第三話 強欲、黄金

***


カノンは、小柄な体に似合わぬ芯の強さを持っていた。大きなリボンが結ばれた髪が光を受けて揺れるたび、その幼さと同時に、不思議な威厳を感じさせる。


けれど俺が知っているのは――それだけだ。

名前と、風紀委員長という肩書きと、少し気の強い性格。ほんの数時間の関わりしかない。それなのに、どうしてだろう。


どうして俺は、あの瞬間、命を懸けて彼女を守ろうと思ったのか。


――逃げなければ。

友奈を連れて、一刻も早くここを離れるべきだ。


それでも、足は動かなかった。胸の奥で何かが固く結ばれたように、俺はその場に立ち尽くしていた。


“これはゲームじゃない”。

どこかで、そう確信していた。


街が焼かれても、NPCが倒れても、それはただの演出だと思っていた。けれど違った。血の匂い、悲鳴、痛み――この世界には、確かに“現実”が息づいていた。


俺の視界に、突如として真紅の画面が閃く。

【GAME OVER】の表示が、冷酷に、そして無慈悲に世界を覆い尽くす。


意識が、闇に沈んだ。


残り時間:13:53:21

【ペナルティとして二時間没収】


***


目を開けると、あの天井があった。

友奈と悪魔を破った、あの部屋の天井。


「戻って……きたのか」


掠れた声が漏れる。隣には友奈がいた。彼女の顔は青白く、瞳は涙の跡を残していた。


「私……何もできなかった。ごめんね、秋。約束、守れなかった……」


その言葉に胸が詰まる。

何も悪くない。そう言って彼女を抱きしめたかった。

でも、そんな優しい言葉は、彼女を余計に傷つける気がして、喉元で止まった。


「……もう一度だ、友奈」


俺は拳を握りしめる。


「マモンを倒すまで、何度でも戦う。何度死んでも、立ち上がる」


友奈が小さく頷いた。その瞳には、もう迷いはなかった。


残り時間:11:50:13


***


外に出ると、遠くの空に黒い煙が上がっていた。

サンクトリア学園――あの美しい校舎が、炎に包まれている。


燃え盛る塔の影を見つめる友奈の横顔は、苦しみと罪悪感に染まっていた。

何度も「君のせいじゃない」と言いかけては、言葉が崩れた。


「作戦会議をするわよ、秋」


友奈が、緊張感に満ちた、けれども強い口調で、そう言った。

その一言に、胸が熱くなる。強い。俺よりもずっと。

彼女のその強さに報いたい。俺も、守られるだけの存在で終わりたくない。


「ああ、始めよう」


俺は友奈の言葉に応えるように、笑って答えた。


「まず、境魔帝――マモン。奴が言っていた通り、魔王直属の幹部クラスだ。つまり、下手すれば魔王本人に匹敵する強さだと思う」


「ゲームでは出てこなかったの?」


「ああ。『境魔帝』っていう組織自体は設定にあったけど、マモンって名前は見たことがない。ゲームの終盤で出る予定だったのかもしれないけど……」


自分で言いながら、確信が持てなかった。

『クロノ・クロニクル』――死にゲーの中でも最凶と名高い作品。未だに、攻略サイトにおけるクリア報告は一件もない。

けれど今の俺は、その“未踏の終盤”に立たされている気がした。


現実ではない。だが、夢でもない。

この世界には、何かがある――“境界”と呼ばれる、ゲームと現実を隔てるような何かが。


「秋、聞いてる?」


「あ、ああ。ごめん、考えごとしてた」


気づくと、友奈がすぐ隣にいた。

その存在だけで、不思議と心が落ち着く。


「私ね、マモンの攻撃を見てて気づいたことがあるの」


友奈の声が少し低くなる。


「まず、黄金による攻撃」


「うん。あれで足場を固められて動けなかった。あの“黄金化”が一番厄介だ」


そう言いながら俺自身、先程の戦いを思い出す。マモンは黄金を生成して、攻撃したり、動きを封じたりと、多彩な攻撃を仕掛けてきた。“黄金の魔族”という異名は、伊達じゃない。


