救国の魔術師の最愛

衣末

私はただの村娘

「クレア様⁉︎」


物音を聞いて慌てて駆けつけたのだろう。随分とお世話になった侍女が、扉を開いて呆然としているのが見える。呆然としたくもなるだろう。魔術なんか使えないと侮っていた小娘が、魔法陣を展開しているのだから。


(切り札は、隠しておくものだな)


完成した魔法陣に魔力を流し込むと、魔法陣はさらに強い光を放った。結界の破壊なんてやったことはないけれど、多分成功するだろう。


パリン!


直後、ガラスが砕けるような音がする。隠密性に優れた外部からの攻撃に強い結界だ。内側からの攻撃には弱いものだった。まぁ、こんな小娘が壊せるなんて思わなかっただろう。

これでやっとあいつに会える。侍女以外こない時点で、どれだけこちらを舐めてくれていたかがわかる。自分の計画の成功に、勝手に唇の端が持ち上がるのがわかった。


「世話になったね!王サマによろしく!!」

「クレア様‼︎」


飛行魔術で体を浮かせた私をみて、侍女はハッとしてこちらに手を伸ばす。逃すわけにはいかないだろう。だって私がいなければ、この国が終わってしまうかもしれないのだから。


(私も偉くなったもんだ)


でも、二度も同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。これ以上、おとなしくあいつの枷になってやる義理はないし、助けを待つお姫様でいるつもりもない。

最後に侍女にニコリと笑顔を向けて、私は体を浮かせたまま、外へ向かって飛び出した。





☆☆☆





あいつの所に向かいながら、私は昔のことを思い出していた。


私はただの村娘だった。ただの、と言うには語弊があるくらいにお転婆だった自覚があるが、少なくとも王宮に足を踏み入れるなんて一生ない。村で育って、外に出ることはなく、村の男と結婚して一生村で暮らす。母だって、祖母だってそうした。そう言う世界で生きていた。その未来を疑ったことなんてなかった。

そんな私には幼馴染がいた。あまり人数の多くない村の子供の中でも、特別仲の良かった幼馴染が。名前はルーク。とても綺麗な顔をしているくせに、何でもできて優秀で、でもすごく性格の悪いやつだった。二人揃ったら手をつけられないと、よく言われていたものだ。


でも、頭の出来がいいからすぐ揚げ足取る。


『何だクレア?こんなのわかんないのか?』

『うっさい!一回見たら理解できるあんたじゃないの!』


一緒に教会で勉強していて私ができなかったら揶揄ってくるし、


『おい』


態度はでかいし、


『これは俺のもんだ』


執着というか独占欲はすごいし。


『ほら、』


でも厄介なことに、奴は意外と優しいのだ。


『しょうがねぇな。いいか?ここは…』


勉強がわからなかったら、口では生意気なことを言いながら理解するまで教えてくれる。


『ほら、帰るぞ』

『ルーク…なんで』

『さーな』


私が迷っていたら誰よりも早く見つけ出してくれる。


『ほら、隠していること全部吐いちまえ』


何かに悩んでたら一番に気づいてくれる。


『んーいいんじゃないの?』


どんな無茶でも、絶対に私を否定しないで後押ししてくれる。

そんな日々を過ごしっているうちに、私は気付いていた。あいつの行動は大体私のためにあることを。言葉遣いは乱暴だけど、両親よりも過保護で私を心配していることを。なぜか私にめちゃくちゃ執着していることを。自意識過剰なんじゃないかと言われるかもしれないけれど、それが村全体での共通認識だった。


『クレア!』


そんな優しさも執着も、時折見せる、無防備な笑顔が私はたまらなく好きだった。私を好きだと言わんばかりのあいつの態度が、行動が、全部愛おしかった。好きとか、愛してるとかなんて言ったことはない。言われたこともない。でも、一生一緒にいるつもりだったし、向こうも周りもそうする気だった。ルークが隣にいない人生なんて、考えられない。お互いが好きなことくらい、わかりきっていた。


でも、一回くらい言っとけばよかったと、今は思う。




14歳になったばかりの春。来年には結婚しようかなんて言っていたその年に、村の近くの森で、私たちは魔物に襲われた。たまに遭遇するちっちゃいスライムなんかじゃない。熊型の、上級とか言われる類の、ここにいるはずのないくらい大きな魔物だった。


