第18話「魔王、首都で“公開質問”する」
――停戦四日目。人間国・首都。
中央広場に臨時の壇が組まれ、白布の天幕がはためいていた。正面には“公開討論会”の横断幕。脇には「回覧印受付」の小机。回覧印の朱肉が、もう開会前から三つ乾きかけている。
「揺れますね、この壇」
参謀リリアが足元の金具を軽く蹴ると、木組みがぎしと鳴った。
すかさず石職人アランが前に出る。
「釘の角度が甘い。三分くれ」
「二分で」
「よし、二分で」
アランは腰袋からくさびと小ハンマーを抜き、トントンと打ち込む。木目がきゅっと締まり、壇の震えが消えた。周囲から小さな拍手が起きる。
「開場前から拍手を取る職人、強い……」
リリアは淡々と木箱を開け、木版スライドを順番に並べていく。表紙には大書で――
『黒角旅団 壊滅報(年号改ざんの痕跡)』
『混成隊出動記録(人魔連名)』
『勇者広報予算 明細(参照番号の連鎖)』
『図表:B.T.I.(便所戦術介入)と世論の相関』
「最後のタイトル、やめない?」
「事実です」
ラズヴァルド(魔王)は喉を整え、ミント味ののど飴をひとつ噛み砕く。
天幕の梁から、ツバサ丸が軽やかに降りてきて、肩に水鏡中継器を据えた。
「クル(放送準備)」
「よろしく、世界の肩乗りカメラ」
前列には市民、後列には官僚と神官。壇の向かいでは、第三魔族対策部の面々が長机に並ぶ。中央には、もちろんマルク=ベロナ。資料は逆さ。
「本日は“意見交換の場”である。攻撃的な言葉は慎むように」
司会がそう述べると同時に、回覧机でぱん、ぱん、ぱんと回覧印が回り始めた。印影が紙上で無限に増殖していく。
「回覧、会の半分、食ってません?」
「儀式ですから」
リリアのひと言で開会。ラズヴァルドが一歩進み出る。
「魔王ラズヴァルド=ネヴァンだ。本日は三つ、公開質問を持ってきた。まずは“事実”の確認からだ」
リリアが木版を上げ、ツバサ丸の水鏡がズームする。
「ひとつ目――黒角旅団 壊滅報。年号は十年前。だが、削膠で浮いた跡は“十一→十”。“壊滅”の年が若返っている」
ざわめき。
司書服の男が眉根を寄せる。後列の神官が何か囁く。壇の脇でアランが腕を組み、静かに頷いた。
「ふたつ目――混成隊出動記録。討伐は人間と魔族の連名。敵は“黒角”、国家ではない」
さらにざわめき。
ラズヴァルドは視線を巡らせ、落ち着いた声で続けた。
「みっつ目――勇者広報予算 明細。祈祷映像、奉仕行脚、神像前清掃……すべての根拠欄が、なぜか“壊滅報”を参照している。
――脅威が消えた報告を、脅威の根拠に使うのは、どこの会計術だ?」
会場に、笑いともため息ともつかない気配が走る。
マルクが咳払いして立ち上がった。
「えー、我々は、想定外を想定内に収める動的予算編成を採用しており――」
「次のスライド」
リリアが木版を切り替える。
現れたのは、グラフ。縦軸に世論の好感度、横軸に時間。そこに**“B.T.I.”(便所戦術介入)発生回数**が重ねられ、逆相関がくっきり。
「図表:B.T.I.と世論の相関。勇者がトイレに突撃するほど、好感度が下がる。これは世界の心理の問題だ」
「タイトル、ほんとやめない?」
「事実です(二回目)」
笑いが広がる。
ラズヴァルドはそこで、一拍置いてから正面を向いた。
「――では、公開質問その一。
“黒角旅団の壊滅年を改ざんした者は、誰だ?”」
沈黙。
回覧机では、ぱん、ぱん、ぱんと印が回り続ける。司会が困ったように書類を積み替え、時間を稼ぐ。
「公開質問その二。
“敵の旗がないのに勇者制度を継続した理由は、何だ?” “誰の利益だ?”」
壇上の神官が口を開きかけ、隣の官僚が肘で止める。マルクは逆さの資料をさらに逆さにして、正位置に戻すという高度な対応で時間を溶かした。
「公開質問その三。
“耳に祝福を義務づけるなら――誰の声を、誰が選別する?”」
広場の空気が、はっきりと変わる。
後列の若者たちが互いに目配せし、前列の老婦人が小さく頷いた。
その時だった。
人混みの中、白銀の肩がひとつ動く。勇者フェリクスが、静かに左耳へ手を上げ――聖印の耳飾りを、自分で外した。
