第十五話 数多なる「嫉妬の嵐」

 なんだかちょっと緊張する。私は支度を整え、言われたとおりに夕飯前の時間、ステファンの自室を訪ねた。二度ほどノックをすれば、中からドアが開けられる。


「……入って」

「失礼します」

 言われ、おずおずと中へ。


 ステファンの部屋に入ったのは初めてだった。私が使っている部屋よりもう少し広いだろうか。応接セットのほかに、大きな机と本棚。ここで仕事をこなすこともあるのだろう。


「急に呼び出したりして、すまない」

「いえ、それは構いませんが……」

 思い詰めた顔をしている。さっきのアンディとの会話を聞かれていたのだとしたら……私が偽のオリヴィアだとバレてしまっただろうか?


「……その、オリヴィア」

 愁いを帯びた顔も、色っぽい。確かにこれは、令嬢方がこぞって集まってくるのもわかるなぁ。

「君は、俺のことをどう思っているんだ?」

「え?」

 視線を忙しく動かしながら尋ねてくるステファンの顔は、まるで恋する乙女のそれだ。


「俺は……その、人の心を察するのが苦手なんだ」

 存じております。とはまぁ、言えないけど。

「それで、さっきその……アンディが『この婚約は認めない』と言っていたのが聞こえてきて……」

 やっぱ聞かれてた! でもそこだけ? ならセーフ!


「もしやアンディはオリヴィアのことを好いていて……その、取り戻すためにここへ来たのではないかと」

「まさかっ!」

 大きな声が出てしまう。


「しかし、俺がいない間はずっと二人きりなのだろう? ダンスの練習をしているというのは口実で、本当はアンディは君をっ」

「考えすぎですよ、ステファン様」

 大した想像力だわ。大体、もしそうだとしても、ステファンの方が立場は上でしょうに?


「……本当にそうか?」

「断言します」

「……そう、そうか」

 はぁぁと息を吐き、ソファに沈み込むように腰を落とす。


 まさかとは思うけど、アンディ相手に……嫉妬?


「あの、ステファン様……ここのところ早めのご帰宅が多かったのは」

「……オリヴィアとアンディが二人きりなのが気になって、仕事が手につかなくなる」

 片手で顔を抑え、俯く。首が紅色に染まっている。やだ、かわゆ!

 ……って、そうじゃない! 親の借金見つけてそれどころじゃないでしょうにっ。仕事放り出して帰ってきちゃうなんて、そんなことしてちゃダメ!


「あのっ、まだ完璧ではありませんが、だいぶ踊れるようにはなったのです。もしアンディ様のことが気掛かりで、お仕事に差し支えがあるようでしたら、帰っていただくよう話しますが?」

「ダンスか……」

 ステファンが立ち上がり、私に手を差し出す。

「試してみようか」

「えっ? ここで……ですか?」

「そうだ。練習の成果を見せてくれ」


 手を取られ、そのまま引き寄せられる。腰に手を回すと、不機嫌そうに言った。


「やはりアンディには帰ってもらおうか」

「へ?」

「オリヴィアと毎日こんな風に触れ合っていたなど、許しがたい」

 いや、ダンスの練習だもん、仕方ないじゃない。私は何と返せばいいかわからず、苦笑いを浮かべた。


 ステファンのリードで、軽くステップを踏む。右へ、左へ、ゆっくりとだが、きちんと踊れていることに自分でも驚く。


「私、踊れてますねっ?」

「ああ、上手だよオリヴィア。少しスピードを上げよう」

 言うが早いか、グンとピッチを上げるステファン。さすがにそこまで速い動きをされるとついていくのがやっとだ。足を踏んでしまわないよう、つい、目線が下を向く。


「オリヴィア、俺を見て。……そう。背筋を伸ばして、俺に体を預けるんだ。大丈夫、ちゃんとできてる」

「はいっ」

 くるりと円を描くターン。大きく右へ、止まる。そしてまたゆっくりと動き出す。私はこの時初めて「ダンスは楽しいものである」と感じた。すごい! 体がいつもより軽い!


 カツ、とヒールが何かに引っ掛かり、足がもつれる。

「きゃっ」

 バランスを崩し倒れそうになる私を、ステファンが当たり前のように抱き留め、そのままぎゅっと抱きしめた。


「あ、あのっ、すみませんっ」

 私はもぞもぞとステファンの腕の中でもがくが、もがけばもがくほどに腕の力が強くなる。ステファンの心臓の音が早い。多分私も、同じだ……。

「オリヴィア、どこにも行くな……」

 切ない声でそう告げられ、私は戸惑ってしまう。あんなにナルシスト発言をしていたステファンと同一人物とは思えない言葉。


「……私には、もう帰る場所などありませんから」

 この縁談がうまくいかなくなった時、ルナール公爵家に戻れるとは思えない。もう後戻りはできないのだと覚悟している。万が一の時は、働いて自立しなければならないんだ。


「俺は……なんというか、少しおかしくなっている。君がうちに来てから、今までの自分とは違う自分が心の中にいて、どうでもいいことでドキドキしたり、イライラしたり、不安になったり。これはなんだ?」

 ……それを私に聞きますか。うむ、どう答えよう。


「そうですね……ステファン様は変化のあまりない生活をなさっていたのではありませんか? だから、急に身の回りに色々なことが起きて動揺なさっているのかと」

 それはそうとして、そろそろ離れてほしいんですがね?


「変化? 確かにここのところ、知らなかった実状を突き付けられたりして大きな変化はあったが……動揺はしていないぞ? 起きてしまったことは仕方ないのだから、あとはどう対処するか、それだけだ。そうじゃない……そうじゃないんだ」

 私を抱きしめていた腕を緩め、目を見て、告げる。


「俺がどうしようもない気持ちになるのは、オリヴィア、君のことだけだ。このモヤモヤとした気持ちは……これが人を好きになるということなのか?」

 ん~、それ……あ~、ねぇ?

 ……気付いちゃったか~。


「君もあの近衛にこんな気持ちを抱いていたのか?」

 眉間に皺を寄せ、聞かれる。正直、私はハンスにそんな思いを抱いてない。でも、まぁ、オリヴィアはハンスにそういう思いを抱いていたんじゃないかなぁ、とは思う。私は何も言葉を発することなく、ただ小さく頷いてみせた。

「っ!」

 ステファンが小さく息を飲む。そして再び私を抱きしめた。ぐえってなりそうなほど強い力で。

「オリヴィアは俺の婚約者だ! 誰にも渡したりはしない!」

 ちょっと待って、ギブ……加減しろって!

 私は全力でステファンを押し退け、告げた。


「お気持ちは理解しました。大変ありがたいことです。ですが……今考えなければいけないことは、夜会でうまく立ち回ることや、マクミリア公爵の作った借金を返済することです。このお屋敷の皆さんのためにも、マクミリア領の住民のためにも、私たちが頑張らないといけないのですよ?」


 そう。愛だの恋だの言ってる場合じゃない。我々は結構大きな責任を押し付けられているのだから。それに、愛だの恋だのは時間が経てば冷める。どんなに盛り上がっていても、数年で驚くほどに冷たくなり得る。生きる力になることもあるかもしれないけれど、まさに諸刃の剣そのものだ。冷えてしまえば凍えてしまうことだってある。


「君の言うことはもっともだ。だが、俺は君を手に入れたい。体も、心も、すべてだ」

 強い瞳でそう口にするステファンを、私は遠いところから静かに見つめていた。


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