22話「参謀、“祝福=遮断”の黒歴史を掘り起こす」

 ――同日・深夜。首都・中央政庁の裏手、石畳の路地。


「作戦名は“耳の黒歴史ホリホリ”。目標は副書庫の“祝福運用史”。合図はミント。くしゃみで早送り停止」


「最後だけ家庭的なトラップなのよ」


 参謀リリアは、いつもの黒外套にフライパンホルスターを追加装備。

 巫女エルノアは白衣の裾をまとめ、袖には携帯砂フィルムの筒を差している。

 頭上をツバサ丸が一旋回し、指で三回クル・クル・クルの合図。潜入開始。


 政庁地下の副書庫入口には、謎の掲示が貼られていた。


〈静粛:ささやき声以上回覧印未満〉


「音量の単位がおかしい」


「ここでは回覧印が“うるさい”の基準です」


「確かに“ぱん、ぱん”ってうるさい」


 リリアは通行札をカチャリと差し込み、そっと扉を押す。

 石造りの廊下、棚の匂い、灯りは最小。詰所の司書が睡魔の香に負けて首をカクン、カクン。


「起こす?」


「二くちばしツンで低刺激に」


 ツバサ丸が司書の肩へ音もなく降り、ツン、ツン。

 司書は「回覧……は……あとで……」と寝言を言い残し、首の角度だけ静音モードに修正した。便利。


 ※※※


「目的書架はこちら。“軍用祝福史/戦時通信妨害”」


 エルノアが棚番号を指し示す。

 リリアは手袋をきゅっと締め、革背の大判を引き出した。


「砂フィルム、投影開始。早回し入れます」


 エルノアが短い呪文を唱え、筒から砂が薄膜になって浮き上がる。

 古文書の行間が砂に転写され、画面みたいにカタカタとページが自動で進み始めた。


「速度三。四。五――へっくしゅん!」


 ピタッ。

 止まった。


「ほんとに止まるのかくしゃみで!?」


「生活魔術です。くしゃみは“再生停止”に相当」


「再生は?」


「へっ……へっ……へーっくしゅん!!」


 ウィーン

 逆再生した。


「逆!? 逆はやめて! さっき見たとこに戻っちゃう!」


 いったん落ち着いて、鼻をつまみ、“くしゃみ無し”で指先スワイプ。

 砂膜に、太いタイトルが現れる。


『祝福・遮断式の規格(戦時)』

――敵性言語の意味差分を検知し、耳前でノイズ化せよ

――士気低下語彙に黒点を、動員語彙に白点を付すこと


「……“祝福=遮断”。軍用じゃない」


 エルノアの声は小さい。けれど決定的だった。

 さらに砂膜がページを送る。実施例の図。魔族の歌声、演説、和解の呼びかけ――“危険語彙”として黒点指定。


「“聞かせないための祝福”……私、儀礼の現場で何度も聞いた言い回しです」


 声の主に、二人は振り向いた。


 廊の陰に、修道服の影。

 フードを外したのは、若い修道女――セレス。肩には古書が一冊、袖口から携帯回覧印がぴょこんと覗いている。


「あなたが、セレス」


「内規違反を重ねる覚悟はあります。教会にも“開耳”を望む人がいる」


「望むだけで動かない人の方が多い。動く方に来て」


 リリアが即答すると、セレスはわずかに目を丸くし、すぐ頷いた。


「これを。儀礼転用の初稿――“遮断式を儀式に置き換える際の注意”」


 砂膜に、新たな文書が重なる。


『祝聴式(案)』

祝福は元来、耳前の“選別”であった。

平時運用では選別範囲を縮小し、**“開耳(かいじ)”**を原義とする再定義が望ましい。


「“祝聴”……」


「でも、現行は改悪のほうが通ってます。“称号維持のための遮断”――」


 セレスの指が震え、袖から携帯回覧印がぽとりと落ちた。


「癖で……すみません。すぐ押したくなる癖が」


「回覧依存症では?」


「否定できない……」


 リリアは彼女の手首を軽く押さえ、携帯印を逆さにして戻した。


「逆押しは“無効化”です。押すならこっち」


「白印……!」


 頬がふっと緩む。

 エルノアは砂膜を指で拡大し、欄外の備考を読む。


「ここ。“冷却媒体を加えると遮断域が緩む”」


「ミント……冷やせば開く」


 リリアと目が合う。

 “ミント作戦”の仮説が、黒で確かになった瞬間だった。


