外壁

 暫く走った後、斎藤は唐突に走るのをやめた。

 市街地のど真ん中であったが、いつの間にか周囲には人っ子一人いなくなっている。


「すいません——僕が乗せてあげられるのは、ここまでです」


 苦しそうな声で、斎藤が言う。

 俺達は斎藤から降りると、斎藤は頭を抱え、その場に蹲ってしまった。


「斎藤君、大丈夫……?」


 恐々と尋ねるハルミンに、荒い息をつきつつ斎藤が頷く。


「うん——バグった空間の中心地点からだいぶ離れたおかげかな。段々と自我が戻ってきたよ。ただ——この状態も、いつまで待つか——」

「なあ、斎藤!この状況は一体何なんだ!?」

「正直、自分にも詳しいことはわかりません——ただ、霊感の強さと関係があるのか——ある程度は、感覚的に理解できています——」


 斎藤はよろよろと立ち上がると、何もない空間にそっと手を伸ばした。


「ここが、バグった空間の外壁です」


 つられて、俺も手を伸ばす。

 一見何もないように見えるが、そこには確かに、ひんやりとした透明な壁が存在した。


「外から入るのは簡単ですが——内側からは、逃げ出せないようになってるんです——」

「そんな!それじゃあ、どうすれば——」

「大丈夫」


 斎藤が、震える右腕で、ググッと力瘤をつくる。

  

「自分が、この鍛え過ぎた右腕で——外壁に、一時的に穴を開けます——穴が修復される前に——先輩達は、外に逃げてください——」

「お前はどうするんだよ!?」

「残念ですが——自分はもう、この空間に——完全に、取り込まれてしまっています——」


 悲しそうな顔で首を振る斎藤。

 そんな、と小さく呟き、ハルミンが両手で口を覆う。


「それに、ここから出られても——自分はもう、こんな姿ですから——」

「斎藤……」


 確かに、現代日本にケンタウロスの居場所はあるまい。

 何と言ってやっていいかわからない俺だったが、斎藤は胸の「虎伏絶刀勢こふくぜっとうせい」をそっとなぞり、両目からつうっと涙を流して続けた。


「こんな刺青があったら——もう、スーパー銭湯にいけないし——」


 だから、そこじゃねえだろ!

 ——そんな俺のツッコミは、先ほどと同様に女子の嘲り笑いによって遮られた。


「だから、そこじゃなくない?」


 既視感と共に振り向けば、やはりと言うべきか——そこにはゴーゴー夕張の姿があった。

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