第二話『木札のルール』

前編

 昨日から降り続く雨粒が、部屋の窓ガラスを叩いている。

 その音が気になり、面倒なレポート課題から逃避してしまった。

 最初「梅雨の風情を楽しめるわたし。オシャレ女子大生!」なんて言って、無邪気にはしゃいでいた。

 でもすぐに、わたしは認識を改めざるを得なかった。

 ジメジメと体にまとわりつく湿気。

 生乾きの洗濯物から漂ってくる嫌な匂い。

 そして部屋の至る所で湧き出る憎きカビの群れ。


「梅雨なんて風情じゃねえわ。それどころか一人暮らしに負荷をかけてくるハラスメントシーズンだわ!」


 こんな独り言が出るくらい、今では梅雨が嫌いだ。

 けれど、実家にいたときはここまで梅雨を気にしたことはなかった。

 思い起こせば、毎年この時期になるとお母さんがなにかしてくれていた気がする。


「……偉大なるお母様。貴方様の庇護を失ったことで、改めて貴方様の偉大さを痛感しております」 


 今度帰省したときに、お母さんに感謝する内容がまた増えてしまった。

 そう心のメモに追加し、最近伸ばし始めた髪を一つに束ねる。

 友達の艶やかな黒髪に憧れて、伸ばし始めたけど、今は少し後悔していた。


「蒸れる。不快。あとなんか臭う」


 オシャレの欠片もない発言だが、梅雨が悪いのだから仕方がない。 そんなわけで、今日も除湿機なんてオシャレ家電のない湿気まみれの自室で、わたしは面倒なレポート課題と戦っていた。




「なんとか課題提出できたよぉぉ」

「それはお疲れ様」


 宿敵レポートを仕留め切った達成感とここ最近の梅雨ストレスを発散するため、女友達をお気に入りのオシャレカフェに誘って、プチお疲れ様会を開いていた。

 オシャレ成分を補給するため、正面で優雅にホットコーヒーを口にしている女友達を観察する。

 わたしより長い黒髪をオシャレに編み込んで、なんだかとっても爽やかだ。

 店内の柔らかな照明を浴びて煌めく彼女の黒髪。

 なんだその髪、もしかして湿気を吸って養分にでもしているのか!?

 理解できない黒髪の秘密に、わたしが一人で慄いていると、コーヒーカップを置いた人外疑惑娘と目が合う。


「その課題、『必修単位の課題なのに難しい!』って、毎年話題になってるらしいね」

「そうなの?」

「サークルの先輩が言ってたよ」

「あー。サークルの先輩ねー」

「……同じサークルに入会したのに、全然顔を出してないよね」

「正直、サークルに入会したとき生活がバタバタしてたせいで、わたしの中でサークルの印象が薄くて、すぐに入会したこと忘れるんだよねー」


 大学に入学して最初の一ヶ月。

 わたしは色々と忙しくしていて、余裕がなかった。

 特に先月初めのゴールデンウィーク。

 そのときの精神的疲労を最優先に癒やす生活を心がけて、今日に至っている。

 そんなわたしに、どんな活動をしているかすら覚えていないサークルに割く時間も意識もなかった。

 

「明日サークルの部室に用があるけど、一緒に行く?」

「えー、でもなー」

「来なよ。もし部室に誰かがいたら、料理がもらえるかもしれないし」

「……ん? なんで料理がもらえるの?」


 わたしが頭上にハテナを浮かべていると、人外疑惑娘はご自慢の黒髪を指に絡め、胡乱な視線をわたしに向けた。


「私たちが所属してるサークルは『創作料理研究会』だよ」

「初耳!! 食費が浮くなら喜んで行かせてもらう!!」


 この友達も、わたしの救世主様だ!

 地道に節約して、絶対除湿機買ってやるからな!

 わたしがそんなゲス節約計画を練っていることを知ってか知らずか、黒髪の救世主様は呆れてため息をついた。




 久しぶりの晴天に恵まれ、気分よく本日の講義も終わり、わたしは救世主に連れられて『創作料理研究会』の部室前に来ていた。

 大学構内にある部室棟の一室。

 わたしたちは回らないドアノブの前で立ち尽くしている。


「鍵がかかってるね」

「先輩の誰かがいると思ってたんだけど……木札もかかってない」


 現在時刻は午後三時。

 首を傾げてドアノブを確認する黒髪救世主をよそに、わたしのお腹が唸るような悲鳴を上げた。

 昨日とは違う髪の編み込みをしたオシャレ救世主が心配そうに、わたしの顔を覗いてきた。


「お腹の音すごいけど、調子悪い?」

「むしろ絶好調だよ! お昼ご飯を抜いて、バッチリ臨戦態勢が整ってるんだよ!」

「いや、本気になりすぎじゃない? 部室に人がいても、料理があるかわからないよ?」

「そうなの!?」

「昨日ちゃんと『“もし”部室に誰かがいたら、料理がもらえる“かも”しれないし』って言ったよね」

「そ、そんなぁぁ」


 こ、この女。

 狩猟免許を持つこのわたしを、よりによって餌をちらつかせて罠にかけやがった!

 実家でイノシシを罠にかけて高笑いを上げていた、このわたしのことをここまで釣り出しやがった!!


「く、くやしいぃ」

「急にどうした!?」


 罠師としてのプライドにかけて、復讐を誓ったわたしはわざとらしく膝をついた。


「ぐやじいぃぃ」

「落ち着いて!? 周りの人に見られてるよ!」

「この女にだまされたぁぁぁ」

「人聞きが悪い!?」

「おなかすいたぁぁぁ」

「お昼おごるから落ち着いて!!」


 うつ伏せになるように膝をついて、大げさにアスファルトを叩くわたしと、周囲の目を気にしながらわたしを立たせようとする復讐対象黒髪娘。

 

(ふははははぁ! 共に恥をかいて、わたしに昼食をご馳走するがいい!)


 わたしとしては昼食代浮けば何でもいいしね!

 ゲス節約術のコツは、プライドをできるだけ遠くに投げ捨てることだよね!

 

 


 昼食のピークが過ぎた人がまばらな大学の食堂で、わたしはカツ丼とラーメンと唐揚げ定食を平らげて、お腹をさすっていた。


「いやー満足満足」

「……食べ過ぎじゃない?」


 わたしの膨れ上がったお腹を、服の上からつつく裏切り娘は頬を膨らませている。

 見るからにご機嫌が斜めになっている彼女から逃げるため、わたしは早口でまくし立てた。


「それじゃごちそうさまでした! これでわたしは帰るね! また明日!!」

「駄目に決まってるでしょ!? 学生課に部室の鍵をもらいに行くよ!!」


 そう叫んだ黒髪罠師が、わたしの膨らんだ愛らしいお腹に、手入れの行き届いた白い五指をめり込ませてきた。


「ちょっとぉぉ!」

「こうしないと逃げるでしょ!」

「そんなふうに乙女の尊厳を踏みにじるのは駄目でしょぉぉ!」

「あんたにそんなものはない!!」

「ひ、ひどいぃぃ!!」


 こうしてわたしは、卑劣な黒髪罠師に自慢の愛くるしいちょいプニボディを捕らえられ、学生課に連行された。

 






 

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