第3話
◆視点:星野 命
「約束通り、今回のことは見逃してもらう。それから、私のことを『観測すべき対象』として認めると言ったな。忘れるなよ」
私は天沢要に羊皮紙を見せつけながら、にやりと笑った。彼は、まだ衝撃から立ち直れないのか、複雑な表情で私を見つめている。その完璧なポーカーフェイスが崩れる様は、実に愉快だ。
「ああ、約束は守る。だが、勘違いするな。認めたのは、君のその得体の知れない直感の危険性だ。君は、この学園の秩序にとって、看過できない脅威になりうる」
「最高の褒め言葉だ。私の目標は、そもそもこの学園の秩序をひっくり返し、新しいルールを作ることだからな」
私たちが睨み合っていると、突然、禁書庫全体にけたたましい警報音が鳴り響いた。赤いランプが点滅し、壁や天井から防御用の隔壁が次々と降りてくる。
「な、何これ!?」
詩織が悲鳴を上げた。
「まずいな。あの装置から羊皮紙を取り出したことで、警備システムが作動したらしい」
要が冷静に状況を分析する。さすがは優等生だ。こういう時の頭の回転は速い。
「どうするんだ、天沢! あんたなら、これを止める方法を知っているんだろう!」
「無理だ。これは、占星盤に直接リンクしている最高レベルの警備だ。一度作動すれば、教官長クラスの権限がなければ解除できない。私たちにできるのは、完全に封鎖される前に、ここから脱出することだけだ」
隔壁が降りてくるスピードが、どんどん速くなっていく。出口までの通路が、刻一刻と狭まっていく。
「うわっ!」
焦った詩織が、床に散らばっていた古い書物に足を取られて転んでしまった。
「詩織!」
私が駆け寄ろうとした、その時。ガシャン、という轟音と共に、私たちの目の前に最後の隔壁が降りてきて、出口を完全に塞いでしまった。
「そんな……」
詩織が絶望的な声を上げる。これで、私たちは完全に閉じ込められてしまった。まさに、袋の鼠だ。
「……万事休す、か」
要が、壁を背にして静かにつぶやいた。彼の表情にも、わずかに焦りの色が見える。
「諦めるのはまだ早いだろう」
私は立ち上がり、周囲を見回した。出口がダメなら、別の道を探すまでだ。私の直感が、まだ終わっていないと告げている。
「別の道など、あるはずが……」
要が言いかけた、その時だった。私が手にした羊皮紙の紋様――『解放の花』が、ふわりと淡い光を放ち始めた。そして、その光は一条の筋となって、禁書庫の床の一点を指し示した。
そこは、一見すると他の場所と変わらない、ただの石の床だ。
「……ここだ」
私は確信を持って、光が指し示す場所へと歩み寄った。
「そこには何もない。ただの床だ」
要が訝しげに言う。
「あんたの目にはそう見えるだろうな。だが、私には見える。ここに、隠された道があるのが」
私は床に手を当て、意識を集中させた。羊皮紙の紋様から、温かい力が流れ込んでくるのを感じる。『束縛の茨』と対になる『解放の花』。その名の通り、この紋様には、封じられたものを解き放つ力があるのかもしれない。
「開け」
私が強く念じると、床に刻まれていた模様が光を放ち、石の床が音もなくスライドした。その下には、地下へと続く螺旋階段が現れた。
「隠し通路……だと?」
要が、信じられないといった表情で目を見開いている。詩織も、あんぐりと口を開けたままだ。
「ほら、行くぞ。長居は無用だ」
私は二人を促し、ためらうことなく階段を降り始めた。
階段の先は、古びた地下通路になっていた。壁には、松明が等間隔に灯っており、ぼんやりと先を照らしている。どこに続いているのか、全く見当もつかない。
「一体、ここはどこなんだ……。学園の設計図にも、こんな通路は存在しなかったはずだ」
要が、警戒しながら周囲を観察している。
「設計図にない道だからこそ、価値があるんだろう。誰も知らない道を進むのは、わくわくしないか?」
「君の感覚は理解に苦しむな。私にとっては、予測不能なリスクでしかない」
彼の言うこともわかる。だが、私にとって、予測不能なことこそが最大のチャンスなのだ。白紙の未来とは、そういうことだ。
しばらく歩くと、通路の先に、巨大な空間が広がっているのが見えてきた。そして、そこに足を踏み入れた瞬間、私たちは息を飲んだ。
空間の中央に、巨大な水晶のような物体が鎮座していた。それは、ゆっくりと明滅を繰り返し、まるで呼吸をしているかのようだ。そして、その表面には、無数の星々が、銀河のように渦を巻いていた。
「……占星盤」
要が、呆然とつぶやいた。
学園の心臓部。全生徒の未来を読み取り、『星命図』として可視化するアーティファクト。それが、こんな場所に、本来あるべき場所とは違う、もう一つの姿で存在していた。
