第二十一話:きみの悪夢を喰らう夜
縁側でガタガタと震え続ける穂花の体。その体はまるで、真冬の氷のように冷え切っていた。僕は彼女の肩を強く強く抱いていたが、その震えは一向に収まる気配がなかった。
過去という名の悪夢。それは僕の想像を遥かに超えるほど、深く暗い根を彼女の心の中に張っていたのだ。
このままここにいても埒が明かない。僕は意を決すると、その驚くほど軽くなってしまった彼女の体を横抱きにして、そっと抱え上げた。
「……っ!?」
腕の中で穂花が、びくり、と怯えたように身を強張らせる。
「大丈夫だ、穂花。大丈夫だから」
僕は、まるで幼子に言い聞かせるように、何度も何度もそう繰り返しながら寝室へと彼女を運んだ。
畳の上に敷かれた僕の布団の上にそっと彼女を寝かせる。だが穂花は、悪夢にうなされるように浅い呼吸を繰り返し、僕のTシャツの裾を小さな手で、ぎゅっと強く握りしめて、決して離そうとはしなかった。
「いや……いやだ……こわい……」
うわ言のように、か細い声が、彼女の唇から、こぼれ落ちる。
「ひとりに、しないで……お願い……」
そのあまりにも痛々しい姿に、僕の胸はナイフで抉られるように痛んだ。
僕は布団の横に膝をつくと、彼女の汗で額に張り付いた前髪を優しく指で払ってやった。その時、彼女がゆっくりと瞼を持ち上げた。涙でぐっしょりと濡れた大きな瞳。その瞳はもう、僕のことを見てはいなかった。彼女の瞳に映っているのは僕ではなく、彼女を苛む過去の亡霊たちなのだろう。
そして穂花は途切れ途切れに、しかし必死に、僕に訴えかけてきた。
「……雫、ちゃん……」
「……私の中に、まだ、いるの……あいつらが、いるの……っ」
「お願い……」
彼女は潤んだ瞳で僕に懇願した。それはもう、ただの慰めを求める言葉なんかじゃなかった。
「お願い、雫ちゃん……私を……」
「私を、雫ちゃんで、いっぱいにして……」
「嫌なこと、全部……全部、忘れさせて……っ!」
それは少女の甘いおねだりなんかじゃない。自分の魂が悪夢に喰らい尽くされる寸前に差し伸べられた、最後の救いを求める一人の女の魂からの叫びだった。
そのあまりにも切実な願いに、僕の心は激しく揺さぶられた。一瞬だけためらいが心をよぎる。
僕にそんな資格があるのか?僕のこの手で、彼女の魂に触れてもいいのか?
だが、その迷いはすぐに消え失せた。彼女をこの地獄のような苦しみから救い出してやれるのは、この世界で、僕しかいない。
僕が彼女の光になるんだ。彼女の悪夢を喰らう存在になるんだ。
「……わかった」
僕は静かに力強く頷いた。そして覚悟を決める。彼女の全てを受け入れることこそが、僕の愛の証明なのだと。
僕は何も言わず、ただ彼女の涙で濡れた頬にそっと唇を寄せ、そのしょっぱい涙を舐めるようにキスをする。
それは慰めと、慈しみと、どこまでも深い愛情に満ちた、優しい、優しいキスだった。
「ん……」
穂花の唇から小さな吐息が漏れる。僕は彼女の涙を飲み干すかのように、何度も何度も、その瞼に、頬に、唇を落としていく。
そして最後に、震える彼女の唇に自分のそれを、そっと重ね合わせた。
「大丈夫、僕がそばにいるから」
急かすことなくゆっくりと時間をかけて、彼女の体の震えが完全に収まるのを確かめるように、彼女の肌に触れていく。
一つ一つのキスが、「君は一人じゃない」「君は汚れてなんかない」「君は世界で一番愛されているんだ」という僕からのメッセージを伝えていくように。
僕は彼女の額にキスをした。瞼にキスをした。耳元に唇を寄せ、囁いた。
