第十四話:探求者の執念と最初の弟子
ランガの冒険者ギルドで、新米パーティー「灯火の団」の噂は、一種の都市伝説として囁かれていた。
百匹以上のゴブリンを一夜にして殲滅したという武勇伝。だが、その後の彼らは、ぱったりと依頼を受けなくなり、ギルドに姿を見せることも稀になった。
仲間であるゴードンとティナは、あの日手に入れた大金で装備を新調し、次の「神の祝福」を待ち望んでいた。だが、リーダーであるミリアは、違った。彼女は、自分たちの実力以上の評価を得てしまったことへの焦燥感と、あの未知の力の正体を知りたいという渇望に、身を焦がしていた。
彼女の孤独な調査は、暗礁に乗り上げていた。図書館の文献にも、他の冒険者の体験談にも、彼女が求める答えはなかった。
だが、諦めかけたその時、彼女は全く違う角度から、一条の光を見出すことになる。
それは、ギルドの酒場で聞こえてきた、何気ない噂話だった。
「おい、聞いたか? 黄金の天秤ギルドの奴ら、最近羽振りがいいぜ」
「ああ、なんでも『コーザ村』って辺境の村と独占契約を結んだらしい。そこから来る特産品が、とんでもねえ代物なんだと」
「翠風織だろ? 俺の嫁も欲しがってて、うるさくてかなわん」
「俺はガンツのナイフの方が気になるね。鋼鉄をバターみてえに切るって話だぜ」
コーザ村。
その名前を、ミリアは初めて聞いた。彼女は、その会話をしていた冒険者たちのテーブルに、恐る恐る近づいた。
「あの、すみません。そのコーザ村って、どんな所なんですか?」
冒険者たちは、最初はいぶかしげな顔をしたが、ミリアの真剣な瞳を見て、知っている限りの情報を話してくれた。
曰く、コーザ村は、つい数ヶ月前まで、地図にも載らないような貧しい村だった。
曰く、そこへ、一人の若者が現れてから、村は奇跡的な復興を遂げたらしい。
曰く、その村出身の者たちは、皆、異常なほどの能力を発揮しているという。
例えば、ギルドの訓練場。最近、コーEザ村出身だというリョウとケンという二人組が、連日、ランガの腕利き冒険者たちを赤子扱いしているらしい。
例えば、職人街。コーザ村のピートという若者が作る家具は、革新的で、貴族たちが競って買い求めているという。
ミリアは、それらの話を聞きながら、背筋に電流が走るのを感じた。
点と点が、繋がり始めている。
枯渇寸前の村の、奇跡的な復興。
常識外れの品質を持つ、特産品の数々。
そして、突如として現れた、規格外の実力を持つ村人たち。
これらは、全て、バラバラの事象ではない。
その裏には、共通する一つの「何か」が存在するのではないか。
それは、あの夜、自分たちの身に起きた奇跡と、同じ質の力なのではないか。
ミリアは、一つの仮説にたどり着いた。
あの力は、「神の祝福」のような、不特定の誰かに降り注ぐものではない。
「特定の対象に、目的を持ってかけられた、極めて高度な支援魔法」だ。
そして、その術者は、コーザ村という共同体そのものを、巨大なバフの対象としているのではないか。
だとすれば、その中心にいる人物は、一体誰なのか。
ミリアは、最後の情報を求めて、黄金の天秤ギルドの周辺を探った。すると、すぐに答えは見つかった。
コーザ村の奇跡の立役者。
そして、ギルドマスター・バルドに、賓客として扱われている謎の青年。
その男の名は、「アッシュ」。
ランガの貴族街にある、壮麗な屋敷「コーザの館」の主。
全ての線が、その一点へと収束した。
ミリアは、確信した。あの力の源は、このアッシュという人物に違いない。
彼女は、ゴードンとティナに、「少し、一人で調べたいことがある」とだけ告げると、意を決して、その「コーザの館」へと向かった。
*
ランガの貴族街は、下町の喧騒とは別世界の、静謐さと威厳に満ちていた。
ミリアは、その場違いな空気に気圧されながらも、地図を頼りに、目的の屋敷を探し当てた。
「……ここが、コーザの館」
目の前にそびえ立つ、城のような屋敷。高い石塀と、重厚な鉄の門。ミリアは、その威容を前にして、思わず足を止めてしまった。
自分のような、しがない新米冒険者が、足を踏み入れていい場所では、到底ないように思えた。
だが、ここで引き返すわけにはいかない。力の正体を突き止めるまで、前に進むしかないのだ。
彼女は、震える手で、鉄の門を叩いた。
