出口

 鐘の音は、二度、三度と響き、そのたび霧が波紋のように震えた。

 石像たちの首がわずかに傾き、耳を澄ますように空を仰ぐ。


 長門とイブは思わず立ち止まった。

 その音が近づいているのか遠ざかっているのか、見極めることができない。

 だが――ただ一つだけ確かなことがあった。


 鐘の音に合わせて、霧の奥から“足音”が重なってくる。


 コツ、コツ、と。

 硬い地を踏むはずなのに、どこか水面を踏むような濁った響き。

 やがて、それは一つではなく、幾つも重なり合って聞こえ始めた。


「……人?」

 イブが震える声で問う。


 長門は剣を抜いた。

 「人かどうか……それを確かめるまでは気を緩めるな」


 影が霧の中に浮かび上がる。

 最初はひとつ、やがて十、二十。

 次々に輪郭を持ちはじめ、薄明かりに照らされて、ようやく姿をあらわした。


 それは確かに“人の形”をしていた。

 だが顔は削がれ、瞳は空洞。

 口は笑っているように裂けているのに、声は漏れない。


 彼らは裸足で地を踏みしめ、鐘の音に合わせて一歩ずつ近づいてくる。


「……石像が、動いてるの?」

 イブが息を呑む。


 よく見れば、さっき通り過ぎた石像たちの幾つかが、霧の奥で立ち上がっていた。

 表情は同じ、苦悶のまま。だが動きだけは確かに“生きている”。


「呑まれた者は、終わらない」

 イブが低く呟く。

 「立ち止まったまま……鐘の音で呼び戻される」


 長門の背筋に寒気が走った。

 ――もし自分も、あの霧に完全に沈んでいたら。

 あの赤い光が届かなければ。

 ここに立っていたのは、もう“人間”ではなかったのかもしれない。


 その想像を振り払うように、剣を構える。

 「イブ、後ろを守れ。……くるぞ!」


 最初の“影”が腕を伸ばしてきた。

 骨のように痩せた手。だが触れるより速く、長門の剣が閃く。

 金属を断つような手応え――だが切り落としたはずの腕は霧となって散り、また形を戻す。


「……斬っても戻る……!」

「祈りを重ねます!」


 イブが数珠を掲げ、震える声で祈詞を紡ぐ。

 光が弾け、霧の影たちの動きが一瞬止まった。


 その隙に、長門はイブの腕を引き、走り出す。

 霧の奥へ。鐘の音のさらに深い方へ。


 背後で影たちが呻くような音を上げ、追いかけてくる。

 踏みしめる足音が、数え切れないほど重なり合う。


 走る二人の前に、やがて霧の切れ目が現れた。

 そこだけ霧が薄く、淡い光が漏れている。


「……出口?」

 イブが期待に声を震わせる。


 だが長門の胸には、別のざわめきが広がっていた。

 光の中で、誰かが待っている――そんな予感。


 そして、その影は、彼の思考を裏切らなかった。


 霧の切れ目に、赤い髪が揺れていた。

 背を向け、静かに立つ女の姿。


「……セラフィナ……!」


 長門の声に、彼女はゆっくり振り返る。

 赤い瞳が、霧よりも冷たく光った。

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