#25「血の祭壇で舞台が始まった結果(前編)」
冷たい石床にしみついた赤黒い紋様が、呼吸するかのように脈動していた。
鉄錆のような匂いが空気を満たし、灯火もないのに壁面がぼんやりと赤黒く輝く。
漆黒のマントを纏った男は、淡く口元を歪めた。
「かつて――光を戴く一族の中に、己が欲望のため闇を選んだ者がいた」
響く声は石の壁を伝い、祭壇全体を震わせる。
フィーの背筋がびくりと強張った。
「そやつは我を召喚し、力を望んだ。その代価は血脈。
子々孫々にまで“呪縛の契約”を刻むこと」
男が静かに片手を上げると、壁の紋様が赤黒く滲み、じわりと血が浮かび上がる。
フィーの顔が青ざめ、胸元のペンダントを必死に握りしめる。
「光を戴く一族は確かに強き力を得た。
だが百年に一度、最も強き血を宿した者を“生贄”として差し出す――それが定め」
空気が重く沈み、石床から立ちのぼる黒い煙が膝を絡め取るようにまとわりつく。
フィーは小さく首を振り、かすれた声を絞り出した。
「そ……そんなはず……ありません……」
「否。事実だ。そして今、その血脈が応じている」
赤黒い光がフィーの胸奥を照らし、心臓の鼓動と呼応するかのように強まっていく。
彼女は胸の痛みに耐えるように身体を折り、震える手で光輪十字を描こうとした。
「――お前の番だ、フィオリアーナ・エルネシア」
男の瞳孔が獣のように開き、暗赤の輝きが突き刺さる。
フィーの視界が揺らぎ、祈りの言葉が震える唇から零れかけた。
ルミナスがふさをぶるぶると震わせ、低く不吉な風音のように空間がざわめく。
赤黒い光に包まれた祭壇。
重苦しい空気の中で、俺はゆっくりと目を細めた。
(……俺は、こいつを知っている……)
(そうだ……この場所にこいつが呼ばれた理由。それは――この物語を彩るため)
胸の奥で鼓動が高鳴り、右手が勝手に握りしめられる。
ルミナスの柄を支点にして、ひとり芝居のように脳内で盛り上げていく。
(舞台に立つために呼ばれし者――観客の目を奪い、物語を支える影……!)
思いもしなかった登場に鼓動が波打つ。
(……こいつは……エキストラだ!!)
石壇に立つ黒衣の男を見据えながら、俺の中で妙な納得が広がっていく。
(まさか……フィーのやつ、人まで雇うなんて…)
(大道具、小道具……いや、あの祭壇や匂いにまでこだわってるじゃないか。照明まで仕込んで…大仕掛けだぞ……!)
(ここまでして…悲劇のヒロインを演じるなんて!)
ぞくりと鳥肌が立った。
ただの巡礼少女だと思っていたが、まさか、ここまで“舞台”を作り上げるとは思わなかった。
――脳裏に、現世の自分がフラッシュバックする。
アニメや映画に触発され、かつて俺も仲間を集めて「オリジナルの物語を再現する舞台」を夢想した。
衣装、セット、照明、役者――どれも見積もりを出した時点で桁違いの金額が並んでいた。
(そうだ……あのとき悟ったんだ。ビルメンの安月給じゃ、カッコいい物語なんて形にできないって)
夢は金に押し潰され、現場作業の汗にかき消された。
だが今――目の前の少女は、その壁をぶち破ったように見えた。
――その時、俺の脳裏に電流が走り、背筋が震える。
(……フィー。だからお前は金がなかったんだな……全財産をつぎ込んだから…)
(俺が諦めた夢を、幼い少女が実現している……。もう“お年頃”なんて生易しいもんじゃない。こいつは魂ごと舞台に賭けている……!)
胸の奥で熱が爆ぜる。
――ならば、俺も応えなきゃならない。
(分かったよ、フィー。お前がここまでして作った舞台なら……俺も全力で付き合う!)
(――ヒロインは最後に報われなきゃ――嘘だよな!!)
その瞬間、黒衣のエキストラ――がゆるりと歩み寄る。
赤黒い煙が蛇のように這い出し、フィーの身体へと伸びていった。
血を求めるかのように、細い指が彼女へと迫る。
「……やめろッ!」
俺は舞台の幕が上がったかのように大きく一歩を踏み出す。
怯える悲劇のヒロインを守るヒーローのように。
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