第十話 新任の助役

 異動先で助役が下に付く、という話は、先日の出張の際に耳にした。だが結局、事前に示されるはずの異動内示表が、私の手元に届かないまま今日を迎え、一体誰が助役になるのかを私は知らなかった。


 浦波が「おう、入りぃ」とドアに声をかけると、ドアが開き「失礼します」と若い女の声がする。


 ソファから立ち上がり、入口を振り返ると、そこには助役の制服を身に纏う、小柄な女性が腰を折る姿があった。そして顔を上げ、私を見てにっこり微笑む彼女に、思わず息を飲んだ。


「鉄子!?」


 言葉が続かなかった。そこには、先日あちら・・・の警察に引き渡したはずの鉄子がいた。何故、こんなところにいるのだ。もしや、逃げ出してきたのか? でも、どうやって?


「テツコ? 誰ですか、それ? もしかして、わたしのこと?」


 きょとんとした表情でそう言うと、すぐにクスクスと小さく笑う。


「名前もご存じないわたしに、勝手に呼び名を付けるなんて、如月駅長って面白い方だったんですね。先日お会いした時は少し怖い感じがしたから、余計にビックリです」


 そして急に真面目な表情に戻ると、鉄子は姿勢を正す。


「本日、五月一日いっぴ付を以て、西明石特殊駅の助役として着任しました、白露しらつゆわかばです! 頑張りますので、よろしくご指導ご鞭撻ください!!」

「わかばちゃん、今はまだ四月やで。ちと数分早いわ」

「別にいいじゃないですか、それぐらい。あまり四角四面なこと言ってたら、嫌われますよ~」

「ワシ、もう嫌われとるから、かまへんねん。ところで如月はん、わかばちゃんとは前にもおおてるらしいなあ。聞いたで、そん時の話。すぐに向こうの警察に引き渡すやなんて、相変わらず、くそ真面目なやっちゃな、あんたは。ワシやったら、なんやかんや理由付けて、宿直室に連れこんどるわ」

「浦波駅長、それってセクハラですよ~」

「こんなんがセクハラやったら、ワシとっくにクビになっとるわ。それにしても、こんな若くてかわええが助役やなんて、ほんま、羨ましいのぅ」

「だから、セクハラだって」


 二人の会話が耳を通り抜けていくが、未だに頭が追いついていなかった。何故、鉄子がここにいる? それも、私が駅長を務める特殊駅の助役としてだと? もしや、他人のそら似か? 違う、私のことを知っているし、会ったこともあるという。では、やはり鉄子か。ならば、何故ここにいる――


 同じ考えが、頭の中で堂々巡りする。もしかして、私と同じ列車で来たのだろうか。いや、それはない。三石駅、もとい“きさらぎ”駅のホームに彼女の姿はなかったはずだ。


「鉄子――、いや、シラツユさんだったかな。うちの助役だというのは、本当なのかい」


 そう尋ねながら彼女の胸に目をやると、確かに『助役 白露』と記されたアクリル製の名札があった。


「そうですよね、そう思われて当然ですよね。だってわたし自身、まだ信じられないんですから。入社して、まだ三年目なのに、それも事務職として採用されたはずなのに、いきなり駅の助役だなんて」


 浦波に促され、私とともにソファに腰を下ろした彼女は、堰を切ったように話し出した。そう言えば、初めて会った列車内でも、こんな様子だったな。


 白露は、女子短大卒業後に就職した大阪鉄道管理局の庶務関係事務職員だったが、この四月から特殊駅管理室へ異動したという。異動後は、特殊駅管理室がどんな業務を行うのか全く聞かされないまま、ただの事務職であるはずなのに、何故か駅勤務に関する知識をいきなり詰め込まれたらしい。そして、あの“運命の”晩は、新たな職場での歓迎会の帰りだったそうだ。


 そう言えば、あの時もそんなことを言っていたような気がする。その歓迎会の席で室長から「今夜はこのまま実地研修に出てもらう」と言われ、酒の席での冗談だと思っていたそうだが、それは事実だったのだ。