『逃げるぞ!』


ルークに手を引かれて、必死で足を動かす。ルークには及ばないけれど、私もそこそこ足は速い。でも、逃げても逃げても魔物は追いかけくる。唸り声を上げながら襲い掛かってくるあれを、人間の足じゃとても振り切れないだろう。


『あっ!』


焦っていたからか、私は木の根っこに足を引っ掛けて転んでしまった。地面にぶつかった膝に強い衝撃と痛みが走った。


『クレア!!!!!!』


私なんか置いて逃げて仕舞えばよかったのに、あいつは倒れ込んだ私を抱き起こした。逃げて!、そう言いたかったのに、魔物はもうすぐそこで。鋭い爪が5本生えた大きな前足が振り上げられるのが目に入った。ルークに私を抱きしめている腕にさらに力がこもったのを覚えている。


もう、間に合わない。


そう思った瞬間、とてつもなく強い光が、私の視界を覆った。光の、まるで瞳を突き刺すような眩しさに、私は咄嗟に目を瞑る。


『ぐぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』


魔物の大きな叫び声が、耳を刺す。あまりの大きさに、キーンと耳鳴りもするのがわかる。一体なにが起こっているのか。私は状況がまったく理解できなかった。わけがわからなくて

、必死に私を抱きしめるルークにしがみついたのだけは、はっきりと覚えている。





『クレア』


しばらくして光も収まった頃、呆然としたようなルークの声で私はゆるゆると顔を上げた。


『っ!』


すぐそこにあったルークの瞳をみて、私は思わず目を見開いた。見慣れたはずの、羨ましいくらい美しい青色をした右目に、見たことのある金色の紋様が浮かんでいた。教会で見たその紋様が現すのは、


『きゅう、こくのまじゅつ、し』


らしくなく声が震えるのがわかる。とてつもなく情けない顔をしているだろう私が発したその単語に、ルークは驚いたような表情を浮かべ、自分の右目を手で塞いだ。


『う、そだ』


剣を交差したデザインの紋様は、この国に住んでいる人なら誰だって知っているだろう。数百年に一度、国に危機が迫った時に現れる、救国の魔術師の証。その紋様は、選ばれしものの右目に浮かぶらしい。その紋様を持つものは、国を救う。何回も子供の頃に聞かされる話だ。


まさか。


私は顔を動かして、サッと周りを確認した。すると、私たちがいる場所から約半径30m以内にある木が、すべてなくなっていた。折れた枝もなければ、燃えるつきた灰もない、熊型の魔物姿もない。剥き出しの地面だけが、そこにあった。


『ルーク…』


同じように周りを見渡したルークが、見たこともないくらい、呆然としていたのを、私はよく覚えている。




あの後すぐに、王宮からの使者を名乗る人たちが来た。王都から村まで四日はかかるのに、あれから一日も経たずに彼らはやってきた。お姫様が乗るみたいに立派な馬車に、見るからに高そうな服を着た、比較的若い貴族みたいな男。強そうな甲冑をきた兵士も、何人か貴族みたいな人を守るみたいに立っていた。


『ここで、救国の魔術師が現れたのが確認されました』


貴族みたいな男が口を開いた。村では感じたことのない、強い圧を感じて、思わずルークの服の袖を掴む。村人一人一人の顔を確認するよう見回した男は、ルークで視線を止めた。


『その紋様…君が救国の魔術師殿かな?』

『しらねぇ』


一歩こちらに近づきながらそういう男に、ルークはいつものような口調で返す。貴族に向けるには失礼すぎるその態度に、兵士たちが殺気立ち剣に手をかけたのが見えた。平和な暮らしでは向けられることのない殺気に、大人たちが怯えているのがわかる。普通そうだろう。おかしいのは平然としているルークだ。


『よせ』


男の一言で、兵士の殺気が収まり、剣から手を下ろしたのがわかった。はっきりと見えないのは、ルークが私の前に守るように立ち塞がっているからだ。


『…うん。魔術で偽造もしていない。間違いないよ。君は救国の魔術師だ』


その言葉に周りがざわめく。それはそうだろう。いくら問題児とはいえ、普通に村人として一緒に暮らしていたルークが伝説の、救国の魔術師だというのだから。


『私はクリストファー・オルタニア。国王陛下から、救国の魔術師の存在を確認し、王都までお迎えするよう仰せつかっている。私と一緒に来てもらおうか』

『…それは、俺だけか』

『そうだね』

『じゃあ断る』

『ルーク⁉︎』


即答したルークに、私は驚きの声を上げて掴んでいた袖を引っ張る。王様の命令だって言ったよこの人。断っちゃダメなんだじゃないのか。いくら袖を引いてもルークはこちらを向いてくれない。真っ直ぐに男…クリストファーを見つめたままだ。


