#41「血に揺れる鎖、登場するは闇の伯爵」

先を歩くバルドのに続き、俺とチャピは歩みを進めた。


やがて、街並みがじわりと変わり始める。

豪奢だった建物は影を潜め、壁は崩れ、窓は割れ、道端には打ち捨てられた木箱や壊れた樽が転がっている。

街灯も途切れがちで、闇は濃く、鼻につくのは湿気と腐臭。


さらに進むと、急に視界が開けた。

大きな通り。だがそこは闇に覆われ、俺たちを飲み込もうとしているようだった。


その暗がりで、気配がわずかにざわめく。

路地の影から、黒い布をまとった男たちが次々と姿を現した。

ざっと十数人はいる。


ひとりがすっと前に出て、低く声をあげる。


「……ボス、まだ動きはありません」


「……ここから先は俺たち三人で行く。母娘の身を危険にさらすわけにはいかん。俺の合図があるまでは動くな」


部下は、無言で頷き、その場に留まった。

そして俺とチャピ、バルドの三人は、通りの奥へと歩を進めていった。


闇を抜けると、やがて視界に巨大な石造りの建物が現れた。

その威圧感は廃墟めいた街並みに不釣り合いで、異様な存在感を放っている。


その時、建物の影から、闇がゆらめくように動いた。

そこから一歩、また一歩と人影が近づいてくる。

足音はない。だが、確かに近づいてくる。


「……お待ちしておりました」


低く響いた声に、背筋が凍る。

闇の中からにじみ出るように、その顔がようやく光に浮かんだ。――ノクトだ。


ノクトは、光に浮かんだその顔に――薄ら笑いを浮かべている。

目だけが笑っていない。闇を湛えた瞳が、俺の心臓を握りつぶすように射抜いてくる。


「ッ……!」


思わず息を呑み、足がわずかに後ずさった。冷たい汗が背を伝う。


その瞬間、チャピが音もなく俺の前へと出た。

バルドだけは一歩も引かない。

平然とした顔で、ノクトの不気味な笑みを真正面から受け止めていた。


ノクトは口の端を吊り上げ、わざとらしく肩をすくめた。


「……おやおや、清掃員殿。どうやら、――良いお返事は……聞けそうにありませんねぇ……」


薄ら笑いを浮かべたまま、首を小さく振る。


「ひじょーに……残念です」


「……リーナ達はどこにいる」


俺は震える声を押し殺し、ノクトに問いかけた。

ノクトは笑みを浮かべたまま、楽しげに目を細める。


「もちろん、無事ですよ。ご安心を――」


そこで言葉を止め、にやりとこちらを見据えた。


「…あの子には、封印を解いてもらわなければなりませんからねぇ……」


背筋を冷たいものが走る。

その時、バルドが痺れを切らしたように低く唸った。


「御託はいい。母娘と……ロガンはどこにいる」


ノクトはくすりと笑い、ゆっくりと右手を掲げた。


「――ロガン様はそこに。望みどおり、お目にかけましょう」


その指先を追って視線を上げた瞬間――息が止まった。


闇の中、鎖に吊られるようにして血まみれの男が宙に揺れていた。

服は裂け、全身に無数の傷跡。


バルドの表情が凍りつく。


「……ロガン……」


呼びかけに応える声はない。

焦点の合わぬ虚ろな瞳は、すでに光を失っていた。


「なんだこれ……一体なんなんだよ!」


思わず声を荒げていた。


ノクトは肩を揺らして小さく笑い、わざとらしくため息をついた。


「ああ……もう少し遊んでいたかったのですが……潮時ですかねぇ」


薄ら笑いをさらに深め、片手を胸に添えて芝居がかった仕草を取る。


「改めまして。私は――闇の眷属たる魔族。そして伯爵の位を与えられし者……ノクトと申します」


その声は、闇そのものが囁いているように低く響いた。

血まみれのロガンが揺れる鎖の軋みと重なり、息苦しい沈黙が場を支配する。


沈黙を破ったのは、チャピだった。

その身が音もなく跳び、銀の光を閃かせてノクトへ斬りかかる。


ガキィン――!


火花が散った。ノクトの手に握られたのは、血のように赤く輝く刃。


「おやおや……血の気の多いお嬢さんだ」


薄ら笑いを浮かべたまま、ノクトは軽々と斬撃を受け止めていた。


その瞬間、バルドが腰からナイフを抜き放つ。


「っらあっ!」


低く唸り、ノクトの懐へと刃を突き込む。


だがノクトは舞うように身をひるがえし、仰々しい仕草で攻撃をかわす。

ひらりと距離を取り、わざとらしく大げさに一礼してみせた。


「いやはや……実に見事な連携でしたよ。お二人とも」


血のような刃を軽く振り払い、口の端を吊り上げる。


「ですが――私と遊ぶには、少々役不足かもしれませんねぇ」


その声は嘲りとも賞賛ともつかず、場の緊張をさらにかき立てる。


ノクトは両腕を広げ、わざと芝居がかった声色で告げた。


「では――ここに今夜の主役にご登場いただきましょう」


パチン、と指を鳴らす。

その瞬間、彼の眼前に黒いもやが渦を巻くように現れた。


「……リーナ!」


思わず声が出た。


もやの中から現れたのは、手足を縛られた少女。

蒼ざめた顔、怯えに震える瞳――間違いなく、あのリーナだった。

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