を犯したのは事実だ。私は処罰を受ける。しかし……もう少しで分かりそうなのだ。もう少し待ってはくれないか」
マグナリオは目を細めた。
冷たい眼光がアシュレイザルを射抜く。
「最近ヴェルナーと何やらよく話していると思ってみたら、この様か。これはそんな悠長な話ではないぞ」
アシュレイザルはそれでも退かなかった。
「私の処罰はすぐにでも受ける。だが……カイエルの不死はどうにもならないのか。本人は加護など求めていない。何故カイエルは海神の加護を持つのか、知っているのか」
なんとか話を分かってもらおうと必死に訴えるアシュレイザルに、マグナリオは無表情で返事をした。
「無論知っている」
――やはり、最高審問官はこの事象を把握していたのか……
そこに焦点をあて、アシュレイザルは僅かに抵抗を見せる。
カイエルが自分を庇ってくれているのだから、自分も自分のことを簡単に諦める訳にはいかないと考え直す。
「そもそも海神界も死神界も、直接人間界に干渉してはならないのではないのか」
「当然だ。だが、例外もある。この子供はその例外だ」
その言葉に、カイエルの目が大きく開かれる。
「教えて。僕は何も知らないんだ」
「…………」
マグナリオは沈黙した。
人間の戯言に付き合う必要はなく、冷たく突き放す言葉を選ぼうとした。
真実を求めるアシュレイザルとカイエルの真剣な瞳を見て、マグナリオは考えが変わった。
「……説明する義理はない。だが、教えてやってもいい」
そして、死神界最高審問官の口からカイエルの過去が語られ始めた。
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