『なぜかな』

『俺が救国の魔術師ってことは国に厄災が訪れるんだろ。その厄災を潰すまで帰ってこれねぇ可能性の方が高い。俺はこいつと離れる気はねぇ』


ルークは私たち以上に状況を理解していた。全部わかっているから、行かないと言っている。


『熱烈だね』


眩しそうに目を細めるクリストファーは、でもね、と肩をくすめながら言葉を続けた。


『君に来てもらわなきゃ困るんだ。どんな手段を使っても、ね』

『…何をする気だ』

『賢い君ならわかると思うけれど。君はその子を守りたい、そうだろう?』


飄々とした態度を崩さないまま、クリストファーは微笑む。これは脅しだ。来ないなら、私に危害を加えるのも吝かではない、と。彼はわかっている。それが、おそらくルークに一番効く文句だということが。昔から、私を引き合いに出されると、ルークはめっぽう弱かった。完璧なあいつの、唯一の弱点と言ってもいいだろう。


『てめぇ…!』

『ルーク!』


ルークの体から光が漏れ出してきた。クリストファーは本気だ。下手したらルークやみんなに怪我をさせかねない。気絶していようと、彼はルークを王都まで連れて行ければいいのだから。でも、ルークが怪我をしなきゃいけないのはダメだ。


『ダメだよ』

『っ』

『ここで攻撃したら、ルーク怪我しちゃう。昨日みたいに全部消しちゃったら、捕まっちゃうかもしれない』

『クレア』

『私は、ここで待ってるから。何年かかったって、ちゃんと待ってる』

『…』


こちらを向かないままルークが押しだまる。ルークは私を止めない。止められない。わかっているから私は、優しいあいつの背中に言葉を続けた。


『…私だってやだよ。その厄災ってやつを潰さなきゃいけないんでしょ?ルーク戦うんでしょ?怪我するかもしれないし、死んじゃうかもしれない。そんな所に行ってほしくない』


行かせることしかできない自分が嫌になる。私が行ければいいのに。ただの村娘には、救国の魔術師の代わりはできない。


『でも、ここで捕まっちゃったら多分二度と会えないよ。絶対結婚できない。私は、この先何年先になったとしてもルークと一緒にいたい』

『…つ』

『こんなことしかし言えなくてごめん。自分勝手でごめん。でも、今は逆らっちゃダメだ』


ルークの気持ちを無視しているのはわかっている。自分勝手なのも重々承知だ。それでも、私は一生ルークに会えなくなるかもしれない状況を、どうしても許せなかった。


『…クソ』


ルークがイラついたようにガリガリと頭を掻く。そして、心底悔しそうな顔をしながら、やっとこちらに体を向けた。


『厄災が終わったら俺は絶対にここに帰る。これが絶対条件だ。いいな、クリストファーサン』

『えぇ。お約束しましょう』

『ふん…………クレア』

『っ、うん』


なんの前触れもなく、名前を呼ばれたと思ったら思いっきり抱きしめられた。いつもなんとなくする軽いハグじゃない、大事なものを抱えるみたいなものだ。


『絶対戻ってくるから。待ってろよ』

『うん』

『他の野郎と結婚なんかしたら、許さねぇ』

『しないわっ、』


ちゃんと答えたいのに、声が震える。せめて、いつもの私でいたいのに。見送ることしかできない自分の無力さが、心底恨めしかった。


『約束だ』

『うん。約束』


顔を上げると、すぐそこに大好きな青色があった。唇が重なる。決して初めてではないのに、自分でもわかるくらい震えてしまっていた。ゆっくりと、顔が離れていく。どうしてかいまだにわからないけれど、ルークが、ひどく穏やかな顔をしていたのをよく覚えている。背中に回された腕が、解かれる。離れる温もりに、手を伸ばすことは、許されない。

