ガッデムガッデス ~鉄屑女神と反勇者~

AI

第1話 プロローグ:十三番目の女神

 〈女神〉イミタティエルは雪のように白い長髪を風に乱し、追手から逃げるべく必死に翼を羽ばたかせた。

 彼女を追うのは、かつては同胞であった十二はしらの女神とそのしもべたる勇者たち。宮殿は裏切り者たちに完全に囲まれ、もはや逃げ延びるのは絶望的だった。


 イミタティエルのかたわらには、契約を交わした〈勇者〉カルスが寄り添うように駆けている。彼女と同じく白い髪と赤い瞳、けれど彼女と違い、その瞳からはまだ戦意は失われていなかった。

 イミタティエルは透明に輝く光の翼で飛翔しながらも、陶器のような白い肌に汗を浮かべ、赤い瞳を絶望に震わせていた。この世ならざる美しさと威厳を兼ね備えた女神も、今は神々しい威光を失い、ただの怯える乙女のようだ。


「何故……何故、このようなことに……」


「今はとにかく逃げ延びるんだ。せめてイミタティエルだけでも!」


「カルス、お前を置いて逃げるわけにはいかない。〈勇者〉と契約した〈女神〉は心臓を捧げ合っている。一心同体。お前が死ねば私も滅ぶのだ――」


 しかしカルスは覚悟の表情を浮かべ、それでも微笑むように伝える。


「いや、たった一つ……一つだけ、君だけが逃げ延びる方法がある。……僕との契約を解除するんだ」


 女神は自らの力を地上に顕現けんげんさせるために勇者と契約を結ぶ。その代償は生死を共にすること。それを唯一回避するすべは、女神が行使できる契約解除のみ……。


「馬鹿な……。カルス、それならお前まで巻き込まれて殺される必要はない。せめてお前だけでも逃げるのだ」


「僕は辛いことが大嫌いだって言っただろ。イミタティエルの苦しむ顔は見たくない。それに、せめて愛する人を守って最後まで戦うのが僕の欲望ってやつさ。君だけならその翼で逃げられる。僕が女神どもを足止めするから、イミタティエル……君だけでも生き延びてくれ!」


「私一人逃げて、苦しまずに済むとでも思っているのか? 私の苦しむ顔が見たくないというなら、一緒に逃げるんだ」


 だがその叫びも、虚しく宮殿に響いただけだった。

 イミタティエルの逃げ道をふさぐべく、先回りしていた女神たちが現れたのだ。その先頭は、炎の翼と赤銅しゃくどう色の髪と肌を持ち、全身から業火を放つ〈浄火の女神〉フラマエルだ。彼女はまるで獲物を見つけた狩人のように、不気味にわらった。

 そして後方からは他の女神と勇者たちも追いついてくる。それぞれが唯一無二の絶大な能力を持った女神たちだ。その力で世界を支配し、時に破壊し、秩序を築き上げてきた。

 しかしその力の全てを、今はイミタティエルとカルスを殺すために使おうとしているのだ。

 死を悟ったカルスは最期にこう懇願した。


「僕との契約を解除してくれ」


 イミタティエルは絶叫していた。人間のような感情を持たないはずの〈女神〉が、大粒の涙を流して嗚咽を漏らすのだった――


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 この世界は遥か昔より、十二柱の女神たちによって支配されていた。

 そして女神たちは、人間の中から〈勇者〉を選び出し契約を結んだ。勇者たちは自らの心臓を女神に捧げることで、女神の力を宿し、無敵の戦士と化す。

 しかしその契約には大きな代償があった。勇者と女神は生死を共にすること――それゆえ女神の勇者選びは、何よりも慎重を期すべき重大な契約であった。


 ひとたび〈勇者〉に選ばれた彼らは、女神の代理人として、あるいはその手足として、地上を支配した。人々は女神と勇者の絶対的な力の下、畏怖と信仰の中で生きていた。


 しかしその十二柱の女神たちの他に、知られざる十三番目の女神が存在した。

 彼女の名は、〈複製の女神〉イミタティエル――


 イミタティエルは、他の女神たちとは一線をかくす特異な〈能力〉を持っていた。それは森羅万象、あらゆるものを〈複製コピー〉し、行使できる力。生命、物質、そして他の女神たちが持つ〈能力〉すらも、彼女は完璧に模倣し自らのものとすることができたのだ。


 イミタティエルはその能力を使い、密かに十二柱の女神たちの力を一つ、また一つと複製していった。浄化の炎、生命の再生、死者の軍隊、運命の操作……。やがて彼女は全ての女神の能力をその身に宿し、十二柱の女神をも凌駕する、絶対的な存在へと変貌を遂げた。


 そしてイミタティエルもまた、他の女神たちと同じように人間の中から勇者を選び、契約を結んだ。

 彼の名はカルス――

 人間には珍しい白い髪と赤い瞳を持つ、端正な顔立ちの青年だった。しかし他の女神の契約勇者と異なり、彼は戦士らしからぬ、華奢で繊細で、そして優しげな表情をしていた。なぜこのような弱そうな勇者と契約してしまったのか、イミタティエル自身も理解できなかった。


