第一節 内なる炎
清洲魔城の広間にて、黒炎の燭が揺らめいていた。
織田信長は家督を継いだばかりの若き魔王として玉座に座っていたが、列座する重臣や同族の魔王たちの視線は冷ややかであった。
「信秀亡き後、果たしてこの若造に一族をまとめられるものか」
「いや、どうせすぐに信友殿が尾張のすべてを掌握なさるだろう」
「清洲の魔王など、いまや形ばかりの影法師よ」
その声は小さくとも、炎のように広間を満たしていた。
信長は嘲りを聞きながらも、まるで他人事のように微笑を浮かべていた。
愚かなる同族ども――己を侮るその眼差しが、いずれどれほどの恐怖に染まるか。そう考えると、笑みを隠せなかったのだ。
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尾張は織田一族によって分割されていた。
犬山魔城の織田信清、末盛魔城の織田信次、さらには小規模な城に籠もる小魔王たち。
誰もが己を「尾張の正統」と名乗り、互いの存在を疎んじ、しかし最終的には信友の権威に従うしかなかった。
信長に与えられた那古野の地は狭く、兵も少なく、城も古びていた。
外から見れば、彼は「ただの若輩」以外の何者でもない。
だが信長の胸中では、すでに計算が動き出していた。
――まずは内から崩す。
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ある夜。
清洲魔城の奥深くに、信長は間者を呼び寄せた。
その間者は、影のように黒き瘴気で覆われた異形の魔族で、名を「影喰い」と呼ばれた。
「主よ、御命令は」
「簡単だ」
信長は盃を手に取り、紅き魔酒を傾けながら微笑んだ。
「犬山の信清と、末盛の信次。互いに不信を抱くように仕向けよ」
影喰いはにたりと笑った。
「偽りの密書を流しましょう。どちらが先に裏切ろうとしているか、疑念を植え付けるのですね」
「それでよい」
信長の声は低く冷ややかであった。
「疑念は炎だ。一度燃え上がれば、いかに同族であろうと焼き尽くす。……我はただ、その薪を投げ入れるのみよ」
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数日後、犬山魔城に不穏な噂が届いた。
「末盛の信次殿は、信友に密使を送り、犬山を攻め落とす策を献じたらしい」
信清は怒りに震え、牙をむいた。
その同じ頃、末盛にも囁きが届く。
「犬山の信清殿は、すでに信友様へ忠誠を誓い、清洲をも討つ計略を進めている」
信次は疑念に取り憑かれ、兵を増強し始めた。
互いの領地に漂う瘴気は濃く、配下の魔兵たちもざわついた。
小競り合いが始まるのは、時間の問題であった。
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一方その頃、清洲の広間では信長が家臣を前に告げていた。
「尾張の魔王たちは、やがて互いを疑い、勝手に爪を立て合うだろう。そのときこそ、我らの黒炎を放つときだ」
老臣・林秀貞は不安げに声を上げた。
「しかし……信長様。兵の数は劣り、城も脆弱にございます。真正面から挑めば……」
信長は笑った。
「兵の数など、燃える薪の多寡にすぎぬ。要は火のつけどころよ。敵が疲れ果てた時に、我が黒炎を注ぎ込めば、尾張の地そのものが炎と化す」
その笑みは狂気を孕んでいたが、同時に理路整然としており、家臣たちは逆らえぬほどの力を感じた。
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やがて、犬山と末盛の間で小戦が勃発した。
両軍の魔兵が夜空に黒炎を吹き上げ、互いに爪を立て合う。
だが、その背後で誰が糸を引いているかを知る者は、誰一人としていなかった。
清洲魔城の高楼に立つ信長は、炎に包まれる二つの城を眺め、薄く呟いた。
「――炎よ。燃えろ、もっと燃えろ。いずれその炎は、尾張のすべてを呑み尽くす」
犬山と末盛――二つの魔城は瘴気の炎に包まれていた。
魔兵同士がぶつかり合い、牙を突き立て、黒い血が地を濡らす。
同族でありながら、疑念に駆られた両者はもはや敵同然であった。
「裏切り者はお前だ!」
「いや、そちらこそ信友に媚びる犬め!」
罵声と咆哮が飛び交う中、城壁は崩れ、空は瘴気で覆われていった。
だが、この争いに最も笑みを浮かべていたのは、戦場の当事者ではなく、遠く清洲の魔王であった。
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清洲魔城の高楼から炎の空を眺めながら、信長は杯を傾けた。
「よい、よい……炎はよく燃えておる。薪は勝手に己を焼く」
側近の前田利家が問うた。
「信長様、このまま両者が疲弊し尽くした時、我らは……?」
「奪う。城を、兵を、そして名を」
信長の瞳は深紅に光り、狂気の熱を帯びていた。
「争い果てた者の残骸を拾うのは、もっとも容易き戦よ。勝者に見える者も、敗者に見える者も、等しく我が黒炎に飲まれる」
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やがて戦は膠着した。
犬山も末盛も大きな損害を出し、互いに深手を負っていた。
その隙を突いたのが、信長の軍勢であった。
夜半、黒炎に包まれた清洲の兵が密かに出撃する。
まずは末盛の補給路を焼き払い、兵糧を絶った。
次に犬山の周囲に幻術を巡らし、まるで清洲軍が大軍で迫っているかのように見せた。
「清洲の魔王が……この時を狙っていたのか!」
動揺した犬山勢は退却を余儀なくされ、末盛もまた兵糧を失って動けぬ。
両者が膝をついたその瞬間、信長は黒炎の軍を押し出した。
炎はあっという間に二つの領を呑み込み、抵抗する間もなく清洲の支配下に転じた。
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犬山・末盛の両魔城が落ちたと知れ渡ると、尾張の空気は一変した。
「若きうつけ魔王、信長……ただの奇矯な若造ではなかったのか」
「いや、奴は恐ろしい。争いを仕組み、敵を自滅させ、最後にすべてを奪う……」
同族の魔王たちは震え、次に標的とされぬよう身を固くした。
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その報せは、もちろん末森魔城の信友にも届いていた。
巨躯の魔王は怒りに燃え、重厚な鎧を鳴らして立ち上がった。
「……信長。小賢しい策を弄しおって。犬山と末盛を奪ったとて、尾張の主は我だ!」
だが、信友の配下の魔王たちは沈黙した。
犬山と末盛の落城は、信友に従っていた小領主たちに大きな衝撃を与えていたのだ。
「信長に逆らえば、我らも同じ運命ではないか」
疑念は信友の陣営にまで広がり、彼の威光をじわじわと蝕み始めていた。
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清洲の広間で、信長は戦果を報告する家臣たちを前にしていた。
「犬山と末盛、共に我が手に落ちました」
「見事にございます!」
信長は杯を置き、静かに言った。
「これでよい。信友の傘下は崩れ始めた。……だがまだ足りぬ」
「足りぬ、とは?」と利家が問う。
信長は微笑んだ。
「外からも炎を焚きつけねばならぬ。美濃の毒竜王に風を送り、三河の若き鎖縛王に影を投げかけるのだ」
その声には、底知れぬ冷酷さが漂っていた。
尾張を焼く炎は、もはや内だけでなく、外からも迫ろうとしていた。
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