​第11話 信じる者の夜

夕食を終え、団らんの時間を過ごしていたその夜。

​ 

 玄関のドアが静かにノックされた。リナが「はーい!」と元気よく返事をしてドアを開けると、そこに立っていたのは、僕たちの担任ロッド先生だった。

​ 

「ロッド先生だ!」

​ 

リナの嬉しそうな声に僕も驚いて立ち上がる。先生は僕たちを見るなり安堵の表情を浮かべた。その顔には街での激しい戦闘の疲れが色濃く残っている。ヴォルグザールさんと対峙したのだから当然のことだろう。

​ 「リオン! リナ! 無事でよかった。生徒全員の無事を確認していたんだ。君たちのことが心配でいてもたってもいられなくてね」

​ そう言って優しく微笑む先生。街では僕たちと敵対していたはずのヴォルグザールさんと戦っていた先生が、僕たちの心配をしてわざわざここまで来てくれたことに、胸が熱くなった。

​ 

「はい! おかげさまで私たちは無事です!」

​ 

 リナが元気いっぱいに答えると僕は先生の温かい心遣いに感謝しながら深く頭を下げた。

​ 

「わざわざ、ありがとうございます」

​ 

 僕がそう言うと先生は少し照れたように笑う。

​ 

「礼には及ばない。だが、ヴォルグザールの足取りがヒダマリ村に向かっていたから心配で見に来たのだ」

​ 

 その言葉を聞いて、おじいちゃんが静かに頷いた。ロッド先生は少し困ったように付け加える。

​ 

「それにまだ街は魔王軍の件でごたついていてね。学校もしばらくは休校になりそうだ」

​ 

 先生は僕たちをじっと見つめ静かに続けた。

​ 

「よければ、少しの間この村に滞在させてもらえないだろうか? ゼルファス殿と話したいこともあるし私にできることがあれば君たちの力になりたい」

​ 

 僕たちは顔を見合わせ心から嬉しくなった。信頼するロッド先生がこの村に来てくれるなんてこれほど心強いことはない。

​ 

 夕食後、リナがロッド先生を客間に案内した。僕はおじいちゃんとロッド先生がまだ話していることを知っていたから自分の部屋の扉の前でこっそり耳を澄ませる。扉の向こうから聞こえてくる二人の声に僕は釘付けになった。

