第三話 子猫
とくん、という心臓の拍動を感じながら、私も本当に部活へ行かなくてはと我に返る。
そうだ……ホームルームも遅くなったうえに日直だったんだから、早く行かないと。
空は黒く、今にも雨が降りそうな天気をしていたけれど、そんなことなどもう気にもならないくらいに、私の心には今の眞城くんの光景が浮かんで離れない。
勿論それは、純粋に体調不良を心配する思いもある。……だけど私はこの日、部活もいまいち集中することができず、「今日は雨が降るのかなぁ」なんていうバド部の子の言葉にも「そうだねぇ……」なんて曖昧に返事したことくらいしか覚えていなかった。
◇
……そうして、そんな帰り道。天気予報はばっちり当たることになる。
部活が終わっていつものように下校準備をしていると、空は真っ黒な雲で覆われて、空気は湿気を含んでどんよりと重く、既に小雨が降り始めていた。
サッカー部もちょうど今帰りのようで、視界の端にちらりと悠太が目に入る。だけど……なんとなく、今は会いたくない。
同じバド部の子に「そこまで傘一緒に入ってく?」と言われたのを丁重に断って、私は小走りで帰ることにした。
……
だけど途中からぽつぽつと雨足の強くなる雨は、あっという間に本降りの雨になる。
雨に濡れ始めた私は、通学路である大通りを抜けた先にある、細い小路の雑貨屋さんの前で少しだけ雨宿りをさせてもらうことにした。
「雨かぁ……。でも、今日は止まないよね」
誰に言うでもなく、私はぽつりと独り言を漏らす。今日は、夕方から雷を伴う大雨が降ると言っていた。……それは一晩続くとも。
変わりやすい天気は、まるで今の自分の心を映す境のよう。今日眞城くんにどきっとした反面、もう悠太とは、幼馴染だった頃には戻れないことを思うと悲しくなる。
……『佐野くん』。どうして私まで苗字で呼びはじめちゃったんだろうなぁ……なんて。
止まない雨と複雑な気持ちに、なんだか涙が出てきそうになるけれど、ぐっとこらえて前を向く。だけどそんな折、近くから「にゃぁ」という、柔らかい猫の鳴き声が聞こえてきた。
どこからするのだろうと辺りを見回すと、雨で視界は悪いけれど、雑貨屋さんから少し行ったところにある電柱の横に、確かに一つの濡れた段ボールが置いてある。
……まさかこのご時世に、こんな風に捨てる人なんかいる……?? そんな風に思いながらも近づくと、段ボールには大きくマジックで『誰か拾ってください』と書かれている。そろそろと開けてみると、その中には小さくて真っ白な子猫が一匹、雨と寒さに震えながら入っていた。
「うわぁ……かわいい……! けど……、どうしよう」
『拾ってください』という、この文字……完全に、捨て猫のよう。だけど今の私は傘もなければ、家がペット禁止のマンションなので飼うこともできない。
……こういう時って、どうしたらいいんだっけ。警察……いや、保健所に連絡……?
おろおろしながらも、とりあえず濡れないようにとかがんでその子猫を抱きかかえると、綿のように軽くて、かわいくて、びっくりする。できることなら飼ってあげたいんだけどなぁ……と思いながらも、どうしたらよいものかと、なんとなく心細くなる。ひとまず先ほどの雑貨屋さんの屋根の下に戻って雨だけでも凌げないかと考えていると、突然、私の前に傘の影が落ち、雨が、遮られた。
はっとして振り返ると、そこにいたのは悠太……ではなく、眞城くんだった。一瞬、もしかしたら下校時にちらりと見た悠太なんじゃないかと思った私は、心の中で小さく、眞城くんにごめんねと思いながらも、驚きが隠せない。
さっき見た、眞城くん。剣道が強くて、体調が悪そうだったあの表情を思い出す。
今、目の前にいるのは……その、本物の眞城くんだ……
制服姿にマスクをした眞城くんは、自身がさしていた傘を私に差し出してくれていた。
「……白川さん、これ」
「……あの、」
「傘。使っていいよ。猫……濡れてるんでしょ」
「でも……そしたら眞城くんが………あっ、ちょっと待って……!」
眞城くんは半ば強引にその傘を私に手渡すと、自身は雨に濡れながらさっさと帰っていってしまったのだ。今まで殆ど接点もなかったのに、先ほどどきっとしてから、こんな風にして再会するなんて。
だけど今日彼は、体調不良で部活を早退していた。……誰かが、眞城くんは熱がありそうだと言っていた。あの時の頬を紅潮させ、まつ毛を重たそうに半分閉じた眞城くんの姿を思い出す。
……っ、
あの表情を思い出すたびに、私の胸はどきんとする。
でも……そうだよ、だから今、制服姿にマスクをしていたんだ。暗くて今の顔色まではわからなかったけど、もしかしたら病院の帰りとか何かだったのかもしれない。体調が悪い中雨に濡れて帰ったら、きっと、もっと悪化してしまう。
そう考えた私はあわてて段ボールをたたんで子猫を抱きかかえ、雑貨屋さんの店主に一言「ありがとうございました」とだけ告げると、その後ろ姿を追いかけたのだった。
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