第4話 初契約
新チームのリーダーは【星名課長】。
スキンヘッドに広い肩幅。お腹が出ているが
ガタイがよく見える。メガネをかけているが、見た目は強面だ。
星名課長の方から声を掛けてくれた。
「おう!成田選手!調子はどうだ?」
見た目は強面だが、笑顔は優しそうだ。星夜は「まあまあです。」と答えた。
突然だが、【長嶋茂雄】さんと【中畑清】さんはご存知だろうか?共にプロ野球の人気球団、『読売巨人』のスーパースター達だ。
長嶋さんは栄光の選手時代を終えた後、長く巨人の監督を務めた。監督時代に、当時まだスターになる前の新人だった中畑さんに、
「よう!清、調子はどうだ?」
とよく声を掛けていたそうだ。どんな状況でも「絶好調です!」と答える様にと言われた中畑さんは、以後、事あるごとにそう答えたという。ポジティブな声を発する事で、自分の気持ちも前向きになっていくらしい。星名課長がその話をしてくれた事を機に、星夜も以後、
「絶好調です!」と答える様になった。
星名課長は、とにかく営業しない。
「膝が痛いわ。」とよく言っていたが、
それだけ太ってて歩きもしないんだからそりゃそうなるだろう。星夜は内心そう思っていた。その代わりに人の事を良く見ている。星夜の事も、とにかく頑張って歩いていて、訪問件数だけなら誰よりもやっていると聞いていたのだろう。時間目一杯、営業を掛けていた星夜は、スローペースな星名課長の下で『考えること』を学んでいく事となる。
星名課長はとにかく話が上手い。強面の見た目から一転、話すと凄くフレンドリーな為、お客様もそのギャップに心を許す様になるのだろう。実際にやってみせる姿を見せてくれた。「一生懸命に訪問件数を増やす作業はこれからも続ければ良い。君の長所なので足を止める必要はない。但し、1件の面談にもっと深く集中する事。そしたらその訪問件数が10分の1になってもヘトヘトになるよ。」
星夜は、痛いところを突かれた気がした。新人の自分はとにかく場数を踏む事が重要と捉えていたからだ。
しかし、100件の訪問より、10件の『面談』で成果があがるのであれば、遥かに効率が良い。星名課長からも沢山の事を教えてもらった。
あげるとキリがないが、最も印象強く残ったのが『考えること』だ。それから数ヶ月。星夜の初契約が近づいていた。
その瞬間は、星夜が入社して8ヶ月後に突如訪れた。いつもの様に自分の担当エリアを訪問していた星夜は、何度訪問しても留守でお会いできなかったお客様にたまたま会えたのだ。
【大道様】というそのお客様は、80代後半のご主人が娘さんと一緒に住んでいる。聞けば、対応するのが面倒でずっと居留守を使っていたそうだ。
「あんた何度もうちに来てるよな?要件は?」
星夜は、大道様が所有している借家もだいぶ築年数が経っているので、建替えて相続税対策をするお考えはないかを確認した。
この『相続税対策』とは、不動産資産や金融資産等が数千万円以上ある場合、その家の家族構成にもよるが、所有者が亡くなってしまった場合に、残された後継者が国に税金を納めなければならない。
大道様のところでは、総資産が億を超えていて、尚且つ相続人が少ない為に、多額の納税が必要になる事を星夜は事前に把握していた。
それでも大道様は、「まあ、ええわ」
と星夜をつっ返そうとした。
しかし、この日の星夜は何を言われてもめげない。
「建替えの提案を聞く気が無いのであれば、相続税が実際にどれぐらいかかるかの試算だけさせてください。それは、大道家にとって必ずお役にたちます。」
堂々としているが丁寧な言葉使い。何となく誠意が伝わったのか、名寄せ取得の委任状にサインをしてくれた。この『名寄せ』とは、お客様の所有している土地とその土地の評価額が全て明記されており、お客様がサインした代理人の委任状があれば、最寄りの役所で原本を出してもらえるのである。より詳細に相続税額を試算するのであれば、他にも金融資産や借入(借金)があるかどうか等も情報としては必要になるが、金融資産については誰しも中々簡単には教えてくれないものだ。星夜はこの委任状の取得と家族構成を聞き出し、次回のアポをとってその日は帰る事にした。
少し離れた場所に停めた社用車に戻る帰り道に、歩きながら星夜は不思議な胸騒ぎを感じていた。このお客様、今までお会いした人の中で1番良いのではないか…。1番良いとは星夜の感覚の話の為、詳細な説明が難しいが、何となく契約の可能性があるのではないかとぼんやり想像していた。
直ぐに星名課長に報告の連絡を入れた。
翌日、事前に訪問する事をお客様に伝えていた星夜は、星名課長と大道様宅を訪れた。普通に玄関まで出て来てくれた大道様は、
「おう、昨日の成田君か。上司を連れて来てもまだやるとは言ってないぞ。」
星夜はこの言葉を聞いた時に、昨日の胸騒ぎが確信に変わった気がした。お客様は話を聞く気がある。しかも今回は先に名寄せも取得出来ていて、大道家の資産背景がわかった上で商談が出来る。そこに商談上手の星名課長が説明してくれる。可能性が十分にある事だけは星夜にもわかった。
大道様への挨拶が済んで、星名課長と帰り道を歩いていたら、
「この案件、今までで1番良いね。頑張ろう!」星名課長はそう言ってくれた。
この案件は、そのままトントン拍子で契約まで進んだ。このお客様に出会う迄に、星夜はおそらく何万人の家の門を叩いただろう。これまでの苦労が嘘の様にあっという間に決まった。
星夜が大道様に出会ってから2週間でのスピード契約だった。
星夜はこの日の事を覚えているようであまり覚えていない。契約には神島副支店長も来てくれたが、この初契約はほとんどの事を星名課長がやってくれた。
但し、大道様からの
「これからしっかり頼むよ。」
という言葉だけは脳にインプットされている。大道様はその後も元気に生き続けてくれて、
これでもう安心だと言って、新築のアパートが完成した7年後に96歳で亡くなった。
星夜は今でも、大道様の事をはっきり覚えている。
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