一章 霧ヶ原澪は【殺人鬼】である 四→

霧ヶ原澪は【性格の悪い美少女】である




 もしもの話である。


 もしも自分が今夜、人を殺そうと計画していて、或いは日ごろから誰かを殺したい欲求を抱えていて。

 それをいきなり、よく知らない相手から言い当てられたらどんな反応をするだろうか。


 普通ならば相当驚くだろう。狼狽えて、どうにか平静を装うとするがそれもできず、やはり「なぜわかった」とかそんなセリフを言ってしまうのだろうか。少なくとも平静を装って笑うことができるなら、役者でも志せばその経験を火曜の二時間枠のドラマとかで活かせるだろう。


 そしてこれらは普通の話。


 霧ヶ原澪という人物は普通の高校生ではないのだ。


 まずとんでもない美人である。

 夜を鞣したような黒髪に、満月のように眩しく、それでいてどこか近寄りがたい瞳。

 立っているだけで周りが霞んでしまい、妬まれるような美人なのだ。

 加えて、百七十センチ近くある長身と日本人離れしたスタイルの良さは立っているだけで周囲から妬まれ、座れば今度は急に小さくなるものだから足の長さが目立って周囲から妬まれる。


 そして当然の様に成績は体育を含めて何をやらせてもトップクラス。なのでもうびっくりするくらい妬まれる。いわゆる学校の裏サイトというやつの匿名掲示板に『霧ヶ原澪はパパ活ビッチ』とか書かれまくるくらいには妬まれている。


 だが実際の彼女は身を売らなくともいいくらいにお金持ち。霧ヶ原家と言えば、この辺りではそれなりに有名な資産家の家だ。彼女の住む家は下手したら学校よりも広い土地を持ち、もうここまで来ると悪口が思いつかないけれどとりあえず気に食わないという感じで匿名掲示板に『絶対ビッチ』とか書き込まれるくらい妬まれている。


 ここまで聞けば完璧超人で周囲から妬まれはするが同時に求心力とかもありそうなものだが、実際の彼女は学校で誰とも話さない。むしろ話しかけると露骨にいやそうな顔をしたりするらしく、匿名掲示板の方にも『俺たちを見下してるお高く留まったビッチ』という悪口を書く余地が与えられている。


 もうビッチって言いたいだけだろ掲示板の奴ら。


 そんな感じで、霧ヶ原澪は【特別】な高校生なのだ。良いにしろ悪いにしろ、【霧ヶ原澪】という強い印象を他者に植え付けられる人間。


 だがまさか、そんなに特別なのにまだ属性を盛る余地があるなんて思いもしなかったというものだ。


「それで、なんで佐踏くんは動いているの?」

「せめてなんで生きているのって聞いてくれない?」

「殺したんだから生きているはずがないでしょ? だからどうして動いているか、と聞くのが正解でしょう?」


 出入り禁止の屋上へ続く階段。

 人の寄り付かないそこで俺は霧ヶ原さんと向かい合って会話する。楽しそう、というよりは愉しそうとでも言うべき、虫を殺してはしゃぐ無邪気な子供のような残虐な笑顔。背丈こそ同じくらいであるが、一段上から俺を見下ろす彼女の目には不思議な圧があり、喉の奥がピリピリする。


「そう、殺したはずなのよね。それも三回」

「やっぱりそっちも覚えているんだな」

「これから起きる未来の出来事だから、覚えているって言い方はおかしいんじゃない? 知っている、或いは繰り返していることを自覚している、ってのが正しいかしら」


 こんな狂った状態に正しいもクソもあるか、と言ってやりたかったが貼り付けたようににこにこと笑う霧ヶ原さんを見ると言葉が引っ込む。下手なこと言うと今夜ではなくいまここで殺されるだろう。


「この三回でいろいろと確認したけれど、私達は六月十五日を繰り返している。その認識でいいわね?」

「いいわね、って……そんなあっさりと」

「事実を認めて、対処法を考えなければ物事は進展しないでしょう? それとも、佐踏くんは気が狂うまで六月十五日を繰り返したいのかしら?」


 もちろん俺だって、延々と殺され続けるのは嫌だし、殺されなくとも同じ日を繰り返し続けるなんて堪ったものじゃない。


「一つ、確認したいんだけどさ」

「一つと言わずいくらでもどうぞ。どんな些細なことでも、現状を打破するカギになるかもしれないわ」

「じゃあ言わせてもらうけど、本当に俺のこと殺したのは霧ヶ原さんなのか?」

「今更そんなこと聞く? そうに決まっているでしょう」


 変なこと言わないで欲しいと言わんばかりに、霧ヶ原さんの眉毛が八の字を描く。

 いや変なこと言ってるのアンタだろ。なんで俺がおかしなこと言っているみたいな顔しているんだ?