「もう酷い言葉は聞かなくていい。僕の声だけを聞いていればいい。僕だけを見ていればいい」
そして首筋に、鎖骨に、華奢な肩に吸い付くようにキスを落としていく。その度に、氷のように冷え切っていた彼女の体が、ぴくん、ぴくん、と震えながらも、少しずつ、少しずつ僕の熱を吸収し、温もりを取り戻していくのがわかった。
僕の温もりが悪夢の冷たさをゆっくりと溶かしていく。彼女の頭の中で鳴り響いていたであろう、加害者たちの下劣な嘲笑う声を、僕の囁きと愛おしげな表情に塗り替えるために。
彼女の瞳から恐怖の色が薄れ、とろりとした熱っぽい光が宿り始める。
唇の端に光る涎が、彼女の情欲を表しているようだった。
僕はゆっくりと彼女の服に手をかけた。さらりとした手触りのキャミワンピは、彼女の冷たい汗を吸い込んでぐっしょりと濡れている。
細い肩紐を落とし、下にずらしていけば、彼女は腰を浮かせて自らが脱がされるのを、熱い瞳を潤ませながら見ていた。
ショーツの腰のリボンをほどき、彼女の何も生えていない柔肉を露わにし、その晒された真っ白な肌を、足の先から首筋まで撫で上げる。
そして僕は、祝福を与えるようにキスの雨を降らせた。
豊かな胸の膨らみに、平らなお腹に、華奢な腰に。キスをする度小刻みに震える彼女の体に愛おしさを覚え、僕は再び彼女の唇を求めた。
今度はもっと深く、もっと熱く。お互いの舌を絡め、歯を舐め、また舌を絡める。それに穂花も情熱的に応えてくれる。
僕の手は彼女の体を隅々まで撫でる。豊かで柔らかな膨らみを優しく、時に乱暴に揉みしだく。その度に穂乃果が「ぁっ…」と甘い声を唇の端から漏らす。
僕の手は平らなお腹を滑り、腰のくびれを撫で、丸いお尻を両手でしっかりと包み込んだ。
「しずく、ちゃ……」
「大丈夫。僕が全部、受け止めてやるから」
そして最後の境界線を越える時、僕は彼女の耳元で囁いた。
「僕で穂花の全部をいっぱいにしてやる。嫌な記憶なんて一つも残らないくらい僕の色で染め上げてやるから」
「……うん……雫、ちゃん……」
二つの体がゆっくりと一つに結ばれる。その瞬間、穂花の大きな瞳から、最後の一粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。
でも、それはもう恐怖の涙じゃなかった。全てから解放された安堵の涙だった。
僕たちの肌が汗ばみ重なり合い溶け合っていく。
寄せては返す穏やかで、しかしどこまでも情熱的な波のように。
僕たちはただひたすらに、お互いの名前を呼び合い、何度も何度もキスを繰り返した。
その時、穂花の心を満たしていたのはもう、過去への恐怖ではなかった。
僕という存在への絶対的な安心感と、どうしようもないほどの愛おしさだけだった。
◇
汗ばんだまま僕の腕の中で眠りに落ちた穂花の寝顔は、まるで憑き物が落ちたかのように、穏やかであどけなかった。
すぅ、すぅ、と聞こえてくる安らかな寝息。僕はその愛おしい寝顔を見つめながら、彼女の汗で濡れた髪を優しく梳いてやった。
僕はこの身をもって、彼女の悪夢を祓うことができたのだろうか。
安堵すると同時に彼女の全てを、この先何があっても守り抜くという誓いを改めて自分の魂に深く深く刻み込むのだった。
もう二度とこの子を一人にはしない。僕がこの子の、絶対的な聖域になるんだ。
静かな夏の夜。窓から差し込む月明かりだけが、寄り添って眠る僕たち二人をただ、優しく照らし続けていた。
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