ダンジョンが魔王の罠だと知っている俺、どれだけ臆病者扱いされようが決して攻略には参加しない
赤いシャボン玉
1日目
終電は、もうない。
ため息と共にタクシーで自宅へ戻ると、部屋はいつも通りの無音で迎えてくれた。机の上のVRゴーグルに手を伸ばす。指先は震えていた。疲労ではない。
期待だ。
あと一戦。あと一つ、最奥の条件を満たせば――。
『――SYSTEM:True Ending 条件達成。最終データを保存しますか?』
「もちろん」
視界いっぱいに広がった塔が崩れ、黒い空に金の光が走る。長い長い攻略の果てに、ようやく辿り着いた「真エンディング」。
達成感は、波のように静かに押し寄せ、やがて身体の隅々に広がっていく。
「これで――寝られる」
そう呟いて、ゴーグルを外そうとした瞬間、胸の奥で何かが小さく爆ぜた。
呼吸が思うようにできない。体が動かない。クラクラして、視界がぼやける。周囲の音が徐々に遠ざかっていく。
足の力が抜け、衝撃と共にやってきたのは冷たい床の感触。
最後に思ったのは、こんな馬鹿みたいなことだった。
(あのバッドエンド、あれ、どういう条件だったっけ……)
心臓が止まった。
◇
硬い石畳。鼻をくすぐる香草の匂い。喧噪。
瞼を開けると、見知らぬ街路が目に飛び込んできた。石造りの建物、色とりどりの幟、鎧を着た人間が行き交う――それは、よく知っている景色だった。
(……嘘だろ)
反射的に悠真は顔の辺りに手をやった。
そこにVRゴーグルは存在しない。
(まさか、転生したのか……!?)
彼は上体を起こし、手首を見た。
そこには青いウィンドウが薄く重なっている。
――――――――――
【Status】
Name:サエキ・ユウマ
Class:???(解析不可)
HP:100/100 MP:34/34
Skill:〈危険予測(Passive)〉〈戦術最適化(Active)〉
Notice:真エンディング閲覧者特典を確認しました。
――――――――――
「ゲーム……その、まんま」
けれど、奇妙なほどに現実感がある。
人の気配。遠くで鳴る鐘。吹き抜ける風。
この感覚は、明らかに夢などではなかった。
そして、背後から聞こえてくる男の声。
「おい、ユーマ。どうした?」
振り向けば、陽光を背に受けた青年が立っていた。金髪、蒼いマント、まぶしいほど整った顔。すぐに分かった。この国の勇者、カイル・グレンフィールド。
横には、緋のドレスを翻す女がいた。白磁のような肌、冷ややかな眼差し。リディア・ヴァルシュタイン。公爵家の令嬢で、主人公――つまり悠真の婚約者だ。
彼らの後ろでは、ギルドの面々がこちらを値踏みしている。
「あれがご令嬢の婚約者か……」「やけにやつれてるな」「バカ、聞こえるだろ。それに見た目はどうあれ、実力は確かなはずだ」
悠真はまじまじと周囲を見渡した。
「状況がまだ――」
「詳しい説明は後だ。リディア嬢から君が優秀だって話は聞いてる。まずは腕試しだな」
カイルが笑った。爽やかな、だがどこか人を見下ろす笑みだ。勇者としてのプライドだろう。
「最寄りのダンジョンが開いた。君は俺の指示に従って、共に戦ってくれ」
ダンジョン。喉奥が冷える。
そして、すぐに気付く。
――ここはあのゲームの世界だ。
――つまり、ダンジョンは全部、魔王の罠だ。
視界に淡い文字が浮かぶ。
――――――――――
【Memory Sync】
あなたは「真エンディング」達成者です。
本世界のダンジョンは、魔王の復活エネルギーを収穫する〈装置〉です。
参加者は、例外なく生贄対象。
――――――――――
息を吞む間もなく、カイルが言った。
「行くぞ」
「……悪い」
悠真は短く言った。
「俺は行かない」
「は?」
その瞬間、空気が凍りついた。
ギルド員の数人はポカンと口を開け、リディアは唇をゆっくりと吊り上げる。
「は? ユーマ、さっきまで乗り気だったじゃない。まさか私の婚約者ともあろう男が、実戦を前に怖気付いてるんじゃないでしょうね?」
彼女は顔を悠真の耳元に近づけ、冷ややかに囁いた。
「勇者の足を引っ張る気?」
「違う。行けば死ぬから行かない」
悠真はリディアを見つめて、はっきりと告げた。
「ダンジョンは罠だ。対処できない」
頑なな拒否に、数人が笑い、数人が顔をしかめる。
カイルが不機嫌に片眉を上げた。
「罠だって証拠は?」
「ない。けど、俺は知ってる」
「ははっ、根拠なしかよ。いい加減にしろよ。リディア嬢の顔に泥を塗るつもりか? 黙って俺に従え」
鋭い声が石畳に響いた。
「腰抜けの忠告なんて誰が聞くかよ」
カイルは聞く耳を持たない。
だが、これは予想通りだ。前世でプレイしたゲームで、彼の性格は知り尽くしている。
悠真は息を整え、淡々と続けた。
「忠告はした。入るな。入れば、全員、死ぬ」
しばしの沈黙。
リディアが、薄く笑った。
「……ユーマ、ガッカリだわ。ねえ、カイル。こんな人、必要?」
「――いらないな」
カイルは小馬鹿にするような口調で即答し、眩い陽光の中へ歩み去る。ギルド員たちも続いた。
残ったのは、悠真とリディア。
勇者達の姿が見えなくなると、リディアは舌打ちをして悠真の元を離れていった。
風が吹き抜け、掲示板の端がばさりと鳴った。
悠真は深く息を吐く。
(始まった)
胸ポケットの内側で、見慣れた薄青い文字が灯る。
――――――――――
【Quest Log】
Main:儀式を阻止せよ(未開放)
Sub:警告を発した(達成)
Reward:何も起こらない
――――――――――
「……だよな」
悠真は、日陰へ歩き出した。生き延びる準備を、今から始める。
◇
日が落ちて、夜風が湿り気を帯びる。
酒場の隅でスープを啜っていると、ギルドの若者が血相を変えて飛び込んできた。
「た、大変だ! 勇者様御一行と連絡が途絶えた!」
喧噪が止む。椅子の軋む音だけが広がる。
悠真はスプーンを置き、目を閉じた。
(死んだか)
誰かが泣き、誰かが怒鳴り、誰かが「臆病者の婚約者のせいだ」と罵った。
悠真は席を立ち、勘定を置いた。彼の横を、怒りと嘆きが通り過ぎていく。
店を出る前、彼は振り返らないまま、短くだけ告げた。
「俺の忠告を聞かない誰かが、明日も死ぬ」
扉が閉じ、夜の冷気が頬を撫でた。
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