#11「清掃員、服を新調して覚悟を決める」
港町アルメルに来て二週間がたった。
潮風に揺れるマントや鎧姿の冒険者たち。商人や漁師もみな、この世界らしい格好をしている。
その中に立つ自分を見下ろす。
ネイビーの作業着は袖口が擦れて糸が出はじめ、膝には落ちない薄汚れが残っていた。
……思えば散々な場所を潜り抜けてきた。
まだ着れなくはない。だが、どうにもこの町の景色の中では浮いて見える。
「……あー、そろそろ替えどきか」
腰袋の銀貨を指先で確かめる。昨日までの報酬で、最低限の買い物はできる。
現世の作業着のままじゃ、いずれ布の方が音を上げるだろう。
「決まりだな……新しい服を買うか」
視線の先に、木の看板を掲げた店が見えた。
「防具・衣服」と彫られた文字。
扉の向こうに漂う革と布の匂いが、ここからでも鼻をくすぐる。
俺は深呼吸ひとつ。
そしてドアノブへ手をかけた。
扉を押すと、カランと鈴の音。
革と布の匂いが混じる店内に、明るい声が飛んできた。
「いらっしゃいませー!……って、その服なに!? え、逆に新しい流行?」
「いや、ただの作業着なんだが……」
カウンターから顔を出したのは、三つ編みをした若い女性店員だった。
俺を一瞥した瞬間、眉をひそめる。
「うーん……袖ほつれてるし、膝シミだらけ。お客さん、それ以上着たら“浮浪者”ってあだ名つきますよ?」
「……やっぱりそう見えるか」
俺は肩をすくめる。
彼女はすぐさまラックから数着引っ張り出してきた。
「はいっ! まずはこちら! 真っ白なマント! 勇者感マシマシ!」
「……床拭いた瞬間、裾が灰色になる未来が見えるな」
「じゃあこっち! ゴールドの刺繍入りチュニック!」
「派手すぎる、汚れが目立つ。掃除は戦いなんだ、実用一点突破でいけ」
「えぇー……じゃあ……はいこれ! 無地で地味なカーキ服と濃茶のマント。頑丈で洗いやすい!」
「……それだ!」
俺が即答すると、彼女はきょとんとした顔をした。
「いやいや、普通の人なら金ピカ選ぶでしょ!? 地味な方で即答するお客さん初めて見た」
「掃除屋は、目立つより耐久性だ」
ルミナスが背中でぶんぶん揺れ、ふさを大きく膨らませて「それそれ!」と賛同している。
女性店員はルミナスを見て目を丸くした。
「……その浮いてるの何?」
「相棒だ」
「……へぇ……いや、何事もなかったみたいに言わないでよ!」
代金を払い、紙袋を片手に店を出る。
潮風が新しい布を揺らし、背中のルミナスがふさをパフッと膨らませた。
「……よし。見た目はだいぶマシになったな」
服も新しくしたんだ。気持ちを切り替えるには、次は――
「……風呂だな」
港町には旅人や漁師用の公共浴場があると聞いた。
俺は浴場の煙突から立ちのぼる白い湯気を目印に、石畳を進んでいった。
公共浴場の戸をくぐると、白い湯気がもわっと広がった。
桶を借り、服を脱いで掛け棚に置く。革と布の匂いから解放される瞬間、思わず息が漏れる。
湯気に曇った鏡の前で、俺は思わず立ち止まった。
裸の自分が映る。
細いが、締まっている。
現場で磨かれた肩の厚み、背筋の盛り上がり、浮き上がる腹筋。
モップを振り、ポリッシャーを押し、資材を担ぎ続けた体。
それは「清掃員」という名の、職業が得た筋肉だった。
俺は腕を胸の前で交差させ、ゆっくりと顎を引いた。
その姿勢は、まるで闇に抗う孤独な勇士のよう――
「……フッ……この右腕、幾千の汚泥を拭い去った力……」
片腕を掲げ、指をわずかに震わせる。
筋張った前腕に浮かぶ血管が、異世界の魔力に呼応するかのように脈打つ。
「この背……幾度も屈しそうになりながら、なお立ち続けた者だけが背負える厚み……!」
背筋を反らし、両手を大きく広げる。
鏡の中の俺は、やけに堂々としたシルエットを描いていた。
「……ふっ……浄化の覇道は、ここからだ……」
その瞬間、背中のルミナスが「パフッ!」と音を立ててふさを膨らませた。
鏡越しに見れば、どう見てもノリノリで乗っかっている。
「……おい、相棒……モップは風呂に入ったらだめだろ」
湯気に響いた声は、湯船の水音にかき消されていった。
熱い湯を肩まで受け入れると、全身の筋肉がじんわりと溶けていく。
鏡でポーズを決めた余韻も、いつのまにか静かな水音に消えていた。
湯気の向こうで目を閉じると、自然とこれまでの光景が浮かぶ。
牢獄の石床を磨いた夜。
聖堂を浄化した瞬間。
港町の喧騒、依頼掲示板。
どれもこれも、気が付けば心に刻まれている。
(……現世に戻りたいかって言われりゃ……)
脳裏に浮かぶのは、夜勤明けの蛍光灯、冷えたコンビニ弁当、灰色のビル群。
十五年耐え続けた、擦り減るだけの毎日。
(……いや。戻りたいとは思わないな……)
ぽつりと湯面に落ちた言葉は、小さな波紋になって広がった。
「ここも、悪くない」
湯の熱さか、それとも胸の奥から滲む何かか。
気付けば、口元に小さな笑みが浮かんでいた。
湯から上がり、服を整えた俺は行きつけの大衆酒場へ向かった。
漁師や旅人で賑わう広間には、焼いた魚と香草の匂いが充満している。
火照った体に、ざわめきと飯の匂いが心地よく染みていく。
食事をしてしばらくすると――視界の端に、“それ”が映った。
窓際の席。
揺れるランプの灯りに、細長い耳と金の髪がちらりと覗いた気がする。
「……っ!」
思わずパンを落としかけた。
心臓が嫌な速さで跳ねる。
(いや、気のせいだ……気のせいだよな……)
だが脳裏に、忌まわしい妄想が過ぎる。
もしあのエルフに“
俺はこの世界で、永劫の恥辱を味わう。
「……やべぇ……あいつ、怖すぎる……」
呪文のように「気のせいだ……気のせいだ……」と言い聞かせる。
……なぜか背中のルミナスは、ふさをふくらませたままじっと……窓を見つめている。
………気になって……もう一度だけ窓を見た。
………そこには誰もいなかった………
ただ、ランプに照らされたガラスに“俺の顔”が映っているだけだ………
だが――映り込んだ俺の肩のすぐ後ろ。
“もうひとつの影”が、確かに寄り添っていた。
俺は、パンを握る指先からじっとりと汗がにじむのを感じた。
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