「え、その、じゃあこれ言っていいのかなぁ?」

「どんなことでも言っていいわよ。それも何かのカギになるかもしれないわ」

「じゃあ言うけどさぁ。俺を殺すのやめれば万事解決じゃない?」


 そもそもの話、なんでループが起きているかという疑問の答えとして現状最も有力なのは俺が死ぬ、ということだ。


「霧ヶ原さんは、今日の朝に巻き戻る時どんな感じで戻るんだ?」

「そうね。佐踏くんを殺した後で、映画で場面が切り替わる時みたいに唐突に今日の朝になる、って感じかしら」


 ならもうほぼ確定だ。


 ループが起きている原因はわからないが、ループの起点は俺が死んだ瞬間、というのが彼女の話から推測できる。


 つまり俺が死ななければループは起きない。


「なるほど。思いつきもしなかったわね。もしかして佐踏くんって頭がいい?」


 心が全くこもっていない人形のような声と表情で語る霧ヶ原さんを見て、少しだけ安心した。ハイスペックな彼女もどうやら演劇の才能はないらしい。


「そもそもなんで俺を殺すんだよ」

「私、実は快楽殺人鬼なの」


 核心を突くような俺の質問に、なんてことないように答える。

 これではその言葉を口にするのに、それなりに覚悟を決めた俺がバカみたいじゃないか。


「あ、殺人鬼って言っても殺したのは佐踏くんが初めてよ?」

「問題はそこじゃないんだよ」

「私のハジメテじゃ、嫌?」

「やかましいわ」


 クラスどころか学年一の美少女になんだか卑猥な雰囲気でそういわれたらちょっとドキドキするかもしれないが、今の俺にとって霧ヶ原さんは学年一の美少女の前に俺を殺してくる恐ろしい怪人なのだ。


 大前提として、誰が被害者で、誰が加害者であろうと人殺しは許されない罪だ。


 日本でも人を殺せばとても重い刑罰を受けることとなる。

 それが故意かつ、自分の快楽の為となればなおさらだ。

 はっきり言って、それを堂々と宣言する霧ヶ原さんは異常としか言えない。


「ま、一応答えてあげるわよ。……何かしらその顔。不満そうね?」

「殺人鬼からまともな答えが返ってくるとは期待してないから」

「あら、私のことがよくわかっているじゃない。ムカつくわね」

「ムカつくって……それ普通俺のセリフじゃない?」


 既にいくら容姿が良いからって、霧ヶ原さんが中身まで完璧な美少女とは思っていない。そもそも普通の完璧美少女は殺人をしない。

 それでも、彼女ほど整った顔立ちと透き通るような声を持った人が言うムカつくは、なんだか現実感がなかった。


「私は小さいころから人を殺したかったの」


 なんてことのない世間話のような語り口で、彼女は己の異常を異常とも思ってないかのように話を続ける。


「でも現代で人を殺したら面倒じゃない? 社会的弱者として牢屋に入れられたり、逃げたりしなきゃいけないし」

「そういうのじゃなくて倫理的になんかないのか?」

「やりたいことだもの。人を殺しちゃいけません、なんて問答がしたいならいくらでもするわよ」


 かかって来い、と言わんばかりに手を招く彼女を前に俺は押し黙る。

 今食って掛かったところで、絶対に論破される。彼女もそうなるのがわかっているからか、少しつまらなそうに口を曲げた。


「学校でも好きで孤立しているわけじゃないのよ? 殺したいのに殺せない相手と関わるなんてストレスでしかないし、あと私短気だからムカつく奴とか現れたらうっかり殺しちゃいそうだったし」


 冗談でも言うみたいだが、実際俺を殺している以上本気なのだろう。


 良かった、この人がうちの学校の裏サイトを確認していたら、間違いなく学校生徒全員を皆殺しにしようとしていただろう、なんて阿呆な考えがよぎるくらい、現実感のない返答。


