第13話
◆視点:天沢 要
私の意識は光の奔流を突き抜け、さらに深く冷たい場所へと引きずり込まれていった。
そこは占星盤の精神世界の最深層。見渡す限り、完全な闇と静寂が広がっていた。星の輝き一つない虚無の空間。
ここが、仕組みの最も深い部分に澱むという『拒絶』の意思の正体か。
ひどく冷たく、そしてどうしようもなく悲しい気配が、この空間全体を満たしている。
それは怒りや憎しみといった攻撃的な感情ではない。ただ、純粋な喪失感だけが凍りついたように存在していた。
闇の中心が、ゆっくりと人の形を取り始める。
現れたのは、ローブを深く被った巨大な影。顔は見えないが、その影から放たれる絶望の圧力は、私の意識を直接押し潰そうとしてくるかのようだ。
『……来たか。世界の秩序を乱す、不確定な者たちよ』
声は地響きのように低く重い。これが星見アキラの負の感情の集合体。
最愛の女性、月詠ルナを失った彼の深い絶望そのもの。
『未来は確定されねばならぬ。二度と喪失の悲劇が生まれぬように。全ての可能性は予測可能な秩序の下に管理されねばならぬ。お前たちのような予測不能な混沌は、存在してはならない』
亡霊がそう告げると、私の目の前にいくつもの映像が浮かび上がった。
それは、私がこの学園で失敗し続ける未来。どの専門課程からも見放され、「やはり白紙は落ちこぼれだ」と嘲笑される私。
日野や月島、風間といった仲間たちも、私と関わったせいで不幸になり学園を去っていく。
そして最後には、たった一人、誰からも忘れ去られて学園の片隅で消えていく私の姿。
「……くだらない」
私はその映像を鼻で笑った。
「そんなもの、私の未来じゃない。誰かが勝手に作った、つまらない物語だ」
『これは確定された未来。お前が最も辿り着く可能性の高い、絶望の結末だ』
「可能性、ね。だったら他の可能性だって、いくらでもあるだろう。私が北極星になる可能性。みんなで笑って卒業する可能性。あんたが作ったそのくだらない未来予測より、よっぽど面白そうだ」
私の言葉に、亡霊の周りの闇がわずかに揺らいだ。
精神攻撃が私には全く効いていないことに、戸惑っているのかもしれない。
『なぜ、揺るがない。なぜ、絶望しない。未来が確定されることの安寧を、なぜ理解しない』
「当たり前だろう。未来が決まっていたら、生きていたってちっとも面白くないじゃないか。白紙の地図だからこそ、どこにだって行ける。何にだってなれる。それがわからないあんたの方が、よっぽど可哀想だ」
私は一歩、亡霊へと踏み出した。私の意識体が眩い光を放ち始める。
私の「白紙」の力。それはどんな色にも染まらない、純粋な可能性の光そのものだ。
だが、亡霊の悲しみはあまりにも深く強固だった。私の光が彼の絶望の闇を完全に晴らすことはできない。
むしろ光が強まれば強まるほど、彼の闇もまた深くなっていくように感じられた。
こいつはただの敵じゃない。星見アキラという一人の人間の、愛そのものだ。だから、単純に破壊することはできない。
どうすればいい。どうすれば、この凍りついた悲しみを溶かすことができるんだ。
その時、隣にいた要の冷静な声が、私の意識に直接響いた。
「星野、そいつを倒すな。攻撃をやめろ」
「はあ? じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
「理解しろ。そして、解放するんだ。あれは敵じゃない。救いを求めている、アキラの魂の叫びだ」
要の意識体が私の前に立った。彼は亡霊に対して攻撃的な意思を一切見せず、ただ静かに白銀の光の糸を紡ぎ始めた。
それは、亡霊の暴走する絶望の力を無理やり抑え込むのではなく、その周囲に穏やかで安定した空間を作り出すための、守りの光だった。
「舞台は整えてやる。お前は、お前のやるべきことをやれ。こいつの心をこじ開けろ。お前なら、できるはずだ」
要の言葉に、私は覚悟を決めた。そうだ。私のやり方は、いつもこれだったじゃないか。
私は攻撃的な光を全て収めた。そして、無防備な状態でもう一歩、亡霊へと近づいた。
「あんたの悲しみ、全部見せてみろよ」
私は両腕を広げた。
「妻を失った悲しみも、未来を縛り付けてでも同じ過ちを繰り返したくないっていう、そのどうしようもない想いも、全部私が受け止めてやる」