 ※※※


「巡回、来る」


 ツバサ丸がクルと短く鳴き、廊の角をくいと示す。

 香の匂いが濃くなる――睡魔強め。司書交代で目が鋭い。

 リリアはフライパンをすっと構え、セレスは袖から祈り本(薄い)を取り出す。


「“静粛:ささやき声以上回覧印未満”の遵守で」


「回覧印未満、守ります」


 巡回司書が現れ、眉をひそめる。


「夜に何を――」


 リリア、即座にフライパンの縁をちーん。

 睡魔の香・位相ずらし。

 司書のまぶたがす……と半分落ち、声量がささやき未満に落ちた。


「……在室、祈り中、回覧印中……?(ぼそ)」


「掲示札の三段スライダーは後ろです」


「……(こくり)」


 司書は静音モードで去っていった。

 セレスが「生活魔術って……」と呆れ半分の尊敬を漏らす。


「生活魔術最強」


 ※※※


「写し、取ります。異動前に空路で出す」


 エルノアが砂フィルムの写しを二本作る。

 一本は“遮断式の軍用起源”、もう一本は“祝聴式(案)と開耳の再定義”。

 リリアは小さく舌打ち。


「参照番号に“壊滅報”がまた使われてる。二重支柱、ここにも」


「……“旗のない敵”が便利だったの、書類にも出てますね」


 セレスの顔が曇る。袖の中で、携帯回覧印がぴょこんとまた覗く。


「ダメ」


「はい。白印で押します」


 彼女は小さな白印でぽんと砂膜の角に印を残した。

 無効化の印。逆押しは、ここから広がる。


 ツバサ丸が肩へどすんと着地し、爪で**『至急』を連打**。

 リリアが笑って頷く。


「**至急(連打)**ね。じゃ、飛ばして」


「クルクル(了解至急)」


 羽音。砂の舞い。暗い天窓へ、影がふわりと抜ける。


 ※※※


 撤収の前、リリアは砂膜の一節をもう一度、指でなぞった。


祝福は、耳前で遮る術ではなく、耳奥で“開く”術へ。

祈りは聞くためにある。


「開耳の儀……作れそう?」


「作ります。UIから」


「UIから!?」


「“どこで、どう立ち、どう鳴らすと耳が開くか”。動線と矢印から始めます。希望の工学」


「出た、最近よく出るやつ(二回目)」


 セレスが口元に笑みを浮かべ、袖から携帯回覧印……ではなく、小瓶を出した。


「ミント水。祈りの前に一滴、舌に。冷却の祈りが通りやすくなります」


「あなた、完全に改革派ね」


「……回覧印依存ですが、がんばります」


 三人は小さく笑い合い、そして一気に真顔へ戻る。

 廊の先から、回覧印の塔を押してくる車輪音――第三部の夜間担当だ。時間切れ。


「撤退。足跡は白印で消す」


「白印、万能……!」


 フライパンの背ですっと床に白い印を引き、足跡の縁をぼかす。

 “静粛:ささやき声以上回覧印未満”の札に、リリアが小さく白印をぽん。

 掲示がちょっと優しく見える。


 ※※※


 路地に出ると、夜風。

 アランの共鳴木の姉妹みたいな小さな風鈴がからんと鳴り、遠くの聖堂の鐘はまだごぉと低く唸っている。


「黒歴史:祝福=遮断。証拠は取った。開耳の儀の根拠も」


「朝鐘ネットで、開耳のテンポを全域に配れば――」


「“耳は武器に非ず”が、紙じゃなくて音で広がる」


 リリアはフライパンをくるりと回し、持ち手に新しい割り箸をガムテで装着した。


「次の目的地は聴問会。そして大聖堂。

 “遮断の儀”を、“冷却=開耳”にすり替える段取りへ」


「ミントの出番……ですね」


「生活魔術の総仕上げ」


 ツバサ丸が上空でクルと一声。

 ラズヴァルドからの短い返書が、結び目に揺れている。


受領。開耳の儀、設計へ。

“耳の権利章典”、次回提出。


「――行こう」


 三人は夜の石畳を蹴って歩く。

 耳の前で止まっていたものを、耳の奥へ。

 “祝福”の言葉を、聞かせないから聞かせるへ。


 合図は、ちーん。

 UI矢印は、ミント色。

 くしゃみは、一時停止。


(つづく)

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