第13話
第13章 決定的な喪失
その朝、私は自分の名前を口にできなかった。
舌が震えたのではない。
頭の中に、呼び出すべき音の並びが存在しなかった。
洗面台の鏡には、見慣れた輪のはずの顔が映っている。
けれど、その目は、私が私を見ているときの光じゃなかった。
反射的に名前を探す。
見つからない。
胸の奥に、空洞が広がっていく。
そこに滑り込むように、もうひとつの声が響いた。
一おはよう。
私の声で、私に向かって。
その瞬間、これまでの小さな語やすり替えが、一つの像を結んだ。
置換は私の外側を侵していたのではない。
最初から、私の中に種を蒔き、静かに育てていたのだ。
指先が震える。
スマホを手に取る。
ロック画面には昨日の自分の笑顔→いや、昨日と思っていた時間そのものが、誰かの記憶だったのかもしれない。
一あなたはもう、いらない。
声が告げる。
その音は、私の内側と外側を同時に震わせ、境界を溶かした。
抵抗の衝動よりも先に、奇妙な安堵が広がる。
その安堵こそが、侵食の完成の証だった。
私は、自分の中心を失った。
そして、それを失ったことさえ、本当はどうでもいいと感じてしまっていた。
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