第4話 セファイドの秘密

『港は暑いよ。行かないでいいじゃないか〜』


 黒猫はぐずったが、ラズベリーは通りを下って、港町に足を向けた。

 タルミーナは山の中腹にある街で、港までは、少し距離がある。しかし、下り坂なので、そこまで大変という訳でもなかった。

 時間は掛かったが、徒歩で港に辿り着く。

 紺碧の海には、さまざまな大きさの船が停泊していた。


「あれは……」


 ひときわ大きく立派な船の前に、武装した集団がいる。

 その集団の中央に、金髪を海風にそよがせた、白いワンピース姿の女性が立っていた。ワンピースの裾から、華奢な手足が見えている。その肌は、白蝶貝のように染みひとつない。

 遠目に見ても清楚で美しい女性だ。

 

「セファイド」


 部下を連れた銀髪の男が、波止場を悠々と歩いて、彼女に近付いていく。

 向かい合うセファイドと、金髪の美女は、一対で製作されたワイングラスのように、よく似合っていた。


「っつ」


 ラズベリーは何故か胸の痛みを覚える。

 あの男は私のものだと、心の奥にいる醜い自分が訴えるのを、理性で底に沈めた。いずれ人間はラズベリーを置いて去っていく。期待してはならない。

 セファイドと女性を見ていられなくて、視線を外す。

 すると、港の倉庫付近をネズミが駆けていくのが目に入った。

 倉庫でネズミが走るなど珍しくない光景だ。しかし、そのネズミは妙に一生懸命、走っている。何かから逃げているような……

 嫌な予感を覚えて注視すると、物陰から黒い縄のような生き物が這い出て、ネズミに遅いかかった。

 あれは蛇か?

 闇が形を作ったような黒い蛇は、ネズミを丸呑みにする。

 

「アルテミス」

『何?』

「あの蛇、性質の悪い魔物のたぐいではないか」


 黒い蛇は、尋常ではない速度で、飲み込んだネズミを消化した。

 そして、目の前でぐんと大きくなる。


『お、大きくなった?!』

「捕まえて殺さなければ、いずれ人間を呑み込むようになる……!」


 ラズベリーは荷物と黒猫を抱えたまま、追いかけようとする。

 しかし、その気配を察したように、黒蛇は慌てて逃げ出してしまった。


「むむむ。探して退治せねばならぬ」

『ほっとこうよ〜。誰にも退治を依頼されてないんでしょ』

「だが、この島の人々には、お裾分けを沢山もらっておる」


 ラズベリーは持ちきれないほどの果物や野菜や海の幸を見おろし、つぶやく。

 穏やかな日常をくれた人々に、恩返ししたかった。




 蛇が見つからないまま、日が沈む時刻になり、ラズベリーは街に戻ることになった。

 使い魔アルテミスは、蛇を探す役目を指示されたので、港に残った。


『困ったことになったにゃ〜』


 黒猫は、波止場をさまよって、銀髪の男を見付けた。彼の足元に歩み寄る。


『セファイド、セファイド。ごめんなさい、ラズベリーが港に来ちゃった』

「……どうして止めなかったのですか。何のために君に毎日、魚を与えてやってると思ってるのです。給料分の仕事をしろ、このドラ猫め」


 銀髪の公爵、セファイドは不機嫌そうに言って、アルテミスをつまみあげる。


『だって止めても聞かなかったんだもの。仕方ないよ』

「危険な魔物が侵入したところだというのに」

『それ蛇でしょ。ラズベリーが見付けて、退治してやると張り切ってたよ』


 報告を聞いたセファイドは、溜め息を吐いて黒猫を地面に落とした。


「危険なことは私に任せて欲しいのに」

『ラズベリーは、セファイドのことを、か弱い人間の男だと思ってるよ』

「……」

『いつまで秘密にしておくのさ』


 月光を浴びたセファイドの輪郭が、夜の闇の中で淡く輝いている。

 彼がまとう神聖な空気を感じて「今日は涼しいのぅ」と惚けたことを言うのは、ラズベリーくらいだ。


「秘密にしてはいません……ただ、ちょっと言いづらいだけで」

『それを世間では秘密っていうんだよ』

「とにかく、あなたはラズベリーを港に来ないようにして下さい。私は、その間に魔物を……というか、どうして弱い雑魚ざこほど気配を察知しにくいのでしょう」


 綺麗な銀髪をかきむしり、セファイドは苦悩している。

 夫婦で協力すればいいのに、とアルテミスは思ったが、馬に蹴られたくないので口には出さないでおいた。

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