 ただ彼には、他の人間にはない希望の輝きを見て取ったのかもしれない。何しろカルスは勇者となった後も、決して侵略や破壊のためにその力を使うことがなかったからだ。


 ある日、不思議に思ったイミタティエルがカルスに尋ねたことがある。


何故なにゆえ、お前は他の勇者と違い、私の与えた力を使おうとしないのだ? その力を使えば、世界を支配することも、この世の全てを手に入れることもできる。何もかも思うがままだ。自らの欲望の限りを尽くすこともできるだろうに」


「イミタティエル、僕は充分に自分の欲望を満たしているさ」


 馬鹿げた回答だとイミタティエルは思った。だがカルスはそう言うと、城のベランダから城下の街を見下ろして続けた。


「この街では人々はみな、幸せな笑顔を浮かべて過ごしている。そんな笑顔を見るのが僕にとっては最高の幸せなんだ。それに戦争に敗れ、傷つき苦しむ姿を見なくて済む。僕はつらいことが大嫌いなんでね。嫌なことやつらいことをしなくてよい、それこそが僕にとっての最大の欲望なのさ」


「理解できんな……。お前はどこまでも変わった奴だ」


 そして時には、カルスはこんな冗談めいた話もしてきた。


「女神と契約した勇者は、結婚することができるのかな?」


「そんな話は聞いたことが無いな。大体、結婚などというのは人間の作った愚かな制度だ。結婚したい相手でもできたのか?」


 イミタティエルの心の中で、何かが「ざわり」と揺れる。その違和感を振り払うように、彼女は吐き捨てるように告げた。

 けれど、カルスはにこやかに微笑んで答えた。


「その人間の愚かな制度を利用したいと思ってね」


 カルスはそう言うと、一つの指輪を取り出す。


「イミタティエルの指にぴったりサイズが合うはずだ。めてみてくれないか」


「くだらないな……本当に、くだらない」


 だがイミタティエルは嫌がりもせず、カルスが彼女の左手薬指に指輪をめるのを、素直に受け入れた。

 イミタティエルたち女神には、人間的な感情など存在しないはずだった。だがこの日初めて、彼女は心の奥底がかすかに震えるのを感じたのだ。


 当初イミタティエルにとって、カルスは他の勇者と同じく、自らの力を顕現けんげんさせるための単なる道具でしかなかった。そのはずだった。

 だがカルスは明らかに異質だった。

 共に戦い、語り合う中で、彼女の心にはかすかな感情が芽生え始めていた。それは他の女神たちが決して持ち合わせない、人間への共感とも呼べるものだったのかもしれない。


 けれどその事実は、他の女神たちにとって計り知れない脅威となった。彼女たちは、自らの力の根源を奪われかねないイミタティエルを恐れた。

 そしてイミタティエルと人間の間に芽生えた『絆』は、秩序を乱す異端だと捉えた。かつては同胞であったはずの十三番目の女神は、最も危険な存在と見なされたのだ。


 十二柱の女神たちは結束した。

 そしてその絶大な力を合わせ、イミタティエルを捕らえ裏切りの刃を向けた。

 その際、女神たちとその勇者は、イミタティエルを守ろうと戦うカルスをも、無情にも殺害したのである。契約した勇者が死ねば、女神も共に死ぬはずだった。だが死を覚悟したカルスは最期に「僕との契約を解除してくれ」と懇願したのだ。


 そしてイミタティエルから契約を解除されたカルスは、「ありがとう」と言って微笑み、最後の最後まで剣を持ち戦い続け、そして死んだ。


 道具として使役していたはずの人間が目の前で命を奪われる光景は、イミタティエルの心に初めての絶望と悲しみ、そして激しい怒りを呼び起こした。憎悪が彼女の奥底で煮えたぎる。


 しかし、イミタティエルは無力だった。

 女神たちはイミタティエルの持つ複製能力の源である〈身体〉をバラバラに引き裂き、その一部を自らの肉体へと取り込んだ。イミタティエルの身体は女神たちの力の一部となり、彼女の存在は世界から抹消された……かに見えた。


 だが、イミタティエルは完全に消え去ることはなかった。身体を奪われ力を失い、地に堕ちたイミタティエルは、〈複製コピー〉の力で鉄製の身体を作り上げたのだ。異形いぎょうの姿、それはもはや〈女神〉とは呼べぬ存在へと成り果てた。

 だが彼女は鉄屑の女神として、世界の片隅で逆襲の時を待つことになる。


 イミタティエルの魂の奥底には、決して消えることのない憎悪と、裏切られた者だけが抱く復讐の炎が静かに燃え続けていた。いつかこの身体を取り戻す。カルスの命を奪い、自分を裏切った女神たち、その手先である勇者たちに、等しく報いを受けさせるために。


 そして時は流れ、もう一人の人間が、絶望の淵から同じく復讐の炎を燃え上がらせる。

 〈鉄屑女神〉イミタティエルと〈反勇者〉ニール・ヴァニタス、二人の復讐鬼の出会いが十二柱の女神たちへの反逆の始まりとなるのだった――

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