「何も聞かされないまま、あの晩、あちら・・・へ足を踏み入れたというのか? 初移行の職員には、普通は事前のオリエンテーションがあるはずなんだが。あの室長も、なかなかのサディストだな。まあ、私が乗る列車があったから、無理矢理乗せたのかもしれないがね。でもせめて、駅には事前に連絡くらい入れておいてほしいものだな……」

「あそこの室長いうたら松風やろ。アイツやったら、やりそうやな。ほんま、わかばちゃんも大変やったなあ。でもな、『いきなり変なとこへ連れてかれる乗客の身になって仕事せなあかん』ちゅう、マッちゃんの親心かもしれんで。ええ勉強になったんちゃうか」


「でもほんと、あの時は怖くて仕方なかったんですよ! 駅長が今みたいに制服姿だったら、まだ安心できたのに、背広姿なんだから。てっきり都市伝説に出てくるような、怪しいおじさんかと思いましたよ。ていうか、事実を知るまでは、実際そう思ってたし」

「怪しいおじさんって……。きみも結構言うね。まあ、あの時は本社への出張帰りだったから背広を着ていたんだけどね。しかし、道理で鉄道に詳しいはずだ。きみのことを普通のOLだと思ってたから不思議だったんだよ。駅名標とか島式一面とか言っていたから」

「もう! わたし普通のOLですよ。あ、そうか! わたしのこと、鉄子って呼ぶ理由!! そういうことなんですね。確かに国鉄に就職するぐらいだから鉄道は嫌いじゃないけど、別にマニアじゃありませんよ」


「でもこれからは、普通のOLとは言われへんな。助役さんやで、あんた」

「助役か~。でも、わたしみたいな若輩者が名乗っていいんでしょうか」

「もちろん。あくまでもあちら・・・に対する箔付けに過ぎない、形式的なものだから。助役だけじゃなく、駅長も同じようなものだよ。特殊駅の業務に就く職員がそれなりの役職でないと、地元が不安になるからね。特別手当が出るとはいえ、俸給も今までと変わらないから安心していいよ」

「お給料は本当の助役並みが良かったな~。あ、使うお店とかがなさそうだから、お金、貯まるかも!」


 私と会うのは二度目だとはいえ、明るい口調で話す彼女。ましてや初対面の浦波の前であるにもかかわらず、緊張する様子さえ見せない。なかなかどうして、大物の予感がする。


「そろそろ時間やで。行かなあかんのとちゃうか、お二人さん」

「さ、行きましょうよ! 如月駅長!! 初めての駅勤務、ワクワクします!」


 辞去の挨拶もそこそこに、白露に押されるように駅事務室を出ると、再び連絡通路を渡る。ゴールデンウィーク中ということもあり、この時間でも結構乗降客が歩いている。

 彼らはこの駅が、別の世界に通じているとは夢にも思っていないだろう。しかし、いずれ彼らも事実を知り、あちら・・・へ移住する時が来るのだ。


 下のプラットホームから、「メリーさんの羊」のメロディーが聞こえてくる。在来線ホームの列車接近放送だろう。


あちら・・・には、接近放送なんてありませんよね。本来の目的じゃないですけど、異界に迷い込んだ時の不安な気持ちを和らげるためにも、うち・・にも導入しませんか? 都市伝説つながりで「メリーさんの電話」とか」

「なんだ、それ。そんな曲があるのかい? まあ、きみの言う通り、新しい試みも大事だな。今度、上に提案してみるとするか」

「……いいです。ほんとはそんな曲、ありませんから。今の忘れてください」


 何故か、恥ずかしそうに耳朶を赤らめる白露。私の言葉に反応した結果のようだ。しかし私は、決して変なことを言ったつもりはないのだが。


 目的のホームへ通じるエレベーター前に到着すると、ちょうど下からかごが上がってきたところだった。扉が開き、数名の利用客が降りてくる。鮮やかな色のキャリーケースをく彼らは、たぶん外国人観光客だろう。楽しげに外国語で会話を交わして改札へ向かう彼らの様子を、視界の隅に捉えながら、私達はエレベーターに乗り込んだ。


 彼らの国でも、おそらく何らかの形で、秘密裏に異界への移行は行われているはずだ。そして、いずれは公になる。その時世界は、運命を受け止め切れるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る