第6話 個としての価値
マグナリオとの緊張した会話を終えた翌日から、アシュレイザルは魂の回収業務が終わるやいなや、夜の帳が降りたアウロラの村へと通う日々を始めた。
カイエルとアシュレイザルは概ね決まった時間、決まった場所で密会をする。
いつカイエルの生命力を吸い取る死神が現れるとも限らないという未知の危険に、彼自身が身を置いていた。
最初は一時的な付き合いのつもりだった。
カイエルの元へと向かうのは日課のようになっていた。
「今日も来てくれたんだね、アシュ!」
いつも密会をする場所にアシュレイザルが行くと、すでに待っていたカイエルがぱっと笑顔を向けてくる。
アシュレイザルはその表情を見て、一瞬だけ胸の奥がざわつくのを覚えた。
アシュレイザルは、常に張り詰めた糸のような緊張した面持ちでカイエルと共にいた。
いつ襲撃されても対応できるように、彼の意識は常に周囲の異質な気配に集中している。
対照的にカイエルは明るかった。
アシュレイザルが自分の元に通ってくれるという事実が彼の孤独を埋め、希死念慮を一時的に遠ざけていた。
その喜びは隠しようがなく、潮風に揺れる彼の淡い金髪のように周囲に明るい空気を振りまいていた。
カイエルは以前に比べ、どこか明るさを取り戻していた。
ある日の夕食時、セリオンはカイエルを見て目を細めた。
「最近、何かいい事でもあった? 雰囲気が凄く明るくなったような気がする」
セリオンの純粋な問いかけに、カイエルは笑った。
「別に。何もないよ」
死神と連日密会をしている、死神と友達になったとは言ったらセリオンはかなり不安になるだろう。
セリオンは死神の存在を知らないだろうし、理解もできないはずだ。
笑顔でセリオンの作った夕食を作っているカイエルを見ながら、アシュレイザルは黙って見守っていた。
こう言ってカイエルは誤魔化しているが、セリオンが
その夜、いつものように海辺から離れた茂みで二人は情報収集の打ち合わせをしていた。
「カイエル」
「ん?」
「もし、次にお前の生命力を吸いに来る死神がいたら、私が来るまで話をして引き留めろ。それか……できる限り情報を引き出せ」
カイエルはぽかんとした顔をした後、すぐに眉を下げて笑った。
「そんなの、どうでもいいよ」
「どうでもいい?」
言っている意味が理解できず、不審な声でアシュレイザルは尋ね返す。
「僕にとって大事なのは、アシュがこうして来てくれることだから。死神がどうとか正直あんまり……」
アシュレイザルはカイエルの投げやりな態度に苛立ちを覚えた。
世界の命運が懸かっているというのに、この無頓着さは何なのだ。
「私は真剣に言っているんだ」
その言葉には、抑えきれない苛立ちがにじんでいた。
だがカイエルは視線を逸らし、寂しそうに呟く。
「だって、それが解決したら……アシュはもう来てくれないんでしょ?」
そうなるのかもしれない。
不死のカイエルの魂を刈り取る方法については未知数だ。
そうしようとしても、一介の死神の自分ではできるかどうかは分からない。
カイエルの生命力を奪う死神が全員判明し、マグナリオが関与していないことが分かればアシュレイザルはマグナリオにこの件を話すことになる。
最高審問官の判断が下れば、もうアシュレイザルが直接カイエルに干渉することもなくなることも考えなかった訳でもない。
「それとも……アシュは、僕の生命力を吸いに来てる死神が全員分かっても、僕のところに会いに来てくれるの?」
甘えるように、しかし核心を突くように言うカイエルに対しアシュレイザルは言葉に詰まった。
彼はその問いに答えることを拒否するように話題を変えた。
「……私は最高審問官の補佐にならないかと声がかかっていてな」
「え、それってすごいじゃん!」
純粋な驚きの声をあげるカイエル。
カイエルは、それが死神界の最高権力者の義父からの打診であるとは知る由もなく、純粋に驚きと喜びを見せた。
「だが、そうなると内勤の仕事だ。こうして人間界の現場に出ることはなくなるだろう」
そう言うとカイエルは物凄く残念そうな顔をして視線を逸らした。
彼の海のような青緑の瞳に深い陰りが落ちた。
「じゃあ……結局、アシュも僕の前からいなくなるんだ」
寂しそうに言うカイエルに対して、アシュレイザルは自身の心の内に湧き上がった戸惑いを隠すことができなかった。
彼は言葉を足して補足をする。
「死神界も複雑でな。私も正直、どうしたいのかは分からない。……お前のこともあるしな」
それを聞いたカイエルは、パッと表情が明るくなりアシュレイザルの方を向いた。
彼の瞳が希望に満ちて輝く。
「それって……僕のことが気になって、迷ってくれてるってこと?」
アシュレイザルは視線を逸らし、短く言葉を絞り出した。
「…………少しはな」
ほんのわずかな逡巡の後に答えた言葉は、彼にとって限界の譲歩だった。
「嬉しい!」
カイエルは子どものように無邪気に笑い、アシュレイザルに抱き着いた。
彼の体温と死神が感じる生命力の独特香りが、アシュレイザルの全身を包み込む。
彼の鼓動は乱れ、理性が一瞬で霧散しそうになる。
「離れろ、馴れ馴れしい」
アシュレイザルは、かろうじて声を絞り出し、カイエルを引きはがそうとした。
冷たく突き放すように言っても、腕はびくともしない。
「だって、アシュはすぐに僕から離れていきそうなんだもん」
「幼馴染がいればそれだけで十分だろう」
なんとかカイエルを引きはがそうとするアシュレイザルだが、カイエルが強く抱き着いていてびくともしない。
彼の華奢な身体に似合わないほどの強い力が込められていた。
「セリオンはセリオン、アシュはアシュだよ」
その言葉を聞いてアシュレイザルは深い衝撃が走った。
今まで、彼は「最高審問官の義子」「義父の義務」「死神界の一員」など、何かの役割として見られてきた。
しかし、カイエルは初めて「個」として彼自身を求めてきた。
その不思議な感覚は、アシュレイザルに孤独の欠片を埋めるような、満たされた感覚を与えた。
その認識を覆す一言が、胸の奥深くに響く。
混乱にも似た感情が広がる中、ふいに空気が変わった。
「……!」
アシュレイザルは鋭く目を細める。
遠くから、異質な気配が迫ってくるのを察知したのだ。
冷たい夜風に混じる、死神独特の瘴気。
「別の死神が来る気配がする。私は気配を消して隠れる。……お前は、情報を引き出そうとしろ」
カイエルは一瞬の寂しさを見せつつも、すぐに真剣な顔つきに戻り小さく頷いた。
彼の顔にはアシュレイザルの期待に応えたいという決意が浮かんでいた。
そしてアシュレイザルが気配を完全に消し、息をひそめると……
顔や姿を隠した死神が夜の闇からカイエルの元へとやってきたのだった。
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