潮風と灼熱のコート、君といた夏
舞夢宜人
第1話 灼熱の出会いと、古傷の疼き
じりじりと音を立てて肌が焼けるような陽射しが容赦なく照りつけていた。
夏休みが始まったばかりの八月一日。どこまでも青い空とその青を反射してきらきらと輝く海。白い砂浜には色とりどりのパラソルが咲き乱れ、若者たちの楽しそうな歓声が潮騒と混じり合って絶え間なく降り注ぐ。
そんな日本の夏を煮詰めたような景色の中で、相葉海斗は心ここにあらずといった様子で立ち尽くしていた。
今日から夏休みが終わるまでここがお前の職場だ――。
目の前には白木を基調としたお洒落なカフェのような海の家がある。壁には手書きの看板で『UMI no IE Kamome』と描かれていた。店内に設置されたスピーカーからは軽快なアップテンポの洋楽が流れ、これから始まる非日常的な時間に期待よりも不安が大きく膨らんでいた。
「よし海斗!とりあえずかき氷の作り方から教える!夏の海の家と言やあ、まずかき氷と焼きそばだからな!」
店長に威勢よく背中を叩かれ、海斗は厨房へと足を踏み入れた。
アルバイト初日は惨憺たるものだった。
「あの、すみません。イチゴミルクを頼んだんですけど、これメロンの味しかしません」
小学生くらいの男の子が不満げにプラスチックのカップを突き出してくる。海斗は自分の額からじわりと冷や汗が噴き出すのを感じた。やってしまった。これで今日三度目のミスだ。
「も、申し訳ありません!すぐに作り直します!」
慌てて頭を下げ、新しいカップを手に取る。しかし焦れば焦るほど手元は狂っていく。かき氷機のハンドルを握る手は震え、氷の塊がガリガリと不協和音を立てた。シロップのボトルが汗で滑って手から落ちそうになる。
「おい、兄ちゃん、まだかよ!」
男の子の後ろにいた父親らしき男性が、苛立ちを隠せない声で言った。その声が引き金だった。海斗の頭の中で過去の記憶がフラッシュバックする。
――大事な試合の最終セット。デュースの続く息の詰まるような局面。セッターである自分にチームの勝敗が懸かっていた。エースにトスを上げろ。仲間たちや監督、そして観客たちの視線がプレッシャーとなって背中に突き刺さる。そして震える指先から放たれたトスは、無情にも相手のブロックに叩き落とされた……。
「……っ!」
あの時の絶望が息を詰まらせる。そうだ、俺はいつもこうだ。肝心なところでいつもプレッシャーに負けて失敗する。
思考が停止して身体が固まってしまった海斗の耳に、凛とした涼やかな声が届いた。
「大変申し訳ございません。ご注文のイチゴミルクでございますね」
いつの間にか隣に立っていたのは、同じアルバイトの制服である店のロゴ入りTシャツを着た一人の少女だった。
長い黒髪を高い位置でポニーテールにし、モデルのようにすらりとした手足。強い意志を感じさせる涼しげな目元。彼女は海斗からかき氷のカップを無言で受け取ると、流れるような一切無駄のない動きで新しい氷を削り、美しいグラデーションになるように丁寧にシロップをかけていく。
「お待たせいたしました。こちら、サービスで練乳を多めにしておきましたので。よろしければどうぞ」
完璧な笑顔と共に差し出されたかき氷に、さっきまで不満を漏らしていた男の子の顔がぱあっと明るくなる。父親もその見事な対応に何も言えずに財布を取り出した。
彼女は星野美咲。同じ高校の、しかし一度も話したことのないクラスメイトだった。
「助かった……ありがとう、星野さん」
彼女が厨房に戻ってきたタイミングで海斗はかろうじて礼を言った。美咲はそんな彼を一瞥すると、興味なさそうに「別に」とだけ答えた。
そこへ人の良さそうな店長がやってくる。
「おー、星野サンキューな!さすが元女子バレー部のエースは度胸が違うな!相葉も同じ高校のバレー部だったんだろ?良いコンビじゃねえか!」
店長の悪気のない言葉に、場の空気が凍った。
海斗は息をのむ。そうだ、彼女はあの星野美咲。一年生の時から天才スパイカーとして名を馳せ、全国大会まであと一歩というところまでチームを導いた絶対的なエース。
一方の自分は強豪校の、控えの、さらに言えばただの二番手セッターだ。
美咲は店長の言葉を聞くと、それまで浮かべていた営業用の笑みをすっと消し、氷のように冷たい声ではっきりと言った。
「私はもう、やってないので」
その言葉は、バレーボールという二人の唯一の共通点を、彼女自身の手で乱暴に断ち切るかのようだった。
灼熱の海の家。その片隅で、海斗の不完全燃焼の夏が新たな古傷の疼きと共に静かに幕を開けた。
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