第9話 御徒町− 雑踏の中で得られる「今の居場所」−
美術館を出ると、そのまま上野駅へ戻るのではなく、私はよくアメ横を通って御徒町まで歩いた。
展覧会で静かな時間を過ごしたあと、あの雑踏に身を置くと、不思議とバランスがとれた。
魚の氷の匂い、果物を並べる威勢のいい声、安いバッグを叩き売る呼び込み。
雑多で混沌としているのに、なぜか温かい。
威勢のいい声が重なるたびに、胸の奥のさみしさが少しずつ削られていった。
それはたぶん、私の地元の商店街を思い出させたからだと思う。
————
福島の町は、震災のあと大きく変わった。
駅前の商店街も姿を消し、あの正月の賑わいも、もう帰ることはできない。
けれど、アメ横の喧騒に身をまかせていると、その記憶がふいに蘇った。
人混みに押されながら、年始に歩いた商店街の景色と重なって見えた。
絵画を見た後の余韻と、アメ横のざわめき。
その対比が、私には妙に心地よかった。
アートの静けさで空いた心の隙間を、雑踏の熱気が埋めてくれる。
どちらも東京で、どちらも「今の私の居場所」だった。
————
御徒町のホームに立つと、いつも少しだけ立ち止まった。
この駅そのものに思い入れがあるわけじゃない。
けれど、静けさと喧騒を行き来する、その通過点としての御徒町は、私の記憶に確かに刻まれている。
失った場所を補うように、ここで生きている──。
そう思えたのは、きっとこの雑踏があったからだ。
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