私の「白紙」の力は、どんな色にも染まることができる。あんたの絶望の色に一度染まってやる。
そして、その絶望の色ごと、私の無限の可能性の中に丸ごと包み込んでやる。
『……我を理解すると、言うのか。この、出口のない永遠の悲しみを』
「ああ。理解してやる。そして、その上で、あんたをそのくだらない絶望から引っ張り出してやる」
私がそう宣言した、その時だった。
私たちのいる虚無の空間に、どこからか温かくて優しい光が差し込んできた。
その光はゆっくりと美しい女性の姿を形作った。長く輝く銀色の髪。慈愛に満ちた穏やかな微笑み。
月詠ルナ。彼女の魂が私たちの声に、そして愛する人の魂の叫びに、応えてくれたのだ。
ルナの意識体はゆっくりと、絶望に凝り固まったアキラの亡霊へと近づき、その巨大な影を優しく抱きしめた。
『アキラさん。もう、いいんですよ』
彼女の、鈴が鳴るような美しい声が響き渡る。
『あなたのその深い愛が、未来の子供たちの可能性を縛る檻になってはいけません。私たちが本当に望んだ夢は、どんな未来が示されようと、子供たちが自分の意志で自分の物語を創り出していく、そんな世界だったはずでしょう?』
ルナの光が、アキラの亡霊をゆっくりと溶かしていく。凍りついていた絶望が、温かい涙となって溢れ出す。
『……ルナ……。私は、また君を失うのが怖かった……』
初めて、亡霊の声に悲しみ以外の弱々しい感情が混じった。
「大丈夫だ。あんたはもう一人じゃない」
私も彼らに近づいた。そして、私の「白紙」の力が固定化されようとしていた絶望の未来に、新しい可能性を次々と描き加えていく。
ルナを失った未来だけじゃない。もしも彼女が病を克服していたら。もしも二人が共に穏やかな老後を過ごせていたら。もしも二人の間に子供が生まれていたら。
そんな、あり得たかもしれない無数の温かい「もしも」の物語が、アキラの絶望を優しく上書きしていく。
黒い靄が少しずつ晴れていく。巨大な影はその姿を失い、そこには穏やかな笑みを浮かべた白衣の老人の姿が現れた。本来の星見アキラの魂。
彼は涙を流しながら、愛する妻、そして私たちを交互に見た。
『……ありがとう。君たちのおかげで、私はようやく長い長い悪夢から目覚めることができたようだ』
◆視点:天沢 要
星見アキラの魂が浄化されていくのを感じる。
俺が彼の暴走を抑えるために再構築した冷たく硬質な秩序の格子が、星野と月詠ルナの温かい光によって、柔軟でしなやかな、全く新しい秩序の形へと変質していく。
これは俺一人では、決して辿り着くことのできない世界だった。
俺が信じてきた完璧な論理と秩序は間違いではなかった。だが、それだけでは不完全だったのだ。
俺の作る完璧な世界の設計図には、常に一つの欠片が足りなかった。
その欠片こそが星野命。彼女の論理を超えた直感と、常識を破壊する無限の混沌。
俺は、ようやく本当の意味で理解した。
彼女は、俺の計画を狂わせる単なる「不具合」や「変数」ではない。俺の完璧な世界を真に完成させるための、唯一無二の「対なる半身」。
彼女がいなければ、俺の秩序はただの冷たい檻でしかない。だが彼女がいれば、その檻は無限の可能性を育む温かい庭になる。
浄化されたアキラの魂とルナの魂が、寄り添いながら俺たちに優しく語りかけてきた。
『ありがとう、星野命くん、天沢要くん。これで我々の魂は、ようやく本当の意味でこの学園と、未来の子供たちと共に生きていくことができる』
『長きにわたる我々の役目は終わった。これからのこの学園の未来は、君たち二人に託そう』
アキラとルナの光が一つに溶け合う。そしてその巨大な光の塊は、俺たち二人の意識体へとゆっくりと降り注いできた。
『最後に、我々からの祝福を。新たな時代の始まりの証として。君たちの星命図を我々の手で書き換えよう』
それは占星盤の新たな管理者としての任命の儀式。そして俺たちの、新しい物語の本当の始まりだった。
意識が急速に現実世界へと引き戻されていく。
光の奔流の中から、俺は最後に星野の勝ち誇ったような笑い声を聞いた気がした。
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