コトン。
小さな音が、やけに大きく響いた。
エルノアが隣で目を閉じ、ほんの少しだけ笑う。
「……ラズヴァルド。続けろ」
勇者の声は、砂嵐なしで、まっすぐ飛んだ。
場内がざわめき、ツバサ丸の水鏡に**#耳を外した**の文字が手動で貼られる(誰の仕業だ)。
マルクが慌ててマイク(声の拡張術具)を握る。
「討論は討論、儀礼は儀礼! 本日は意見交換であり、断罪の場では――」
「断罪を望んでいない」
ラズヴァルドは静かに首を振った。
「俺が望むのは署名だ。
“剣ではなく署名で針を戻す”――協定を。王冠の権能の分散を、公開の儀式に割り振る。朝の鐘を鳴らすだけで針が戻る仕組みを、共同で作る」
リリアが最後の木版を掲げる。
“代替バランサー”“境界の共同管理”“朝鐘儀礼(仮)”。
荒削りだが、矢印は“対立”から“共有”へ動いている。
「ここで、署名を呼びかける。魔族と人間の代表、いまこの場で――」
「手続きが必要だ!」
マルクが叫ぶ。
回覧机の官吏たちが回覧印をさらに積み上げ始める。ぱん、ぱん、ぱん、ぱん――印影が十、二十、三十と重なり、用紙が塔になっていく。
「回覧印ループに入りましたね」
「想定内です」
リリアが懐からフライパンを取り出す。
係員が二度見する間に、彼女はフライパンへ一分砂を流し、縁に針を立てた。
「可搬署名タイマー起動。一分で“仮同意”を取ります。回覧印はあとで押しておいてください」
「そんなのが通るか!」
マルクの抗議を、からん、と澄んだ音が遮る。
アランが壇の袖で、木槌を置いたついでに梁をもう一本増し打ちした音だ。
会場から自然な拍手が起こる。
「手続きは、あとで整える。まずは意志だ」
ラズヴァルドが一歩、前へ。
観客席の最前列、村の代表が立ち上がる。次いで、商人ギルドの書記。港の労働組合の若い衆。老舗のパン屋。人の波のあちこちで、一分のあいだに、掌が上がる。
フライパンの針がちーんと落ち、小さな鐘音が鳴った。
「――仮同意、受領」
リリアが淡々と告げる。
ツバサ丸が「クル」と短く鳴き、鏡の向こうに**#公開質問**、#署名で針を戻すの手書きタグが踊る。
マルクは顔をひきつらせ、なおも言い募った。
「本日のこれは茶番だ! 魔王の詭弁に惑わされ――」
「じゃあ、詭弁かどうかは耳で判断しよう」
フェリクスが席を離れ、壇の下へ歩み出る。
耳には、何もない。
彼は司会から拡張術具を受け取らず、そのまま素の声で言った。
「俺は、聞く。聞いて、決める。剣を置いたあとで、もう一度、決める」
広場のどこかで、砂時計がひとつひっくり返る音がした。
たぶん、子どもだ。いい合図だ、とラズヴァルドは思う。
……空が、きしんだ。
天幕の向こう、首都の聖堂から鐘の試し打ちが聞こえた。
低く、嫌な響き。回数が多い。
司会が顔色を変え、使者が息を切らして駆け込む。
「至急! 教会上層、“聖戦月間”前倒しの決定! 週明け予定を――明朝に!」
「明朝!? “月間”なのに準備、一晩!?」
リリアのツッコミが空を裂く。
使者は続ける。
「併せて、“勇者たる者、耳に祝福を携えること”の厳格運用! 違反の者、称号剥奪儀式へ!」
広場が揺れた。
フェリクスは反射的に左耳に手を伸ばし――耳には、何もない。
彼は、その手を、拳ではなく掌に変え、ラズヴァルドの方へ向けた。
「――朝の鐘を、俺は鳴らす。
剣より先に、耳を」
アランの木槌がからんと鳴り、ツバサ丸が翼を広げた。
リリアはフライパンの砂を集めながら、小さく呟く。
「次は、十いけます」
「根拠は?」
「**希望の工学(二回目)**です」
マルクの回覧塔が、がたがたと揺れ、印影が一枚、風に舞った。
ミント色の短いリボンが天幕の端ではためき、広場じゅうの目が――鐘の方ではなく、壇の方を向いていた。
――“月間”の鐘は、明朝だ。
それでも、朝の鐘は、いま、ここで鳴っている。
(つづく)
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