魔の森の合唱隊

大濠泉

第1話 人類未到の〈魔の森〉

 恥ずかしながら、僕の冒険者としての、最後の体験をお話しましょう。


 僕は、〈魔の森〉と呼ばれる、広大な森の奥深くに入ったんです。


 その地域は、まだ誰も到達したことがない、人類未踏の領域でした。

〈魔の森〉はつい最近まで魔王領だったのです。

 勇者によって魔王が討たれて魔王国は崩壊したものの、人間にとって手付かずの土地が、まだたくさん残されていたのです。


 三日月の夜ーー。


 僕はひとりで、その未踏地である〈魔の森〉の奥地へと足を踏み入れていました。

 鬱蒼うっそうと生い茂る樹木や、岩陰に潜む魔物をやり過ごし、あかりもけず、肉眼と感性だけを頼りに進んでいきました。


 僕は上級の斥候せっこう職でしたので、隠密行動と探索能力には自信があったのです。


「む……」


 三つも連なった大岩を抜けた途端、魔族の気配を感じました。

 だが、強くはありません。

 ごく微弱な魔力でした。

 その強さからいって、魔王軍の残党ではないでしょう。

〈魔の森〉自体が発する魔力かもしれませんし、下等魔族が近くにいるのかもしれません。


(まあ、用心するに越したことはない、か……)


 僕は短刀を抜き、前屈まえかがみになって、さらに奥へと進みました。

 すると、いきなり広くて丸い草原に出ました。


 草原全体が、あおい月明りに照らされていました。


 ゴオオオオオーー。


 周囲の森林地帯から、強い風が吹き抜けてきます。

 それでいて、ひんやりとした冷たい空気が漂っていました。


 その草原の中央に、人影がありました。

 五人の男女がひとかたまりになって、突っ立っていたのです。


 全員が革製の甲冑かっちゅうをまとった、いかにも冒険者然とした格好でした。

 みな、剣や斧などの武器を地面に突き刺した状態で、無表情。

 気をつけの姿勢でした。


 私はその集団に近寄って、目を凝らしました。

 ひとりの若い女性が、一歩、前へ出た状態で、立っています。

 その女性の許に、僕は駆けつけました。


「ラーナ! よかった、無事だったんだね。心配したんだよ!」


 僕は恋人を探し求めて、この森に入ってきたのです。

 恋人とはいっても、相手は三歳年上のお姉さんで、僕よりも格上の冒険者です。

 A級剣士であり、A級冒険者パーティー〈神の鉄槌〉のリーダーでもあります。

 実質、僕に冒険者のイロハを教えて鍛え上げてくれた、師匠ともいえる存在です。

 一ヶ月半前、僕の方から告白して、婚約してくれることになりました。


「どうしたの? これは、なに? なにがあったの!?」


 恋人の僕が必死で問いかけても、ラーナは答えてくれません。

 無表情なままです。

 僕が助けに来たのに、まるで気づいていないようでした。

 自慢の愛剣は、地面に突き刺された状態でした。


 僕は彼女にグッと顔を寄せる。

 彼女の口から吐息が漏れている。

 息はある。

 死んではいません。


 僕はホッと胸を撫で下ろしました。

 最悪の事態は避けられたようです。


 まるで無反応ながら、美しい彼女の顔を見つつ、僕は告白した日を思い出しました。

 当時、抱きついた僕に、ラーナは耳元でささやいてくれました。


「私の夫にするには頼りないけど、可愛いからな、君は。私が守ってあげるよ」


 そんな頼もしい彼女が、〈魔の森〉の探索に向かったまま、一ヶ月も経過していました。

 A級パーティー〈神の鉄槌〉のメンバー五人ともども帰って来なくなったのです。

 冒険者組合は捜索隊を出すことを決定し、まずは状況確認のために斥候を出すことになりました。

 その斥候役に、僕が立候補したのです。


(僕の方こそ、恋人ラーナを助けるんだ!)


 出発に際して、僕は拳を握り締めたものでした。


 そんな回想をしていると、どこからか、「しくしく……」と声が聞こえました。


(子供の泣き声?)


 ハッと僕は振り向きました。

 ラーナの後ろに並ぶ四人の男女のかたわらに、ひとりの女の子がいたのです。


 丸っこい動物のぬいぐるみを抱えて、少女が震えていたのでした。

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