夏よ、波間に漂う。
佐藤 薫
第1話 窓際の埃は宙に舞うことを望んだ 1
人生とは残酷で何とも退屈である。その現実を知ってしまったのは彼が17歳と三ヶ月を過ぎてからだった。正直、世界が動いているのは自分以外の頑張っている人が存在し、その人たちのおかげで少なくともこの国で、自分は今し方まで何も考えずに空を見上げて世界平和などという抽象的なものを真剣に考えられるのだと思うとなんだか少し切ない気がする。だが、そんな事には皆気づいている。そして触れない。それが生きる事なのだと知っているから。本当に自分の感情の中では腑に落ちないが割り切っている。現に受験戦争真っ只中にいるのだが今、彼が授業を聞いていないことを誰も心配などしていない。むしろ哀れみより嘲笑の方が正しい様な目で見つめては目を逸らすの繰り返しを続けチャイムを待つ者、板書の書き取りをしっかり行い、教師の話に真剣に耳を傾けるものなど多種多様な人間がこの16m×22mの四角い部屋の中に40名程いるが誰一人として人に気遣う暇もないほど追い込まれいている。彼はそんな虚無感だけが充満した教室の窓際の席で今日の雨で散っていく桜を見ている。ノスタルジーな感覚に触れているわけでもなく散る桜に情景を重ね感傷に浸っているわけでもない。彼にとってそれはこの退屈な時間の消化方法に過ぎないのである。直になるチャイムを只静かに待つ。こんな退屈で残酷で無駄な時間は他に思いつかない。彼の中には時間の価値と対価という概念が今一番いらない要素であった。そういえば昨日見た映画の中でこんなことを言っていたと不意に思い出し、つい口に出した。
「you are the apple of my eye...これってどんな意味だったっけ?」
その日、彼が教室に戻ることはなかった。
段々と日が傾き始め、皆が待ちに待っているかのように終了のチャイムを何回か聞いたくらいの頃、佐藤凪は校舎三階西側突き当りにある図書室の机に突っ伏し自分に自分を問うていた。机の周りには本が積まれ如何にもな優等生を演出している。そういえば聞こえはいいが結局は本が散乱した変わり者の机だ。本が乱雑に積みあがった机の前には小さな窓がありそこから差した夕日が本の隙間を縫ってまるで後光を浴びたかのように、机に突っ伏し考える彼に差さる。本日の議題は「努力」について。隣の芝は青く見えるとはよく言ったものだがそれは実際他人の努力や感情のふり幅を羨ましく思っているだけなのではないのかそう考えだしたのはつい最近のことだ。考えれば、これまである程度の物は手に入ってきた何不自由なく平凡で退屈な日常だった。受験も妥協で選んだ高校。怠惰の理由付けに家から近いという勿体ぶったような理由で自分を演じた。結果的には努力を怠った自分を正当化するための欺瞞に過ぎなかった。もっとも、話題のスーパーメジャーリーガーもテレビの中のタレントもアイドルにしても『努力』はしていた。もともとの努力の種族値は皆変わらない。変わってくるのは時間を費やすことに値するのかという確固たる『根拠』であった。其れに気が付いたのが凪は皆より遅かった。そうして高校二年のこんな時期にもかかわらず授業を抜け脱して図書館で無意味な自問自答繰り返している。だが、哲学的な思考を繰り返していると急な孤独感や絶望感が凪の心を殺しにやってくる。そして誰かの助言に逃げるを繰り返した。そうしてやっとの思いで、読み漁った本の中に第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが言った名言
【怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ。】
正直、凪は心が震えるという事を初めて実感した。そうして此れに囚われて三ヶ月と少し、そこからこの人生の命題ともいえる暇、怠惰を最も恐れる事となった。そしてまた、救いを求めるように哲学や宗教の本をまた読み漁り、今に至る。
なぜ哲学や宗教の本ばかり読んでいるのかという質問には数えきれないほど凪は答えてきたが、結果的には『楽して天国へ行く方法を模索するため。』が一番しっくりくる答えであった。全くと言ってもいいほど努力をしてこなかった人間が今更、努力の仕方を模索するより先人が作り上げた思想を読み解き、願うことのほうが理にかなっているというのがここ3か月の思考の結果だ。これは決して宗教や哲学を軽んじているわけではなく総合的に分析した結果の答えだという事だけは信じてほしいと凪は切に願う。
「そろそろ、この宗教とか哲学とか飽きてきたな。結局何が言いたいんだよこれ。次は占星術でもやってみようかな。其れかタロットとか…」
凪はそうぼそりと呟いた。
凪にとっての興味の本質は『新しい世界』であった。それは決して体験した事が無いというものではなく感情、つまり心の震えに近しいものが自分にどれだけの作用をもたらしたのかだけである。今、自分の興味を引いている何かの隣を見て体験しそれが自分にとってどのような作用を起こすのかを実験しているみたいなものなのだ。現に今回はいく当てのない【青春】という感情に向き合うために本を読み、思考した結果【楽して天国へ行くこと】にたどり着いた。凪はふと天井を見詰め大きく息を吐いた。ここで叫ぶことのできる強心臓の持ち主ならば感情の思考などしていない。凪は天井の石膏ボードの疎らな模様を見詰めふとそう思った。静かに流れるこの時間は流れていることすらも忘れさるが確実に流れている。その青春時間は凪の心を知らぬうちに遥か彼方へと流していった。時間はあっという間に6時を指しいつの間にか本の隙間から差した後光はいつの間にか消え、空は橙から紫がかっていた。
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