第14話 帝都到着
左右に木々が立ち並ぶ、整備された土の街道を、セラは馬に跨り、前方の空気を裂くように颯爽と駆け抜けていった。
やがて、どこを見渡しても木々の緑と青空、そしてクリーム色の土道しかなかった景色の中に、灰色の城壁が、遠くに姿を現す。
馬はさらに力強く地を蹴り、鋭く前進する。
城壁は、みるみるうちに迫ってきた。
やがて、速度を緩やかに落とし、馬は城門の前で静かに立ち止まる。
「よし、着いたぞ」
宿主はひらりと馬から降り、馬はセラが降りやすいように、首を低く下げる。
セラは地面に足をつき、「ありがとね」と小さく呟きながら、馬の頭を撫でた。
そして、前方を見上げる。
——あまりにも巨大で、圧倒的な光景だった。
城壁は、木々どころか、青い空すら飲み込んでしまいそうなほど高く、分厚く、堅牢だ。
この壁の向こうが、帝都。
そう理解していても、その巨大さは現実感を伴わない。
城壁は、中にいる人々の姿も、建物の影も、街の気配すらも一切見せず、外界からすべてを拒むようにそびえ立っている。
セラは思わず口を開けたまま、その光景に見入っていた。
その横で、宿主の男は、城門の前に立つ兵士2人と、慣れた様子で短く言葉を交わしている。
兵士は宿主の言葉を聞いたのか、驚いた表情を甲冑の奥から見せる。
「じゃ、俺は急ぎだから、またな!」
そう言い、宿主は軽く手を振り、1人の兵士と共に、城門と、木々が生い茂る薄暗がりの裏手へと回っていった。
先ほど乗ってきた、馬は主人の背中を見つめ、そして地面を蹴り上げて、さっき来た道を一頭で戻って行った。
ポツンと1人残された、セラは、城壁の圧巻さに飲み込まれそうなのを、首を左右に何度も振ってふるい落とした。
目の前には、もう1人の兵士が立っている。
「許可証を見せろ」
凜とした、張りのある声。
セラは、思い出したかのように、胸ポケットに仕舞い込んでいた、ヴァウドから貰った許可証を取り出し、兵士に見せた。
ヴァウドの印が刻まれた、一目でわかるほど正式なものだ。
「あぁ!君がセラって子か、ヴァウドさんからよく聞いているよ」
凜とした先ほどの雰囲気とは一変、友好的な口調へと変わった。
「え……ヴァウドおじさんが?私のこと、そんなに言いふらしているんですか?」
「いやー、言いふらすってほどじゃないんだけどねぇ。酒場で酔うと、毎回セラの話をしてるんだよ。相当気に入っていたんだろうな」
兵士は、そう言いながら、体を屈め大きな手をセラの頭に乗せてわしゃわしゃと撫でた。
「ははは!やっぱり、ヴァウドさんの言ってた通り、可愛らしい子だな」
「へへ……ありがとうございます……」
セラは少しめんどくさそうに答える。
「ところで帝都の中には入れさせてもらえますか?」
セラは、兵士にくしゃくしゃにされた髪型を整えながら問いかける。
「ああ、そうだったね、うん!入っていいよ」
その言葉を聞いて、セラは城門の前で、すん、と立ち止まった。
(……あれ?)
一拍待ってみるが、門はびくともしない。
(……開かない?)
小さな疑問を胸に、セラは兵士を見上げる。
「すみません……門、開けてくれないんですか?」
「いやいやいや。門は開けないよ。普通の人は、門の横にある通用路から入るんだ」
「え?」
セラは思わず声を上げる。
「本で見た話だと、重厚な門が、ゴゴゴ……って地響きを立てながら開くものじゃないのですか?」
兵士は一瞬きょとんとした後、腹を抱えるようにして大声で笑った。
「だっははは!それは王家や大きな旅団が戻る時だけだよ!