 はっきり自覚できている範囲でも二回、俺はこの人に殺されている。

 この人はすでに三回、俺を殺している。


 それなのに、俺たちの間に流れる雰囲気は、教室で駄弁っていたとしてもおかしくない、そういう【異常】を孕んでいた。


「この国の法律では殺人が許されないことくらいわかっていたわ。でも欲求を永遠に我慢するなんて無理よね? だから……」

「だから?」

「もう我慢しきれないし殺しちゃおって決めたの。それが六月十四日。暦の上での昨日のことね」

「行動速すぎだろ」

「善は急げってね」

「殺人は悪だろ」

「欲を満たすことに善も悪もある?」

「なら急ぐな」


 話しているとなんだか頭が痛くなってくる。

 安易にこんな言葉を使いたくないが、霧ヶ原さんは普通ではない【特別】の中でも狂人と呼ばれる類の人間だ。


 自分が殺した相手と平気で会話している時点で気付くべきだったが、少なくともコイツは説得して自分の考えを曲げるような人間ではない。


「じゃあ、なんで俺なんだよ」

「誰か殺そうかなーって路地裏歩いていたら佐踏くんが来たからだけど?」

「そっちのことじゃなくて。繰り返すのが嫌なら、その、俺以外を殺せばいいだろ」

「つまり自分が死なないために他人を売るってこと? 佐踏くんって案外えげつないこと考えるのね」

「殺人鬼側に言われたくない」


 絶対こう言われるのがわかっているから言いたくなかったが、ループをさせないだけなら簡単なことなのだ。


 霧ヶ原さんが俺以外の誰かを殺して殺人欲を満たす。これだけで終わることだ。

 俺も霧ヶ原さんもそれで六月十五日からは脱出できる。


「そうね。それが一番簡単よね」

「ならそうしてくれ。戻るからと言って死ぬのは痛いんだよ」

「うん、嫌よ」

「なんで?」


 心からの言葉だった。


 霧ヶ原さんは人を殺したい。

 俺は死にたくない。

 二人ともループから抜け出したい。


 少なくとも、俺と霧ヶ原さんはこの妥協案で損をすることがない。

 霧ヶ原さんが俺を殺した理由が恨みなどではなく、たまたま路地裏を歩いた、というものであるならばなおさらだ。


「私ね、二つ嫌いなことがあるの」

「聞きたくないんだけど」

「ここまで質問ばっかりの佐踏くんに答えてあげたのよ?ちょっとくらい聞いていきなさい」


 指で数字の【1】の形を作り、それを銃のように突き付けてくる。

 決して彼女は声を荒げたりしておらず、むしろ赤子をあやす母親のような、凪の海のような穏やかさで、暗にさえぎったら殺すと言わんばかりの圧力を指と一緒に突き付けて来ていた。


「まず一つ、我慢すること。なのに、生まれて来てからずっと人を殺すことを我慢していたの。だからイライラを隠すのに毎日必死だったのよ」


 そこで彼女は口を閉ざし、ニコリと俺に笑顔を向けながら突き付けた指をくいっと曲げ、招くようなジェスチャーを見せた。


 もしかして、これは聞いて来いということか……?


「えーっと、二つ目は?」

「良く聞いてくれたわね」


 どうやら霧ヶ原さんは演技の方は上手くないが、劇場型な一面があるらしい。

 台本のない劇なんて、間違ったら比喩抜きに首が飛びそうなこっちからしたら勘弁してほしいのだが。


「二つ目は、誰かに指図されること。どんなことであろうと、私が私の意思で決めたことを誰かに邪魔されるのは気分がよくない。ムカつくし腹が立つし、それこそ殺してやりたいと思う」


 殺す、という言葉は驚くほど日常で聞く言葉だ。それでも、本当に人を殺すような人間が使うその言葉には、普段聞くものとは違う、熱さとも冷たさとも言えない温度がある。


「さっきも言ったけど、私はそれなりに覚悟をして殺人に臨んだ。私が私らしくあるために、誰に攻められようと誰に恨まれようと絶対にこの胸に湧く欲望を満たすと決め、実行した」


 なのに、と彼女は後者の壁に拳を叩きつけた。


 その勢いはあまりに強く、打ち付けた拳の方が傷つき血、が滲むほど。それほどまでに、彼女は怒っていた。


「時間が巻き戻った。私が、私の意思で自分の最初で最後にすると決めた、最高の殺人がなかったことにされた。佐踏くんにはこの怒りがわかる? 十六年抱え続けた欲求の開放を、余韻に浸ることも許されず世界そのものに否定されるかのようなあの絶望」


 嘘偽りのない霧ヶ原澪の怒りと本音。

 気迫に押され階段から転げ落ちてしまいそうなほどのその言葉は、人生を賭けた演説であるかのような、事実彼女にとっては人生を賭けた物事であるからこその熱意がある。


 だが、それはそれとしてだ。


「つまり、俺を殺したという自分の行為が、巻き戻ってなかったことにされたのが嫌だってことか……?」

「そういうこと。偶然だろうと私は佐踏くんを殺すと決めたの。たとえ時間が巻き戻って神様が佐踏くんを殺しちゃいけないって言うのだとしても、私は自分の意見を曲げたくない」


