EP 2
砂塵と自由の冒険者ギルド
マンルシア大陸を背に、海竜号(シーサーペント)に揺られること数週間。タロウたちの視界に、新たな大陸の輪郭が浮かび上がってきた。
「見えてきましたよ、タロウ様! あれがサバラー大陸です!」
サリーがマストの上から、歓声を上げる。
灼熱の太陽に照らされた大地は、赤茶けた砂と、所々に生命力を感じさせる深い緑が混じり合っていた。空気はマンルシア大陸よりも乾いており、潮風に乗って未知のスパイスのような香りが鼻をくすぐる。
港町「バザール」に降り立った三人は、その喧騒と活気に目を丸くした。日焼けした肌に色鮮やかな布をまとった人々、見たこともない意匠の建物、そして行き交う荷車にはトカゲのような生物が括りつけられている。何もかもが新しく、刺激的だった。
「すごいな……。本当に、全く違う世界だ」
タロウは感慨深く呟く。英雄としてではなく、ただの旅人として見る世界は、こんなにも輝いて見えるのか。
彼らが真っ先に向かったのは、町の中心にある冒険者ギルドだった。木の扉を開けると、むわりとした熱気と共に、汗と酒、そして得体の知れない獣の匂いが三人を包み込む。内部はマンルシア大陸のギルドよりも雑然としており、屈強な獣人や、肌に複雑な紋様を刻んだ屈強な者たちが、昼間から酒を煽り、大声で笑い合っていた。
緊張と期待が入り混じる中、タロウは受付カウンターへ向かう。
「すみません、冒険者登録をしたいのですが」
受付の女性は気だるげに顔を上げ、タロウ、サリー、ライザを値踏みするように一瞥したが、特に興味も示さずに書類を差し出した。
ドキドキしながら、タロウは「タロウ」とだけ名を記す。サリーとライザもそれに倣った。受付は書類を無造作に受け取ると、何の感慨もなく木製のギルドカードを三枚発行した。一番下の、駆け出しであることを示す銅ランクの証。
タロウはそれを受け取り、固く握りしめた。誰にも騒がれない。英雄としてではなく、一人の新人冒険者「タロウ」が誕生した瞬間だった。
「――良かった。ここなら、大丈夫だ」
安堵のため息と共に、タロウの顔に心からの笑みが浮かぶ。
「本当に良かったですぅ。これでやっと、冒険ができますね!」
サリーも嬉しそうに、新しいギルドカードを胸に抱きしめた。
「さて、依頼は何にしますか? まずは近場の薬草採取あたりが妥当でしょうか」
ライザが冷静に依頼ボードを見つめる。
その時だった。下品な笑い声と共に、がたいの良い男たちが三人を囲んだ。酒と汗の匂いが鼻につく。
「よぉよぉ、随分と綺麗なねぇちゃん達だなぁ。こんなひょろっとした男と一緒にいないでよぉ、こっちで俺達と飲もうぜ?」
リーダー格の男が、品定めするようにサリーの肩に手を伸ばそうとする。
その瞬間、ライザの右手が剣の柄に添えられ、サリーの周囲からは楽しい雰囲気が消え、空気がピリリと張り詰めた。二人が今にもキレそうなのが、タロウには痛いほど伝わってくる。
(うわ~、典型的な面倒くさいのに絡まれたなぁ……。せっかく静かに始めたかったのに、ここで目立つのはまずい……どうしようかなぁ)
タロウが内心で頭を抱え、穏便に済ませる言葉を探した、その時。
凛とした、涼やかな声がギルドの喧騒を貫いた。
「そこの方々、少しよろしいでしょうか? そちらの女性たちが、ひどく困っているように見えますが」
声のした方を見ると、一人の美しいエルフの女性が立っていた。しなやかな体に馴染んだ軽鎧をまとい、背には白銀に輝く槍を携えている。長く尖った耳と、翡翠のような瞳が印象的だった。
絡んできた男が、不快げに振り返る。
「あぁん!? なんだてめぇは!? エルフがでしゃばってんじゃねぇよ!」
「ここは公共の場。無用な争いは避けるべきです。どうか、お引き取り願えないでしょうか」
ヒブネと名乗るエルフは、静かに、だが有無を言わさぬ迫力で告げた。
「うるせぇ! 気取ったエルフが! やっちまえ!」
男の号令で、仲間たちが一斉にヒブネへと飛びかかった。
次の瞬間、ギルドにいた者たちは息を呑んだ。
ヒブネは一歩も動かず、ただ槍の石突きで床を軽く打った。その音を合図にするかのように、彼女の槍が残像を描く。それは攻撃ではなく、舞踊のような流麗な「槍さばき」だった。
男たちの腕、足、腹。急所を的確に突かれた彼らは、悲鳴を上げる間もなく面白いように吹き飛ばされ、床に転がった。誰一人、傷つけられてはいない。ただ、完璧に無力化されていただけだ。
「ひぃっ……!」
あっけなく仲間を無力化されたリーダー格の男は、恐怖に顔を引きつらせ、這うようにして逃げ出していった。
「ふぅ……全く。お騒がせしました」
ヒブネは流れるような仕草で槍を背に戻すと、三人に向き直った。
「大丈夫でしたか?」
「は、はい! ありがとうございます! すごい槍さばきでした!」
タロウは感嘆の声を上げ、慌てて頭を下げた。
「僕はタロウです。こっちは家内のサリーとライザです。助かりました」
「私はヒブネと申します。お気になさらず」
ヒブネは穏やかに微笑んだ。
「いや、本当に助かりました。良かったら、そのお礼に一杯どうですか? 酒を交わしながら、あなたのその素晴らしい槍の話を聞かせていただけませんか?」
タロウからの申し出に、ヒブネは少し目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「えぇ、是非。私も、あなた方のような興味深い方々とお話ししてみたかったところです」
こうして、タロウたちはサバラー大陸で最初の仲間(?)、槍使いのヒブネと出会った。
ギルドに併設されたレストランで、この大陸の珍しい料理と酒を囲みながら、彼らはすぐに意気投合していった。ヒブネの理知的な物腰と卓越した武技、そしてタロウたちの(隠してはいるが滲み出る)ただ者ではない雰囲気は、互いに強い興味を抱かせるのに十分だった。
砂塵の舞う新たな大陸で、運命の歯車がまた一つ、静かに、そして確かに回り始めていた。
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