第2話「魔王、退職を考える」
――翌朝。
魔王城・執務室。
「……リリア。俺、もう辞めてもいいかな」
「それ、今週に入ってから三回目です」
魔王ラズヴァルドは、頭にアイスノンを乗せたまま、机に突っ伏していた。
背中には「勇者にぶん殴られた痕」がしっかりと残っている。昨日、名乗りかけたところを問答無用で吹き飛ばされた記録は、今も鮮やかだ。
「俺、魔王じゃなくて……なんだろう、羊飼いとかになりたい」
「なぜ急に牧歌的に?」
「ほら、魔界にもあるだろ? ヒーリング系スローライフ」
「ないです」
「つらい……」
魔王は再び机に顔を押し付けた。
ここ、魔王の執務室には、書類の山が小山を築き、隅には「破壊された城門の修繕計画書」や「魔族生活復興予算案」などの人間でいうところの市役所仕事がぎっしりと詰まっている。
そう、勇者が来るたびに壊されるのは、魔王の身体だけではない。建物も、民心も、予算もだ。
「俺がこの職についたときは、世界を背負う覚悟をしてたんだよ。たぶん、いや、まあ半分くらいは」
「前魔王様の突然の退職劇からの繰り上げ即位でしたからね……」
「あれ、辞表が雷で飛んできたのが最初で最後の王命だった」
「新手の暗号かと思って解析班が半年かけたの、未だに思い出すと泣けてきます」
そして、その雷辞表が命中したのが当時まだ学生だったラズヴァルドである。
それでも彼は真面目に魔王業に取り組んできた。
魔族の生活水準向上。
他種族との平和協定案の提出。
勇者襲来による被害想定マニュアルの配布。
――だが、それらの努力をすべて剣でぶった切る男がいる。
そう、勇者フェリクスである。
「そろそろ“倒される魔王役”じゃなくて、“倒されなくてもいい魔王役”に転職したい。どうすればいい?」
「えっと……まず“人間に転生”ですね」
「ハードル高すぎん?」
「じゃあ、せめて“敵対関係の解除”を」
「話を聞かない奴にそれ言ってもなぁ……」
と、そこへ執務室のドアが控えめにノックされた。
「魔王様、アランさんがいらしております」
「ああ、門の件でか。通して」
入ってきたのは、年配の魔族・石職人のアランだ。彼は深々と頭を下げながら、壊れた門の設計図を抱えている。
「魔王様、昨日の件、気にされずとも……また、彫り直します」
「すまんな、毎回巻き込まれて」
「いえ、これはもう……風物詩というか、季節行事というか」
「いや、そう慣れられても困るのだが……!」
ラズヴァルドは苦笑いした。
アランのような、被害に遭いながらも諦めずに日々を送る魔族たちを見るたびに、辞めたい気持ちは揺らぐ。
「今度の門には、“勇者対策機能”をつけようかと」
「勇者が来たら自爆する門とか?」
「いえ、むしろ“抱きしめる門”にしてみようかと」
「斬られるな、それは逆に即斬られるな」
「“おかえり、勇者くん”って刻んだ暖簾風デザインは?」
「茶屋か?」
「可愛いかなって……」
「勇者は茶屋も斬るよたぶん」
アランが苦笑しながら退出すると、ラズヴァルドは再びソファに倒れこんだ。
「……リリア、俺、今日だけでもいいから“休暇”もらっていい?」
「スケジュール的に……可能です。というか、ようやく“人間界視察”の許可が下りました」
「おお、マジで?」
リリアは手帳を開きながら説明した。
「本日、人間界西部の“ガレ村”にて、定期交流会があります。“魔族のイメージ改善”を目的とした、非公式の催しですが」
「そこに俺が行けば――勇者も来ないし、ゆっくり休める……?」
「……たぶん」
「“たぶん”が怖いなぁ!」
魔王は立ち上がり、すぐに準備を始めた。
「こうなったら、俺は今日こそ、心の平穏を手に入れる!」
「お気をつけて、魔王様。念のため、スリッパは履き替えてください」
「もちろん。今日は外出用の“鋼鉄スリッパ”で行く。足元から防御だ」
「無駄に堅いですね」
かくして――
魔王ラズヴァルドは“人間界初視察”へと向かうのだった。
彼が知らぬところで、その村にはすでに――勇者フェリクスも向かっていたという事実も知らずに。
⸻
(つづく)
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