「なぜ、こんなところに……。学園の中枢にあるはずの占星盤が……」
「こっちが、本物なんじゃないか?」
私が言うと、要ははっとしたように顔を上げた。
「どういうことだ?」
「学園にあるのは、いわばターミナルだ。そして、ここが、すべての情報の源泉。システムの本当の中心」
理屈はない。だが、目の前の光景が、そう告げていた。この場所こそが、星見森学園の最も重要な秘密。
私たちが占星盤に近づくと、その表面の星々が、ひときわ強く輝き始めた。そして、一つのイメージが、私たちの頭の中に直接流れ込んできた。
それは、この占星盤が作られた時の、遠い昔の記憶だった。一人の研究者が、人々の未来を幸福に導くために、このシステムを作り上げた。だが、彼は同時に恐れていた。未来を予言することが、人々の可能性を縛り付けてしまうことを。
だから、彼はシステムに一つの『安全装置』を組み込んだ。それが、『白紙』の星命図。
『白紙』は、測定不能の失敗作ではない。システムが、自らの予測を超えた、新しい可能性が生まれた時に現れる、特別なシグナル。そして、『白紙』の持ち主は、システムの予言を書き換え、新しい未来を創造する力を持つ『鍵』そのものなのだ、と。
「……これが、『白紙』の真実」
詩織が、震える声で言った。
私も、要も、言葉を失っていた。私が信じてきた、「白紙=無限の可能性」という解釈は、間違ってはいなかった。いや、それ以上の、とてつもない意味が隠されていたのだ。
◆視点:天沢 要
頭が、思考が、追いつかない。
目の前にある、もう一つの占星盤。そして、流れ込んできた、『白紙』の真実。
俺が信じてきたすべてが、根底から覆されていく。占星盤は完璧なシステムではなかった。未来は、絶対ではなかった。
そして、星野命。彼女は、システムのバグなどでは断じてない。彼女こそが、このシステムの創造主が遺した、最後の希望。運命を書き換えるための、唯一の『鍵』。
俺の星命図は、『北極星の資質を持つ』と示された。それは、システムの守護者となり、秩序を体現する存在になるということだと、信じて疑わなかった。
だが、もし、そのシステム自体が、書き換えられることを望んでいるとしたら?
俺の役目は、本当に、既存の秩序を守ることだけなのだろうか。
混乱する俺の横で、星野命は、目の前の占星盤をまっすぐに見つめていた。その瞳には、恐怖も、戸惑いもない。ただ、自らの運命を受け入れ、その先を見据えるような、強い光が宿っていた。
「面白い。実に、面白くなってきた」
彼女は、不敵に笑った。
「運命を書き換える力、か。望むところだ。私の手で、最高の物語を、このシステムに刻み込んでやる」
その姿を見て、俺は悟った。
俺が立つべき場所は、彼女の隣だ。
彼女という予測不能な『鍵』を、正しい方向へと導き、共に新しい秩序を創造する。それこそが、次代の『北極星』となるべき俺に与えられた、本当の使命なのではないか。
古い秩序の番人として、彼女と敵対するのではない。新しい世界の創造者として、彼女と共犯関係を結ぶのだ。
「星野命」
俺は、初めて彼女の名前を、はっきりと口にした。
「なんだ、天沢要」
「君一人の手に負えると思うな。システムを書き換えるなどという大それたことを、君のような破天荒な人間に任せてはおけない」
「ほう。じゃあ、あんたが手伝ってくれるとでも言うのか?」
「手伝うのではない。俺が、主導する。君はそのための『鍵』だ。俺の計画通りに動いてもらう」
もちろん、彼女が俺の計画通りに動くなど、ありえないだろう。だが、今はそれでよかった。
「ふん。誰が、あんたの言うことなんか聞くか。私がルールだ」
「ならば、力ずくで従わせるまでだ」
私たちは、占星盤の神秘的な光の中で、互いに視線を交わし、火花を散らした。
敵対しながらも、どこかで繋がっている。ライバルでありながら、唯一無二のパートナー。
この瞬間、俺と彼女の、奇妙な共犯関係が始まった。
白紙の運命を、最高の物語に書き換えるための、革命が。
「ところで、ここからどうやって出るんだ?」
私が尋ねると、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。
「さあな。何も考えていなかった」
「……だろうと思った」
俺は、深く、長いため息をついた。この少女と共に歩む未来は、決して平坦な道ではないだろう。だが、退屈だけはしない。それだけは、確かなようだった。
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