「でも」、と彼女は続けた。


「何度か拘束されたけど、奴はすぐに解いていた。たぶん、ナメてるだけじゃない。あれは、力が足りないからだと思うの」


「MPのことか……なるほどそれなら確かに……」


「……えむ、ぴぃ?」


友奈が小首を傾げる。その表情があまりに素で、思わず笑ってしまいそうになる。


「MPってのは“マジックポイント”の略。魔法を使うための力のこと。強い魔法を使うほど消耗するし、維持系の魔法も時間が経てばどんどん削られる」


「へぇ〜。そんな仕組み、全然意識してなかったわ」


「ホント、末恐ろしいプレイヤーだな……」


俺が苦笑すると、友奈は唇を緩めて笑った。

俺は友奈の説明を引き継ぐように言った。


「つまり、こういうことだね」


俺の言葉に、彼女の瞳が鋭くなった。


「マモンの“黄金化”は確かに強力だけど、維持コストが高い。使えば使うほど自分の魔力を削っていく――」


「そう。だから、奴を長期戦に引きずり込めば勝機があるはずよ」


沈んでいた空気が、一気に明るくなる。

まだ終わっていない、けれども、確かな希望が、俺達の心に宿る。

友奈は笑い、俺もそれに応えるように拳を握った。


「行こう、秋。もう一度、奴を倒す」


友奈に握った拳を突き出す。

友奈も、その拳に自身の拳をぶつける。

グータッチ。


再挑戦のカウントダウンが、静かに始まった。


残り時間:11:31:14


***


「よぉ、マモンといったか? その首、俺がもらおうか」


学園があった焼け野原に、黒ずくめの男が立つ。その姿は静かに、しかし確実に私――マモンのすぐ背後まで迫っていた。

不意に背筋が冷たくなる――いや、分かっている。これが戦場の感覚だ。


「あなたは――帝国に雇われた殺し屋、ですか? それとも、王国領を奪うための侵略者か。どちらにせよ、講和会議もあるというのに――」


私は挑発的に問いかける。すると男は下品に笑った。


「むしろそのために来たんだろう?」


ガッハッハ、と、耳障りな笑い声が夜の静寂を切り裂く。


「なるほど……関係ないと言えば関係ないですが……」


私も思わず、戦意を示すように笑みを返す。この、戦闘狂としての血が騒ぐ瞬間だ。


「……だが、今は急ぐ必要があるのです。楽しみたかったですが、仕方ないですね」


男の挑発を無視するかのように、私は構える。

 

『強欲』


その瞬間――地面が震え、巨大な骸骨が男を丸呑みにした。赤黒い血が周囲に飛び散る。男の残った腕が痙攣するのみで、無力さを露わにしていた。


「残念です……本当に」


私は再び大鎌を構え、制圧の準備に移る。だが、背後から別の足音が聞こえた。


「やれやれ、生きていたとは」


振り向くとそこには、先ほど確かに殺したはずの者達がいた。 


そして、その光景に喜ぶ私がいた。


残り時間:10:21:32


***


奴の攻撃は予想以上に多彩で、黄金による拘束と先に男との戦いで見せた、骸骨召喚を駆使する。昨夜の戦いでMPは残り少ないはずだが、油断はできない。


「友奈! 今度こそ削り切るぞ!」


 「了解」


互いにうなずき合い、戦闘態勢に入る。マモンは鎌を大きく振り上げ、黄金の地面が俺を捕らえようと飛び出す。


氷剣乱舞アイシリウム・スレナ!」


氷の刃が地を裂き、マモンの鎌と交錯する。地響きが響き、砂塵が舞う。


「さらに近づいてくるか、面白いね」


マモンが鎌で迎え撃つが、俺は昨夜の戦闘で奴のMP消耗を理解していた。黄金化と骸骨召喚を同時に使う余裕はもうないはずだ。


「友奈、魔法を頼む!!」


獄炎魔法ホルス・フレア

友奈の炎が黄金の拘束を打ち破り、マモンの背後に直撃する。


「やるね……」


マモンが後方に倒れた隙に、俺は氷剣で追撃を狙う。今度こそ、MPを削り切った決定打のチャンスだ。


あと少し――だったのに。


『強欲』


残酷に、残り時間を告げる。ペナルティとして二時間が没収される。


残り時間:08:15:12


***


「……まだ試されるのか」


俺は小さく呟き、深呼吸して気を落ち着ける。友奈も隣でうなずき、拳を固めた。


「次は絶対に油断しない。友奈のせいじゃない、完全に俺の見落としだ」


「うん、でも次は大丈夫よ」


互いに笑みを交わす。疲労はあるが、精神は決して折れていない。


「もう休憩にしよう。今回はこれ以上、戦えない」


「そうね……仕方ないわ」


俺たちは互いに背中を預け、眠りにつく。

戦火に照らされた夜空の下、閃光が世界を染め、まるで新たな夜明けを告げるかのようだった。


世界のリセット――そして、目覚めれば、再び決戦が待つ。

しかし、今はただ、眠り、力を蓄える時。


俺たち、そして黄金の魔族――

戦いの幕は、まだ始まったばかりだ。


残り時間:72:00:00

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