【第十一話】「王都の影」
吹雪の山を越えて三日後、俺たちはようやく人間の王都にたどり着いた。
雪解けの大河を背に広がる巨大な城塞都市。高くそびえる城壁は陽光を反射し、まるで純白の壁のように輝いていた。
本来なら、ここは魔王様が人間と結んだ“平和同盟”の象徴の地――世界でもっとも平和な場所のはずだった。
だが、街を包む空気は重く、沈んでいた。
門前広場には検問の兵が列をなし、通行人を一人残らず調べている。住民たちは怯えたようにうつむき、誰もが口を閉ざしていた。
「……厳重すぎるな」
俺が呟くと、隣でフードを深くかぶったアルトが低く返す。
「恐らく俺を探している。影の脱走者……いや、“魔王暗殺の容疑者”として」
ルナが険しい顔をする。
「完全に追い詰められてるじゃない。どうやって中に入るつもり?」
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◆
アルトは淡々と答える。
「俺にしか知らない道がある。王族を守るために作られた“裏道”だ。影として育てられた俺は、それを叩き込まれている」
俺は思わず眉をひそめた。
「……王城の裏道まで把握してるってわけか」
「影は王子と同じ命を背負う。暗殺者がどこから来るか、どう毒を盛るか、どの時間帯に狙うか……すべて先に学ばされる。だから俺は、王城の隅々まで知っている」
その声はどこか自嘲気味だった。
ルナが腕を組んで言う。
「便利な駒として徹底的に仕込まれたわけね」
アルトはわずかに笑って肩をすくめる。
「そうだ。だが今は、それが役に立つ」
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◆
俺たちは正門を避け、裏通りを進んだ。
表の華やかさとは違い、そこには貧民窟が広がっている。雪解け水に濡れた石畳は泥だらけで、子供たちが薄い布を巻いて震えていた。
「……ここ、昔は魔王様が復興支援した地区よね」
ルナが小さく呟く。
「ええ。あの方は、街の底辺から救っていった。けど……もうその影響は消えかけてる」
俺は拳を握る。
魔王様が十年かけて築いた信頼と絆が、暗殺によって崩れ去ろうとしていた。
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◆
アルトが立ち止まり、壁に隠された古びた鉄扉を押した。
ギィ、と鈍い音が響き、暗い地下への階段が現れる。
「……これが、影にしか知らされない抜け道だ。王城へと繋がっている」
「まさか、そんなものが……」
ルナが息をのむ。
アルトは振り返り、真剣な瞳で俺たちを見据えた。
「ただし忠告しておく。この中には俺と同じ“影”が配置されている。もし遭遇すれば……間違いなく敵になる」
冷たい風が吹き抜け、鉄扉の隙間から暗闇が覗いた。
そこに待つのは、影の同志か、敵か――。
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◆
その夜。
俺たちは裏道へ入る準備を整えていた。
だが、部屋の外から重い足音が近づき、宿屋の廊下に硬い声が響いた。
「王命により、宿泊者の検分を行う! 不審な者がいれば即刻報告せよ!」
ルナが息を呑む。
「まずい……もう動き出してる!」
アルトはフードを被り直し、短剣を手にした。
「この宿の者たちも巻き込まれる。騒ぎは避けるぞ」
俺は頷き、窓を開ける。
夜風が吹き込む中、兵の影が階段を上がってきた。
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◆
宿の扉が乱暴に叩かれた。
「開けろ! 検分だ!」
主人の怯えた声が返る。
「す、すぐに! 客人が……!」
アルトは壁際を走り、俺とルナに合図する。
「裏へ出るぞ。表からじゃ逃げられない」
俺たちは屋根伝いに移動し、裏路地へ降りた。
直後、部屋の扉が開かれる音が響いたが、俺たちの姿はもうなかった。
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◆
路地裏を抜け、アルトが先導する。
細い道をいくつも曲がり、ついに例の鉄扉の前へ戻ってきた。
周囲を確認し、錆びついた鍵を外す。
「行くぞ……ここから先は俺の領域だ」
アルトの声には、かすかな緊張が混じっていた。
暗い階段を降りると、湿った空気と冷たい石の匂いが漂う。
壁には古い魔法灯が等間隔で灯っていた。
誰かが定期的に手入れしている――そんな痕跡があった。
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◆
地下通路を進んでしばらくすると、空気が変わった。
鋭い殺気が走り、俺は反射的に剣を抜く。
闇の奥から、人影が一歩踏み出してきた。
「……やはり、来たか。アルト」
低く響く声。
現れたのは黒装束の男――アルトと同じ、“影”の者だった。
その眼差しには血のような紅が宿っている。
「兄弟子……」
アルトが苦々しく呟く。
「裏切り者を見逃すわけにはいかない。王都に災いを呼ぶ前に――ここで葬る」
冷たい刃が抜かれ、通路に殺気が満ちた。
俺は剣を構え、アルトに問う。
「こいつは……お前の知り合いか?」
アルトは頷き、短剣を構えた。
「“影”として俺を鍛えた男だ。だが今は――敵だ」
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王都の地下。
影と影が交わる闇の中、俺たちは新たな戦いへと踏み込もうとしていた。
【第十一話・完】
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