​ 

「…ゼルファス殿。本題に入らせていただいても?」

​ 

 ロッド先生の真剣な声が凍った湖に石を投げ入れたように静寂を破る。おじいちゃんは姿勢を正した。

 「ああ。君がわざわざここへ来たのはただ生徒の安否を確かめるためだけではないだろう」

​ 

 その言葉にロッド先生は深く頷き懐から古びた羊皮紙を取り出した。

​ 

「実は、師匠からあなたへの伝言なのです」

​ 

「オルディアが…?」

​ 

 おじいちゃんの声には驚きと懐かしさが混じっている。ロッド先生は羊皮紙を広げ記された内容を読み上げた。

​ 

「『ゼルファス。お前が封印したチャクラの様子がおかしい。まるで大いなる水が定められた川の流れを外れようとしているかのようにその力が不安定に揺らいでいる』」

​ 

 その言葉に僕の心臓が大きく跳ねた。封印したはずのチャクラ。それは僕の魔族としての力のことだろう。

​ 

「この不安定さは持ち主の感情の揺らぎに呼応しているようだ。もしやチャクラの封印が解かれ始めているのかもしれない。早急に手を打つ必要がある」

​ 

 ロッド先生の声はひどく重く響く。おじいちゃんは硬い表情で黙ってその言葉を聞いていた。

​ 

「…そのチャクラの持ち主は、今どこに?」

​ 

 ロッド先生の問いかけにおじいちゃんは静かに目を閉じゆっくりと口を開いた。その声には複雑な感情が入り混じっていた。

​ 

「…ロッド殿。今、私は魔族と交渉をしている最中だ。近々、使者が再びここへ来て、話し合いになる」

​ 

おじいちゃんの言葉にロッド先生は目を見開いた。魔族との交渉。それは魔王からの手紙への返事。内容次第では大変な事になる。

​ 

「おそらく、すべては繋がっていることだろう。君の師匠からの伝言も、その話し合いで解決するはずだ」

​ 

おじいちゃんの言葉には確信がこもっていた。

​ 

「だからそれまで待ってほしい。君の力が必要な時は必ずこちらから頼む。それまではどうかこの村で生徒たちのことを見ていてやってくれないか」

​ 

 ロッド先生は静かに頷いた。

​ 

「…承知いたしましたゼルファス殿。しかし、もしもの時には私も迷わず剣を取る覚悟です」

​ 

 ロッド先生の声には揺るぎない決意が宿っていた。おじいちゃんはその言葉に静かに目を閉じ深く息を吐き出す。

​ 

「ありがとう、ロッド殿。君のような友人がいてくれて、本当に心強い」

​ 

 その言葉にロッド先生は少しだけ口元を緩めた。扉の向こうの僕にはその二人の間に流れる深い信頼と友情が痛いほど伝わってきた。

​ 

 僕は胸が張り裂けそうだった。自分のことでこんなにも多くの人々がそれぞれの重い決断を下している。僕を人間として守ろうとするおじいちゃん。


そして、僕の真実を知らないはずなのに僕を守ろうと覚悟を決めてくれたロッド先生。その事実が僕の心を強くする一方で同時に僕だけが背負うべき秘密の重さに深い孤独へと突き落とす。

​ 

「…僕が…僕が、なんとかしなきゃいけないんだ…!」

​ 

 僕は、扉の向こうの二人には届かない小さな声でそう呟いた。この重圧からこの愛と覚悟の鎖から僕が、僕自身の力でみんなを解放しなきゃいけない。

 

 その夜、僕は逃げ出すことも誰かに頼ることもできないたった一人の戦いの始まりを予感したのだった。



​ 夜明け──夜の帳がまだ深く空の境界線が淡い紫に滲む時間。


 ヒダマリ村へと続く獣道はまるで白い息を吐き出すように濃い霧に包まれていた。その道を骨と魔力でできた老魔法使いヴォルグザールはただ一人静かに進む。

 彼の空虚な眼窩の奥に灯る光はまるで夜を越えて燃え尽きようとしている蝋燭のようだ。主である魔王ゾーディグのあの暴走を思い出すたび彼の骨の体がカチャカチャと音を立てて震える。

『ヴォルグザール! なぜもっと早く連れてこなかった! 私はこの十二年間、どれだけエスカに会いたかったか、わからんのか!』

あの絶叫がまだ耳に…いや、骨にこびりついている。あの主のまるで巨大な竜巻のような感情の奔流。そして、魔王妃セレネ様の静かでしかし絶対的な『お仕置き』。

「……ま、まさか、主様があんなに『あわあわ』されるとは……」

 ヴォルグザールは誰もいない道で思わず呟いた。何たる失態か。忠実なる僕としてご子息の所在を突き止めご意向を伺いそして、主へと報告する。その一連の流れは完璧だったはず。

しかし、まさか主がご子息の手紙を読んだだけであそこまで感情を露わにされるとは。

 彼が想像していたのは世界の覇者として冷徹な判断を下す魔王ゾーディグだった。だが、彼の目の前にいたのは子供のように泣きじゃくり感情のままに叫び散らす一人の『父親』だったのだ。

「…そして、まさかセレネ様までご一緒されるとは」

魔王妃セレネ。その御方は魔王にすら平然と『お仕置き』を下す畏怖すべき存在。その彼女がご子息であるエスカ…いや、リオンに会うことを望んでいる。主の暴走を止め冷静にご子息の手紙を読み胸に抱いた姿を思い出すとヴォルグザールの胸……いや、骨の胸板が温かくそしてじんわりと痛む。

『もしご自身の意志を尊重していただけるならば、お会いになりたいと……』

 ヴォルグザールがリオンの言葉を伝えた時魔王は確かに悲しそうな顔をした。

それは、世界の覇者としての悲しみではなく一人の父親として息子に拒絶されたかもしれないと絶望した顔だった。

 彼はその時初めて魔王ゾーディグが世界の覇者である前に一人の人間……いや、一人の『父親』であることを悟ったのだ。そして、彼の骨の奥底からこの親子をなんとしてでも再会させてあげたいという強い想いが湧き上がってきた。


──霧が晴れ、朝の光が差し込んでくる。


 朝露を吸った木々の葉が光を反射してきらきらと輝いている。その光景は昨夜の魔王城の謁見の間の喧騒が嘘であったかのように穏やかだった。

道の先に木漏れ日を浴びるヒダマリ村の柔らかな光が見える。

「……さあ、ここからが、本当の戦いだ」

ヴォルグザールは杖を握る骨張った手を固くする。それは、魔力を込めいつでも戦えるよう備えるためのそして、自らの心を落ち着かせるための祈りのような行為だった。

 これから始まるのは武力衝突ではない。二つの異なる世界のそして、二人の互いを想いすぎる『親子』の複雑な心の交渉だ。


​──私は、その全てをこの眼でしかと見届ける義務がある。

 ヴォルグザールは再び静かに歩き始めた。彼の背中に差す朝日はまるで、この先の道が希望に満ちていることを告げているかのようだ。

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