いやぁ……やっぱり可愛らしい子だなぁ」
セラは恥ずかしさを感じたのか、頬から耳まで一気に赤く染め上げる。
「そ、そうなんですね……」
「ほら、あそこだよ」
兵士が指を差したのは、宿主が先ほど通っていった、城門脇の細い通路だった。
「まっすぐ進めば、ちゃんと中に入れるからさ」
城門の脇に設けられた通用路は、思っていたよりもずっと狭かった。
馬車一台がようやく通れるほどの幅。
左右は灰色の石壁に挟まれ、上を見上げると、城壁の影が空を細く切り取っている。
昼間だというのに、そこだけ時間がどういうわけか、一段遅れているかのように、冷たい空気が肌に纏わり絡みつく。
セラは一歩、足を踏み入れる。
石畳は外の土道とは違い、長い年月をかけて磨かれたように滑らかで、靴底に硬い感触が伝わってくる。
コツン、コツン、と一歩一歩の足音が、やけに大きく響いた。
(……中と、外の境目)
そう意識した瞬間、背筋がわずかに伸びる。
ここから先は、もう通りすがりの旅人ではない。
帝都という巨大な生き物の、内部へ踏み込む入口だった。
通用路の途中には、鉄製の格子扉があり、その横には小さな詰所が設けられていた。
兵士が一人、椅子に腰掛け、通行人を無言で見送っている。
その視線は熱も冷たさも感じさせない、ただただ淡々としていた。
セラは許可証を胸ポケットの上から軽く押さえ、何も言われないことを確認すると、さらに奥へと進む。
通路は緩やかに曲がり、その先から、微かに——
人の声が聞こえた。
複数の話し声。
金属が触れ合う音。
どこかで鳴る鐘のような高い音。
風に混じって流れてくる、焼いた油と香草の匂い。
外の街道では決して聞こえなかった、決して嗅げなかった気配。
セラは、思わず足を止める。
胸の奥が、緊張をしているのか、ざわりと揺れた。
通用路の出口は、もうすぐそこだった。
石壁の向こうから、光が差し込んでいる。
それは、空の色とは違う——
人と建物と生活が反射した、帝都の光。
セラは、深く一度だけ息を吸い込み、その境界線へと、足を運ぼうとした。
そして、視界全体が一瞬、真っ白な光に包まれた。
思わずセラは片手で目元を覆う。
やがて、光に慣れるにつれ、白一色だった世界に、ゆっくりと輪郭が浮かび上がっていく。
——次の瞬間、息を呑んだ。
巨大な石畳の広場。その中心を行き交う人々は、右へ左へと流れ、白色のリネンのシャツやローブを着たもの、白や青を基調とした衣服、時折混じる貴族用の華やかなドレスが視界を彩る。
髪を長く無造作に伸ばす者、丹念に整えている者。
人々は互いに談笑し、肩を寄せ合い、ここが日常であるかのように歩いている。
広場を囲む建物は、煉瓦造りや石造りの家々。
村で見てきたそれとは比べものにならないほど大きく、高く、空を切り取っていた。
そして、視線を上げた先。
建物の影に隠れるようにして、巨大な城が一つ、太陽を背に黒く浮かび上がっている。
逆光の中で伸びるその灰色の影は、人々すら飲み込んでしまいそうだった。
新たな世界を目の当たりにしたセラは、立ち尽くしていた。
背後から入ってくる人々が、邪魔そうな視線を向けて通り過ぎていくことにも気づかず、ただその光景を見つめる。
やがて、一歩。
もう一歩。
荷車を引き、帝都の石畳へと踏み出す。
村で引いていた時よりも、なぜか荷車は重く感じた。
理由はわからない。
それでも、握り拳には自然と力がこもっていた。
ガラガラと車輪が音を立てながら石畳を進む。
同じ石畳の道であるはずなのに、村で聞いてきたそれよりも、その響きはわずかに低く、重たく感じられた。
セラは、前を見ることも忘れ、家々や城の建造物を、その瞳に焼き付けるように見上げながら歩いていた。
高く積み重なる石と影。
帝都という巨大な存在が、ゆっくりと意識を覆い尽くしていく。
——そのとき。
低く、よく通る声が、空気を震わせる。
「おおーい! セラー!!」
セラははっとして、視線を前へ戻した。
広場の中央で、もじゃもじゃの髭をたくわえた大柄な男が、大きく手を振っている。
目を凝らし、焦点を合わせる。
「……あ」
それは、ヴァウドだった。
橙色のコットを羽織り、
その上から黒いローブを、どこか大雑把に重ねている。
相変わらずの風体に、思わず笑みがこぼれた。
「あ! ヴァウドおじさんだ!」
セラは声を弾ませ、石畳の上で荷車を軽やかに鳴らしながら、小走りで彼のもとへ向かう。
新しい街。
期待と、胸の奥にしまい込んだ不安。
だが、慣れ親しんだ顔を見つけた瞬間、それらは音もなく溶けていった。
セラの心は、気づかぬうちに安堵で満たされていく。
それはまるで、幼い頃の自分へ、ほんの少し戻っていくような感覚だった。
「久しぶりだなぁ。ちょっとは背、伸びたか?」
「いや、久しぶりも何も、一ヶ月前に会ったばっかりだよ。
背は……相変わらずだけど」
「がっはっは!! それもそうだな!!」
ヴァウドの大きくて温かい手が、ぽん、とセラの頭に乗る。
「髪、切ったんだな」
「うん。ちょっとだけ。気分転換」
「そうか、そうか! それはそれで、よく似合ってるぞ!」
豪快な笑い声は、昔とまるで変わらない。
けれど、もじゃもじゃの髭の奥に、数本だけ混じった白いものが、ふとセラの目に留まった。
——時間は、確かに流れている。ほんのちょっぴり残酷に。
「そういえばさ。ヴァウドおじさんは、どうしてここに?」
「ああ、それな。うっかり忘れるところだった」
ヴァウドはくるりと身体の向きを変え、二、三歩進んでから、肩越しに振り返る。
太い指で、ちょいちょいとセラを招いた。
「新しく建てた、お前の家まで案内しようと思ってな。
ほれ、こっちだ」
そう言われ、セラも一歩踏み出そうとした——その瞬間。
「——ようやく見つけましたよ!!!」
甲高い女性の声が、広場に響き渡った。
背後からの突然の声に、ヴァウドの身体がびくりと跳ねる。
「仕事を放り出して、こんなところにいたんですか!?