 なんてことだ。

 要約すればこの女、超自己中心的ということだ。


「私は私の意思を捻じ曲げるくらいなら、それが神であろうと戦ってやるわよ。ムカつくし」


 これで勝負の相手が完治不可能と言われた病や前人未到の大記録とかなら素直にかっこいいと讃えられるのだが、残念なことに彼女はただのジコチューの殺人鬼である。


「だから私は佐踏くんを殺すのを止めるって選択肢はないわ。わかった?」

「理解したけど納得できない」

「なんで?」

「逆に今ので納得してもらえると思ったの?」

「思わないけどしなさいよ。私は譲らないわよ?」


 改めて思う。

 霧ヶ原澪は【特別】な人間だ。

 容姿端麗文武両道、家柄も良く気品に満ち溢れた女性だ。


 加えて実態は超自己中心的な快楽殺人鬼。もしも【普通】の殺人鬼ならば、相手を殺すと時間が巻き戻ってしまい明日が永遠に来ないとなったのならば、誰でもよいならターゲットを変えればそれで済む話なのだ。


 だが彼女は違う。


 彼女は特別なのだ。人によってはただ頭がおかしいとしか思えないだろうが、それでも【普通】とは違う何かを持つ【特別】であることに変わりはない。

 そしてそれは殺人鬼としても特別であるということ。


「それに、見方を変えれば私達って被害者と加害者以上に特別な関係なのよ? 世界でたった二人、同じ時間を繰り返す牢獄に捕らわれた囚人」


 対して、俺は普通の高校生だ。

 ここでいう普通とは、特異な状況に置いてアイデアを出し、積極的に行動を起こして状況を変える力がない一般人であるということ。


「佐踏くんも私もループから抜け出したい。だから二人でループから抜け出す方法を探る」

「仮にそれを見つけた上で殺されたら、俺は本当に死ぬんだけど?」

「じゃあ永遠に死に続ける? それとも、私と根比べしてみる?」


 もしもの話だ。

 俺と霧ヶ原さん、そしてこの世界のあらゆるルールを定めている神様なんてものがいたとして。


 二人と一柱でこの時間のループの中で我慢比べをしたとしよう。


 俺は殺され続け、霧ヶ原さんは殺し続け、神様は巻き戻し続け。


 そんな途方もない想像の中でさえ、霧ヶ原さんは神様にさえ勝ってしまいそうな、そんな【特別】を持っていると思わせる何かがある。少なくとも俺は力でも知恵でも根気でも彼女には勝てないだろう。間違いなく、精神がおかしくなって実質的に死ぬのは俺が先だ。


「ループを抜け出す方法を、私が佐踏くんと探してあげる。そのうえで、私は佐踏くんを殺すから佐踏くんは殺されないように立ち回る。それこそ、ループから抜け出す方法を見つければ、それは私への大きな交渉の手札になると思わない?」

「じゃあ俺が先に一人で見つければいいだけろ」

「ねぇ、佐踏くんと私ってどっちが頭良いと思う?」


 この女は厄介なことに自分の容姿の良さや、文武両道をしっかり自覚している。

 つまり、俺と霧ヶ原さんがよーいドンで同じようにループから抜け出す方法を探したら、自分が先に見つけると言っているのだ。

 つまりは俺を見下している。事実とは言え堂々とそれを本人に告げ、自己中心的な殺人の理屈を押し付けようとしている。


 こんな凶悪犯、長い歴史を探したってそう居ないだろう。


 かわいくて、強くて、賢くて。


 どうしようもないくらいに性格の悪い殺人鬼の同級生。


「それじゃあ、これからよろしく佐踏くん。せっかくなら早めにこのループから抜け出したいもの。私も何か気が付いたら積極的に君に教えてあげる。だから、貴方も知恵を振り絞り、頑張ってループと私、どっちも対処する方法を探してみてね?」

「頑張っていいのか?」

「逃げないウサギを狩っても面白くないでしょう。私、今死ぬほどムカついているんだもの。せっかくなら楽しいゲームがしたいわ」


 ……ああ、これは勝てるわけがない。


「まぁ納得できないでしょうけど、じゃあこう言い換えてあげる。例えるならこれは私の初恋なの。一生に一度の初恋を、他の相手にしろだの、やめろだの言われて納得できる乙女がいる? せっかくだもの、すごく刺激的な【恋】がしたいのよ」


 霧ヶ原澪という【特別】は悩み、苛立ちながらもこの異常を楽しんでいる。


 そんなの、あまりに普通じゃない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る