すぐに、屈強な鎧をまとった門番が現れた。その男は、先日ギルド本部で見た門番とは違うが、同じように、鋭い目でミリアを値踏みした。
「何者だ」
「わ、私は、冒険者のミリアと申します! こちらの館の主、アッシュ様にお会いしたく、参りました!」
ミリアは、必死に声を張り上げた。
門番は、彼女の貧相な身なりを一瞥すると、鼻で笑った。
「アッシュ様に? アポイントメントはあるのか」
「い、いえ、ありません。ですが、どうしてもお伝えしたいことが……!」
「アポイントのない者は、通せん。規則だ。帰りなさい」
門番は、冷たく言い放つと、門を閉めようとした。
予想通りの反応だった。だが、ミリアはここで引き下がらなかった。
彼女は、ギルド本部でアッシュが見せたという交渉術を真似ることはできない。彼女にあるのは、ただ、真実を知りたいという、真摯な思いだけだった。
その日から、ミリアの奇妙な行動が始まった。
彼女は、毎日、夜明けから日没まで、「コーザの館」の門の前に、ただ、立ち続けた。
大声で叫ぶわけでもなく、暴れるわけでもない。ただ、背筋を伸ばし、門を真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし、決して諦めないという強い意志を示し続けた。
雨の日も、風の日も、彼女はそこに立ち続けた。
その姿は、最初は貴族街の住人たちの好奇の目に晒されたが、やがて、そのあまりの真摯さに、誰もが何も言えなくなっていった。
そして、五日が過ぎた朝。
ミリアのその行動は、ついに、館の主の耳に届くことになった。
「……面白い」
応接室で報告を受けたアッシュは、静かに呟いた。
普通の人間なら、一日で諦めるか、あるいはもっと強硬な手段に出るだろう。だが、あの少女は、ただひたすらに、静かに待ち続けているという。
その忍耐力と、目的を遂げるための、静かな執念。
アッシュは、彼女に興味を覚えた。
「……リョウ。その娘を、中に通してやれ」
「よろしいのですか、アッシュ様?」
控えていたリョウが、意外そうな顔で尋ねる。
「ああ。少し、話がしてみたい」
*
予期せぬ謁見の許可に、ミリアは驚きながらも、門番に導かれて、館の中へと足を踏み入れた。
磨き上げられた大理石の床。壁に飾られた高価な絵画。天井から吊るされた巨大なシャンデリア。その全てが、彼女の住む世界とは、かけ離れていた。
彼女は、広大な応接室に通された。柔らかすぎるソファに、どう座っていいかも分からず、ただ、その端に、ちょこんと腰掛けて待った。
やがて、扉が開き、一人の青年が入ってきた。
自分とさほど歳の変わらない、穏やかな顔つき。豪華な服を着ているわけでもない。だが、彼が部屋に入った瞬間、部屋の空気が、ぴんと張り詰めたのを、ミリアは肌で感じた。
彼が、アッシュ。
この館の主であり、全ての謎の中心にいる人物。
「君が、ミリアだね。待たせたようだ」
アッシュは、静かな声で言った。
ミリアは、慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お、お時間をいただき、ありがとうございます!」
「座りなさい。それで、俺に話とは、一体何だ? ただ、俺に会いたかったというだけでは、五日間も門の前に立ち続けることはできんだろう」
アッシュは、彼女の向かいのソファに腰を下ろし、真っ直ぐに彼女の目を見た。その瞳は、まるで静かな湖面のようだったが、その奥には、こちらの全てを見透かすような、底知れない深さが広がっていた。
ミリアは、ごくりと唾を飲んだ。そして、覚悟を決めて、語り始めた。
彼女は、自分のパーティー「灯火の団」がいかに弱く、貧しかったか。
そして、あの夜、ランガ近郊の森の洞窟で、ゴブリンの大群に追い詰められ、死を覚悟したこと。
その絶望の淵で、突如として、自分たちの身に起きた、奇跡的な現象について。
彼女は、自分の体に何が起きたかを、驚くほど正確に、そして具体的に説明した。
「……体が、まるで羽のように軽くなりました。今まで持ち上げるのもやっとだった剣が、小枝のように感じられたんです」
「思考が、氷のように冴えわたりました。敵の動き、仲間との距離、次に自分が何をすべきか。その全てが、頭の中に流れ込んでくるようでした」
「そして、力が、体の奥から無限に湧き上がってきました。恐怖は消え、代わりに、絶対に勝てるという、絶対的な確信だけがありました」
