第30話「自由な命」

昼下がりの研究室。窓から差し込む光が、

机の上の設計図を淡く照らしていた。

俺――暁宗一郎は、ChronoSeedのニューモデル

開発の進捗について、澪に尋ねていた。


「進捗は20%。数字だけ見れば順調よ。」

と澪は言った。


俺は、すぐに言い返す。

「それって、“順調じゃない”こともある…ってことか。」


澪は少しだけ間をとって、次のフェーズについて語り始めた。

「……因果干渉領域の安定化。理論はある。でも、実証がないの。」


つまり、ここから先は未知の領域。

誰も踏み込んだことのない、時間そのものを扱うフェーズだ。


「未知っていうか、“誰もやったことない”領域。

 時間を扱うって、そういうことなのよ。」


それでも、澪の声には迷いがなかった。

むしろ、覚悟のようなものが滲んでいた。


「それでも、止まる気はないんだな?」

俺の問いに、澪は静かに、しかし力強く答える。

「止まったら、過去に囚われる。進めば、未来に触れられる。」


ChronoSeedは、ただの技術じゃない。

人類の時間地図における“座標”になる存在だ。

「……ChronoSeedが座標になる。人類の時間地図の。」


澪は頷いた。

「そのためには、知性だけじゃ足りない。覚悟も必要よ。」


俺は笑って言った。

「なら、俺は座標の外側を歩く。君が迷わないように!」


澪は一瞬驚いたように目を見開き、そして小さく尻尾を振った。

「……それ、ちょっとカッコいいじゃない……」


技術的な壁と、思想的な覚悟。ChronoSeedの開発には、

現在、それら2つの障壁が立ちはだかっている。


──場面は変わって、夕暮れの塾の一室。


障子越しに差し込む橙色の光が、畳の上に揺れていた。

そこには、2人の天才がいた。

最近は、彼と議論を交わす機会が増えている。


筆を置いた俺は、左内の顔を見て問いかけた。

「左内さん。CIOが“知性”を脅威とみなす理由、わかるかな?」


左内は少し考え、静かに答えた。

「彼らにとって、知力は制御不能な変数だ。

 特に医学の進歩は、命の定義すら揺るがす。

 だからこそ、彼らは“知ること”そのものを恐れているようだな。」


俺は頷いた。

「俺なんかはとっくに不要な変数として排除対象だと思うぞ。

 でも、俺たちが目指す新世界政府は、

 知性を武器じゃなく“座標”として扱う。

 命を守るための地図だ。医学もその一部だ。」


左内の瞳が鋭く光る。

「知を破壊のためではなく、

 構築と保護のために使うという思想の宣言だな。

 医学はその座標のひとつ――命を守る知の拠点であり、

 地図の中で重要な位置を占めるということか。」


俺は机の上に広げた蘭学書を指差す。

「この時代の医学は、まだ“治療”の域を出ていない。

 でも、俺は未来を知っている。遺伝子、神経、意識の構造。

 ――それらを理解すれば、命はもっと自由になる。」


左内は少しだけ笑った。

「つまり、CIOの敵は“自由な命”か。

 ならば、我々の医学は“解放の学問”であるべきだな。」


っと……ここで、ちょっとだけ断っておかなきゃならないことがある。

いや、別に偉そうに語るつもりはないんだけど、

俺がこれから話す内容、ちょっとだけ“あるある”な話なんだ。

だからこそ、先に釘を刺しておきたい。


まず、これは有識者――つまり、専門家とか研究者とか、

そういう肩書きのある人たちに限った話じゃない。

もっと広く、俺たちみたいな一般人にも、

案外当てはまることだったりする。


たとえば、誰かに何かを説明するとき。

どうしてあんなに小難しい言い回しや、

聞いたこともないような専門用語を使いたがるんだろう?

って思ったこと、ないかな?


俺はある。何度もある。

で、考えてみたんだ。理由は大きく分けて二つあると思う。


一つ目。

それは、説明してる本人が、相手の理解度をちゃんと

見極めてないってこと。つまり、難しい話をしてるとき、

隣にいる誰かが「うんうん」って頷いてるだけで、

「ああ、この人は分かってるんだな」って勝手に思い込んじゃう。

でも実際は、分かった“つもり”になってるだけだったりする。

無意識のうちに、理解した気になってるだけ。これ、けっこう怖い。


そして二つ目。

これはちょっと辛口になるけど――単純に、

説明する側の“伝える力”が足りてないってこと。

つまり、相手が分からないのは、聞き手のせいじゃなくて、

話し手のせい。 難しいことを、分かりやすく噛み砕いて伝えるって、

実はめちゃくちゃ高度なスキルなんだよ。

それができない人ほど、専門用語を並べて煙に巻こうとする。

「俺はこんなに詳しいんだぞ」っていう、

ちょっとしたマウントも混ざってたりしてね。


学生相手でも容赦なく、専門用語を連発する先生っているだろ?

あれ、まさにその典型。

教える気があるのかないのか、もはや疑問だけど、

本人は「これが正しい教育だ」とか思ってたりするから、

また厄介なんだよな。


……とまあ、そんなわけで、俺がこれから話すことにも、

ちょっとだけ専門的な言葉が混ざるかもしれない。

でも安心してくれ。できるだけ分かりやすく、

噛み砕いて話すつもりだから。

もし途中で「なんか難しいな」と思ったら、

それは俺の説明が下手ってことだ。

そのときは、遠慮なくツッコんでくれよな。


俺は紅茶を一口飲みながら言った。

「俺たちが目指すのは、知力による平和戦略。

 知力とは、何かに興味を持つこと。外見じゃなく、

 内面に宿る探究心だ。医学もまた、問いから始まるべきだ!」


左内は静かに筆を取った。

「では、まずはこの塾から始めよう。医学を“思想”として教える。

 命の意味を問い直す授業を作るんだ。」


俺は笑った。

「CIOが恐れるのは、知性の連鎖だ。

 俺たちが繋げば、彼らの“監視網”なんて意味を失う。」


障子の向こうで、風が静かに吹いた。


CIOの敵は“自由な命”……『自由』…『自由』な発想。

その発想の持ち主。

次はあの人か……宗一郎はぽつりとつぶやいた。

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