さぁ、戻りますよ! まだ山積みの仕事が残っているでしょう!」
「うげっ……エ、エリノア!!」
黒い修道服をきっちりと身に纏った女性が、迷いのない足取りで一直線に近づいてくる。
先ほどの豪快さはどこへやら、ヴァウドは肩をすくめ、小刻みに震え始めた。
その大柄な体が、今だけはまるで小動物のように見える。
ヴァウドは、数歩後ずさりし、震えた声で叫ぶ。
「セラ!お前の家はな!あそこの赤い屋根の大きな建物を目印にして、その奥を右に二回曲がった先!二階建ての、小さい屋根の家だからな!!!」
早口でそれだけを言い切ると、ヴァウドはくるりと踵を返し、一気に全力で駆け出した。
ごついブーツを履いているにもかかわらず、慣れているのか、その走りは驚くほど軽快だった。
「あ! 今度こそ逃しませんよ!!!」
エリノアも間髪入れず、ヴァウドを追って走り出す。
「じゃあな! また会おうな!!!」
走りながら、ヴァウドは大きく手を振る。
「うん! ヴァウドおじさんも、頑張ってねー!!!」
セラも思わず、笑顔で手を振り返した。
やがて二人は、広場の奥にある大きな階段を駆け上がり、建物と建物の隙間へと吸い込まれるように消えていく。
その背中が完全に見えなくなったところで、
セラは、ふっと息を吐いた。
「赤い屋根の大きな建物を目印に……えっと、その奥を右に二回、だったわよね」
セラは小さく呟きながら、帝都の住宅街を進む。
周囲には家々が立ち並び、
広場ほどの喧騒はないものの、人の往来は途切れない。
家と家のあいだには、小さな噴水とベンチが置かれ、白髪の老夫婦が並んで腰掛け、言葉を交わしている。
街路樹には、茶色の葉が混じり、白や赤の石造りの街並みにほどよい彩りを添えていた。
そして、ヴァウドに言われた通りの道を進んだ先——
家と家に挟まれるようにして、一軒の小さな家が姿を現す。
茶色の小ぶりな屋根に、白い壁。
二階には鎧戸が一つだけ取り付けられている。
周囲の建物と比べると、ひと回り小さく、控えめな佇まいだ。
「……ここ、ね」
村で暮らしていた頃の家を思わせる、こぢんまりとした、落ち着いた印象。
おそらく——これが、セラに与えられた家なのだろう。
セラは荷車を家の脇へ寄せ、ずっしりと重い荷物を持ち上げて、左側に付いた、茶色のシンプルに装飾された扉を押し開けた。
中は木張りの床で、細長い廊下が奥へと続いている。
右手側の扉を開けると、そこは調理場になるための部屋だった。
壁際には石造りの簡素なかまどが据えられ、
まだ一度も火を入れたことのない炉床は、煤の黒ずみひとつなく、淡い灰色のまま佇んでいる。
天井からは鉄のフックが数本、等間隔で吊るされているが、だが調理器具は、当然のように、何ひとつ置かれていない。
「……そりゃそうよね」
セラは肩をすくめる。
村から運んできた道具を、一つひとつ出して、
自分で整えなければならないのだ。
「ま、めんどくさいし……それは後でいいか」
そう呟き、扉を閉める。
「せっかく帝都まで来たんだし、まずは街を探索しに行こうかしら」
セラは気を取り直し、再び外へと足を踏み出した。
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