アッシュは、黙って彼女の話を聞いていた。彼は、彼女が、ただ力を享受しただけでなく、その力の質を、冷静に分析していたことに、内心、深く感心していた。
ミリアは、一通り話し終えると、震える声で、核心に迫った。
「あの力は、神様の気まぐれな祝福なんかじゃ、ありません。あまりに効率的で、あまりに完璧な、誰かの『支援』でした。まるで、最高の指揮官が、私たちの能力を、最大限に引き出してくれたかのようでした」
彼女は、椅子から立ち上がると、アッシュの前に進み出た。そして、彼の目を、真っ直ぐに見つめ、問いかけた。
「私は、ずっと探していました。あの力の正体を。そして、一つの結論にたどり着きました」
「あの力は……あなたが、私たちにかけてくれたものなのではありませんか?」
静寂が、応接室を支配した。
アッシュは、しばらくの間、何も言わなかった。ただ、彼女の瞳の奥にある、真実への渇望を見つめていた。
この少女は、見抜いたのだ。自分の力の、ほんの片鱗を。そして、その源流まで、自力でたどり着いた。
その洞察力。諦めない心。そして、何よりも、力を求めながらも、その力に溺れようとしない、真摯な魂。
アッシュは、彼女が、自分の力を正しく理解し、そして正しく使える、稀有な器であると判断した。
やがて、アッシュは、静かに口を開いた。
「……そうだ。あれは、俺がやった」
その言葉に、ミリアの体が、びくりと震えた。やはり、そうだったのか。
アッシュは、立ち上がると、彼女の前に立った。
「君は、面白いな。普通なら、ただ幸運を喜んで終わる。あるいは、自分の実力だと勘違いする。だが君は、その力の正体を突き止めようとした」
「もし、君が、その力を、もう一度手に入れられるとしたら。そして、いずれは、自由に使えるようになるとしたら。君は、その力で何をしたい?」
アッシュの問いかけは、まるで彼女の魂を試すかのようだった。
ミリアは、迷わなかった。
「強くなりたいです」
彼女は、はっきりと答えた。
「もっと強くなって、大切な仲間たちを、今度こそ、自分の力で守れるようになりたい。そして、もし、もっと強くなれたなら……昔の私たちのように、力及ばず、困っている人たちを、助けられるようになりたい」
それは、教科書に載っているような、綺麗事かもしれない。だが、彼女の瞳には、嘘偽りのない、純粋な光が宿っていた。
その光は、追放され、心を閉ざしかけていたアッシュの心に、温かく差し込んだ。
「……気に入った」
アッシュは、満足そうに頷いた。
「いいだろう。君の願いを、俺が叶えてやる」
「え……?」
「ミリア。君と、君のパーティー『灯火の団』を、今日から、俺の弟子として迎え入れる」
ミリアは、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「君たちを、誰にも負けない、この大陸で最強のパーティーにしてやろう。そのための力も、知識も、装備も、全て俺が与える」
アッシュは、そこで一度、言葉を切った。そして、その瞳に、底知れない野望の色を宿らせて、続けた。
「だが、それは、ただの慈善事業じゃない。いずれ、君たちが手に入れたその力は、俺のために使ってもらうことになる。俺の手足となり、時には、世界の裏側で、俺の計画を実行する、特殊な部隊となってもらう。……その覚悟が、君にはあるか?」
ミリアは、目の前の青年が持つ、人知を超えた力と、その壮大すぎる計画に、思わず身震いした。
自分が、足を踏み入れようとしている世界が、もはや、ただの冒険者の世界ではないことを、彼女は直感した。
だが、彼女の心にあったのは、恐怖ではなかった。
強くなれる。仲間を守れる。そして、この底知れない魅力を持つ人物の、一番近くで、世界の変わる瞬間を見ることができる。
その興奮が、彼女の全ての躊躇を吹き飛ばした。
ミリアは、深く、深く、頭を下げた。
「……はい。喜んで。よろしくお願いします、師匠」
彼女の声は、わずかに震えていたが、そこには、確かな覚悟が宿っていた。
追放された支援術師に、彼の能力の可能性を信じ、その道を共に歩むと誓った、最初の直弟子が誕生した瞬間だった。
俺の物語は、この健気な灯火を得て、新たな展開を迎えようとしていた。
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