そして、クルリとみんなの方を向いたルークは、いつも問題児が浮かべていた、ニヤっとした笑みを浮かべて言った。


『今までお世話になりました。ぜってぇ戻ってくるから!ちゃんとみんなも元気でいてくれ!』


簡潔だけどルークらしいその言葉に、あちらこちらから鼻水を啜る音が聞こえる。なんだかんだ言って、みんなルークを可愛がっていたのだ。その成長を一番近くで見守っていたルークのお母さんは泣き崩れてしまっているし、それを支えているお父さんも、目から大量の涙を流している。


『…よろしいですか』

『あぁ』


それまで黙っていたクリストファーが口を開き、馬車の方へ体の向きを変える。顔を背けるその瞬間。感情の読み取れない彼のポーカーフェイスが、わずかに苦しそうに歪んでいたように見えたのは気のせいだっただろうか。


『またな!』


馬車に乗り込む直前、ルークはそう言って、私の大好きなあの笑顔を浮かべた。不意打ちのそれに、私は思わず手を伸ばしそうになる。引き留められるわけがないのに。そんな資格はないというのに。できないならせめて、ルークの記憶の中の私は笑っていてほしいと思った。情けなくて可愛くない私なんか思い出さないでほしい。だから、私はいつもの笑顔を顔に貼り付けて言った。


『うん!』




これが、私とあいつが会った最後の日の出来事だった。





☆☆☆





『ルーク殿の、幼馴染でいらっしゃいますね?』

『…はい』


ルークが村から出てから一年後、また貴族が村に現れた。クリストファーの従者だと名乗ったその男は、旅人のような格好をしていた。あの時のように豪華な馬車ではなく、こんな片田舎でも見かける荷馬車に乗ってきたようだった。


『我が主からの勅命でございます。救国の魔術師ルーク殿の幼馴染を、王都にご案内しろ、と』


こんな小娘にも丁寧に対応してくれる男は、私をじっと見ながらそう言った。なんの感情も読み取れない抑揚の少ない声色は、あまり聞く機会のない、少し恐ろしく感じるものだった。


『そう…』


なんとなく、状況が理解できてしまった。私が、ただの村娘が、貴族の目に留まる理由なんて一つしかない。


『あなたの主…いや、その上の王様か。首輪が欲しい…ってこと?』

『…お答えしかねます』


否定はしない。正解だろう。あれから一年。厄災は、ルークの手によって解決されかけていると聞く。王都から遠いこの村にも聞こえてくるくらい、ルークの活躍は国中に広まっている。国中に蔓延る魔物を駆除し、この間は竜を倒したらしい。傾きかけた国を救う、伝説の魔術師。きっと王様は、あいつが惜しくなったのだろう。厄災が終わったら、村に戻ろうとしているルークを、国に、王都に縛り付けたいようだ。


『拒否権ってあったりする?』

『…ございません。今この場で、誰にも告げずに王都にきていただきます』

『だよねぇ』


割と危機的な状況に、笑いが込み上げてくる。我ながらなんとも緊張感のないことだ。父さんにも母さんにも会えなくなるというのに。


『肝が据わっていらっしゃる』

『伊達に、救国の魔術師の横で育ってないからね』


ダントツは去年上級の魔物に殺されかけたことだけれど、ルークと過ごした十数年間、トラブルは付き物だった。大抵の事にはもう狼狽えない自信がある。というか、あの完璧超人の隣で過ごすには、劣等感とかに浸っていられないのだ。相当に図太いことは自覚している。


『…会えないよね』


カラカラと笑うのをやめ、私は呟く。今考えている仮説が本当なら、彼を縛る鎖になる私は、どこかに閉じ込められたりするのだろう。一年前と何も変わっていない自分の無力さに、吐き気がする。


『難しいと思います』

『…はぁ。もうしょうがないか。私じゃああなたに勝てないしね』


行こう、と私は彼に手を差し出す。男の体型はがっしりしていて、背丈は30cm以上は差があるだろう。どう頑張っても振り切って村に戻るのは無理だ。幸い、殺されることはなさそうだし、あっちでどう立ち回るかに賭けるしかない。


『ご協力、感謝します』


僅かな罪悪感を滲ませた男はそう言って、私を馬車に乗せた。


こうして私は、生まれてから十五年間を過ごした村を、誰にも告げずに後にした。

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