第25話

 気分転換しようというワハイドの提案を受け入れて彼の手を取ると、嬉しそうに手をぎゅっと握り返されて行こう! と、ベンチに根をはっているようだった私を引っ張って立ち上がらせてくれた。


 さっきまでベンチから全く立ち上がれそうになかったのに、彼に手を引かれるとふわっと身体が軽くなったように立ち上がることができて驚いた。


 ワハイドは楽しそうに微笑みながら、川沿いから街の方へと私を優しく連れ出してくれる。


 彼は大通りから少しだけ外れた場所にある、可愛らしいお菓子屋さんに連れてきてくれた。


「あら、ワハイドさん。いらっしゃい」


 店に入ると店員さんがいつもどおりといった調子でそう言って、ワハイドも軽く挨拶を返していて驚いた。


 ワハイドの見た目はどう見ても上位貴族……いくら王都に店をかまえる人間と言えども、平民が気安く声をかけられるような見た目をしていない。


 なのに目の前にいる二人は当たり前のように親しげに会話をしていて、上位貴族と平民が親しくしているだけで驚く自分が、すっかりこの世界に馴染んでいるように感じて少しの寂しさと嫌悪感があった。


 また少し落ち込んだ私に、ワハイドはクッキーを一袋買ってくれた。


「ほい」


 購入したばかりのクッキーを手渡され、ありがとうございますとお礼を言うと、どういたしましてとニコッと微笑まれた。


 子供扱いだろうか……こちとら前世アラサーだぞと少しムッとしていると、私のお腹がグーッと鳴った。


「それ、今食べてみれば?」


 恥ずかしさから赤面して震える私を見て、ワハイドはプッと少し笑いながら、それでいて笑いを堪えるように言った。


 もうここまで来たら恥ずかしがることもあるまいと、お言葉に甘えてクッキーに結ばれたリボンを解いて袋からクッキーを取り出し、口に運ぶ。


 クッキーはしっとりとした食感、ほのかにバニラビーンズが効いているような味わいだが、甘さはそこまで強くなくてすごく美味しい。


「……美味しい?」


 私がぱぁっと顔を明るくしてクッキーを食べているとワハイドが尋ねてきたので、口にクッキーが入っていて話せない私はコクコクっと首を上下に振って答えた。


「そりゃ、良かった」


 ワハイドはまた楽しそうに笑って、私の持っている袋から自分もクッキーを取るとぽいっと口に入れて美味いと食べていた。


 二人で食べると一袋のクッキーはあっという間になくなって、ワハイドは流れるようにゴミを受け取ってポケットに入れる。


「じゃあ、次に行こうか」


 すると、また私の手を掴んで歩き始めた。


 それからワハイドは、大通りから少し外れた道にある花屋、雑貨屋、服屋など色々な場所に連れて行ってくれた。


 どれもこれも大通りにあるお店とは違って小じんまりとしているが、店主の趣味が感じられる可愛らしい見た目をしていて……大通りの店とは違った魅力を放っているのが一目で感じられた。


 そしてどの店に入っても店員は彼のことを、お馴染みの人のように気さくに声をかけていた。


「この辺りにはよくいらっしゃるのですか?」


 あまりにも声を掛けられるのを疑問に思って、お店を出て少し歩き出した時にワハイドに尋ねてみた。


「ん?あぁ、まぁね。仕事の関係で王都に来た時には、大通りから少し外れたお店を見て回るのが好きでね」


 ワハイドがそう答える。


「けれど貴族がお店に来ると、店員さんは驚かれませんか?」


 アミーラとチョコの材料を買いに街に来た時、店員さんは金髪碧眼のアミーラが店に入ってきた時にギョッとした顔をすることが多かった。


 露店の店主に至っては、注文した時に硬直して完全に戸惑った様子だった。


「あぁ、最初はかなり驚かれたね」


 懐かしそうに、ワハイドが笑いながらそう言う。


 ムリもない……上位貴族・下位貴族・平民と身分が分かれているこの世界では、平民が気軽に貴族に声を掛けることなんてできないし、貴族も平民が暮らす場所には基本的に#降りてこない__・__#。


 買い物はだいたいが屋敷に住む従者にさせるか、店側の人間を自宅まで呼びつけるのが常だからな……それも利用するのは基本的に貴族御用達のお店だけ。


 大通りから外れた店に突然、上位貴族が入ってくれば驚くだろう。


「でも俺は町外れに住んでいるからさ、王都のことが知りたくて行く度に結構話しかけてたんだよね。そうしている内にだんだんみんな驚かなくなって、名前を呼んでくれるようになって……」


 こうなるまでには長かったなーと、また笑いながらワハイドは言う。


 確かにワハイドには話しかけやすいというか、他の上位貴族とは違った空気感があるから分からなくもないが……あそこまで親しくなるのはすごいな。


「なぜ王都のことを知りたいのですか?」


 そんなに親しくなるまで声を掛け続け、王都のことを尋ねるなんて……なぜだろうという純粋な疑問から尋ねると、ワハイドの顔が一瞬だけ曇って真顔になる。


「やっぱり町外れには町外れなりの苦労があるけど……王都には王都なりの苦労があるじゃん。今の王政は不安定だし、その辺りのことをその地に住む人間から聞いて把握しておきたいなと思ってさ」


 さっきまで明るく話していたワハイドが急に真面目に語るから驚いたが……なぜかそれ以上は突っ込んではいけないような気がして、そうですかとしか返すことができなかった。


「さっ、今度はあっちに行くよ」


 かと思うとワハイドはニコッと笑いながら、また私の手を引いた。


 そう言えば今日一日、ほとんどの時間をワハイドと手を繋いでいるということに今更ながら気がついて、少しだけ恥ずかしくなった。


 顔が熱くなるのを感じて見られたくなくて、少しだけ顔を伏せた。


「どうした? 疲れちゃった?」


 ワハイドは私の顔を覗き込むようにしながらそう言って、おでこに手を当てるように私の顔にかかる前髪を上げた。


 前髪をあげられたことで自然と顔も上がってしまって……ワハイドの心配そうにしている顔が目の前に。


 ワハイドの瞳はブルーというよりもネイビーのような、深みのある色をしていて……見つめられると吸い込まれそうになるほどキレイだった。


 またボッと顔が熱くなるのを感じる。


「だ、大丈夫です。さ、次はあっちですか!」


 そう言って顔を反らして、勢いでごまかすように今度はワハイドの手を引いて先を歩く。


「疲れたら言ってねー」


 何かを察したのかフフッと笑うワハイドは、私の歩くペースにあわせながら隣につく。


 気分転換にはなったが……アミーラの気持ちがわかったかも知れないと、今度は違った悩みが生まれた気がして私は困惑するしかなかった。

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