第六話 数多なる「困難」

 身分違いの恋は、ただの思い込みであり本当の恋愛ではない。


 ステファンはそう言いたいようだ。その意見には、私も賛成しないでもない。近衛隊長であるハンスとどこかに行方を晦ましたオリヴィアが、現実を目の当たりにし、急に熱が冷めてしまうことだって大いにあり得る。なにしろずっと、公爵家の令嬢として蝶よ花よと育てられてきたのだ。侍女もいない、狭いアパート暮らしなどできるはずもない。


 ……ちょっと待って。もし、オリヴィアが百年の恋に終止符を打ったとしたら、どうするだろう? それ、間違いなくルナール家に帰るわよね? え? それ、まずくない? オリヴィアが屋敷に戻ったら、マクミリア公爵家に行ってないことがバレる。そうしたらここに使いの者が来るだろう。いや、もしかしたらルナール公爵自ら、謝罪のために足を運ぶかもしれない。そうなったとき私がここにいたら……どうなる? よく今まで代わりを務めてくれた、ありがとう! ってことに……なるかな? なるかなぁっ?


 血の気が引く。


「オリヴィア、どうした?」

 黙り込み、顔面蒼白になった私を見て、ステファンが慌てたように私の顔を覗き込む。美しいアンバーの瞳が目の前にある。

「ちょっと、どうすればいいかわからなくなってきました……」

 思わず素で答えてしまう。しかしその返答を何故か前向きに捉えるステファン。

「そうか、それでいいんだオリヴィア。早く気持ちに整理を付けた方がいい」

 私の肩をポンポンと叩き、頷く。


 なんだろう、今日のステファンは少し、変だ。


「ステファン様……なにかありましたか?」

 私は思わずそう訊ねてしまう。と、あからさまに視線を逸らし「別に」と話を誤魔化そうとしたのだ。

「あの、なんですかっ? おっしゃってください!」

 私の正体がバレた? でも、だったらとっくに追い出されてるはず。どちらかというと、怒られているのではなく、優しくされている。ツンケンしてた昨日と、態度が違いすぎる。


「……オリヴィア、君は……」

 険しい顔で言葉を紡ぐステファンを前に、私は身構える。どうしよう、なにを言われるんだろうっ。

「君は大きな裏切りにあったんだ」

「……はぃ?」


 とても深刻そうな顔で告げられたが、心当たりがない。いや、確かに裏切りにはあってるけど、なにか違う感じ。


「どういうことです?」

 問い詰める私に、ステファンは小さく息を吐きだし、なぜか私の手を握る。

「賊に遭って逃げた」

 ギクリ、と私の方が震える。

「ここに来た日、君はそう言っていた。そうだね?」

「あ……ハイ」

 それ、嘘だけどね?

「それは多分……自作自演だ」

 ギクギクッ

 ……正解です。


「あのっ……」

 声が震える。やっぱりバレたんだ。どうしようっ。

「君のお付きだった侍女は、男と逃げた」


 ……ん?


「は?」

「朝から部下に調べさせていたんだ。この辺りで賊に襲われた者がいなかったか。マクミリア領は、辺境ではあるが治安は悪くない。賊がいれば、とっくに俺の耳に入ってきているはずなのに、そんな報告はなかった」

 確かに、この辺りは治安がいいことで有名だ。町は活気もあり、流通も栄えている。街道は整えられ、道も悪くはない。


「町の質屋にあたったら、すぐにわかったそうだ。美しいドレスと装飾品を売りに来た二人組がいた、とね」

「あっ」

 それって、オリヴィアとハンスじゃん!


「侍女は男と結託し、君のドレスや装飾品を奪ったようだね」

 あ~……それ違うなぁ。

「これに見覚えは?」

 ポケットから取り出した小さな布。中から出てきたのは、美しい青のルースが光る、ペンダントだ。オリヴィアのもので、間違いなかった。

「……」

 私は無言でそれを手にした。そっかぁ、身ぐるみ全部換金したんだ。本気なんだなぁ、オリヴィア様。何年も彼女のお世話してきたから、幸せになってほしいとは思う。思うけどさ……。


 私が黙ってしまったのを、ステファンはまたも、誤解したようだ。


「つらい気持ちにさせて、すまない」

 何故か謝ってきた。

「あ、いえそういうことではなく」

 言いかけた時に、ドアが開く。

「お食事の準備ができました」


 話は一旦、打ち切られた。



 食事を終えた私は、自室へと戻った。プレストは「嫌われて来い」なんて簡単に言ってたけど、そう簡単な話じゃなくなってないか、これ。


 ソファに寝転がり、天井を見上げる。


 ルナール公爵に手紙でも出してみる? お宅の娘さん、近衛隊長と逃げちゃいましたよ! ……なんて書けないよなぁ。

 そんなことを考えていると、部屋をノックする音。私はドアに近づくと、

「誰?」

 と声に出す。


「プレスト・クロフォードでございます」

「どうぞ」

 私の返事を待ち、プレストが部屋に滑り込む。私は小さくかぶりを振ると、

「プレスト様、もう、本当のことを話した方がよくないですか?」

 大真面目にそう進言した……のだが、

「旦那様が、大層喜んでおられるのです」

 プレストは斜め上からの発言を投げかけてきた。


「はい?」

「ステファン様が、旦那様に『夜会に出てみようかと思う』とおっしゃった、と」

「……夜会?」

 それがなんであるか、私は知っている。これでも公爵家で侍女をしていたのだから。


 夜会、というのはつまり、社交界の一種で、上級貴族たちが集うパーティーの総称。主に上流階級の交流を目的としたものであり、通常のパーティーと違うのは、夫婦での参加、もしくは婚約者を伴ってのお披露目などが必須ということ。


「夜会はダメでしょ!」

 私、大慌てで否定する。夜会に一緒に行くってことは、もう結婚したも同然の行為!


「ええ、私も旦那様にはよく言っておきました。まだ正式な婚約者でもないのに、夜会に同席させるのは早いのでは、と」

 ナイスアシスト!

「しかし……」

「なにっ?」

「五日後に婚約証書記名の儀を済ませれば、正式な婚約者となるので問題ないだろう、と」

「……つまり、それって」

「あと五日のうちに婚約破棄を果たす必要があるということです」


 時間、なさすぎる!


「うええええ、そんな無茶な!」

 私、プレストの服を掴んで揺さぶる。あと五日! 正式にはもう、四日しかない感じじゃないの!

「やるしかありません。ステファン様が嫌う女性たちのように、なりきっていただきます!」

「……つまり?」

「ステファン様の容姿を誉め、地位を誉め、結婚したいと目を輝かせるのですよ!」

「えええ……」


 やりたくねぇぇぇ。私、顔だけの男って好きじゃないもんっ。演技だとしてもそんなこと言いたくないんだけどぉ。


 あからさまに嫌な顔をする私に、プレストが畳みかける。

「嫌われることができなければ、このまま婚約証書記名の儀が執り行われることになりますぞっ?」

「それはダメぇぇぇ!」


 腹を括るしかないのだ。無事に婚約破棄を手にし、ルナール家に戻り、侍女に戻り、平凡ライフをこの手に掴むまで!


「明日はステファン様の公休日。お屋敷にいるはずですので、嫌われるための時間はたんとございます。どうぞ、ご武運を」

 プレストの言葉を耳に、私は頭を抱えながら明日の決戦に向け、作戦を練ることにしたのである。

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