ダンジョンが魔王の罠だと知っている俺、どれだけ臆病者扱いされようが決して攻略には参加しない

赤いシャボン玉

1日目

 終電は、もうない。


 佐伯悠真さえきゆうまは蛍光灯の白さに縛られたフロアで、最後のメールを送信してからパソコンを落とした。ディスプレイに映る自分の顔は、青白く、少し笑っている。やり切ったときだけ、笑える――そう思い込むことにしていた。


 ため息と共にタクシーで自宅へ戻ると、部屋はいつも通りの無音で迎えてくれた。机の上のVRゴーグルに手を伸ばす。指先は震えていた。疲労ではない。

 期待だ。

 あと一戦。あと一つ、最奥の条件を満たせば――。


『――SYSTEM:True Ending 条件達成。最終データを保存しますか?』

「もちろん」


 視界いっぱいに広がった塔が崩れ、黒い空に金の光が走る。長い長い攻略の果てに、ようやく辿り着いた「真エンディング」。

 達成感は、波のように静かに押し寄せ、やがて身体の隅々に広がっていく。


「これで――寝られる」


 そう呟いて、ゴーグルを外そうとした瞬間、胸の奥で何かが小さく爆ぜた。

 呼吸が思うようにできない。体が動かない。クラクラして、視界がぼやける。周囲の音が徐々に遠ざかっていく。

 足の力が抜け、衝撃と共にやってきたのは冷たい床の感触。


 最後に思ったのは、こんな馬鹿みたいなことだった。


(あのバッドエンド、あれ、どういう条件だったっけ……)


 心臓が止まった。


     ◇


 硬い石畳。鼻をくすぐる香草の匂い。喧噪。

 瞼を開けると、見知らぬ街路が目に飛び込んできた。石造りの建物、色とりどりの幟、鎧を着た人間が行き交う――それは、よく知っている景色だった。


(……嘘だろ)


 反射的に悠真は顔の辺りに手をやった。

 そこにVRゴーグルは存在しない。


(まさか、転生したのか……!?)


 彼は上体を起こし、手首を見た。

 そこには青いウィンドウが薄く重なっている。


――――――――――

【Status】

Name:サエキ・ユウマ

Class:???(解析不可)

HP:100/100 MP:34/34

Skill:〈危険予測(Passive)〉〈戦術最適化(Active)〉

Notice:真エンディング閲覧者特典を確認しました。

――――――――――


「ゲーム……その、まんま」


 けれど、奇妙なほどに現実感がある。

 人の気配。遠くで鳴る鐘。吹き抜ける風。

 この感覚は、明らかに夢などではなかった。


 そして、背後から聞こえてくる男の声。


「おい、ユーマ。どうした?」


 振り向けば、陽光を背に受けた青年が立っていた。金髪、蒼いマント、まぶしいほど整った顔。すぐに分かった。この国の勇者、カイル・グレンフィールド。

 横には、緋のドレスを翻す女がいた。白磁のような肌、冷ややかな眼差し。リディア・ヴァルシュタイン。公爵家の令嬢で、主人公――つまり悠真の婚約者だ。


 彼らの後ろでは、ギルドの面々がこちらを値踏みしている。


「あれがご令嬢の婚約者か……」「やけにやつれてるな」「バカ、聞こえるだろ。それに見た目はどうあれ、実力は確かなはずだ」


 悠真はまじまじと周囲を見渡した。


「状況がまだ――」

「詳しい説明は後だ。リディア嬢から君が優秀だって話は聞いてる。まずは腕試しだな」


 カイルが笑った。爽やかな、だがどこか人を見下ろす笑みだ。勇者としてのプライドだろう。


「最寄りのダンジョンが開いた。君は俺の指示に従って、共に戦ってくれ」


 ダンジョン。喉奥が冷える。

 そして、すぐに気付く。

 ――ここはあのゲームの世界だ。

 ――つまり、ダンジョンは全部、魔王の罠だ。


 視界に淡い文字が浮かぶ。


――――――――――

【Memory Sync】

あなたは「真エンディング」達成者です。

本世界のダンジョンは、魔王の復活エネルギーを収穫する〈装置〉です。

参加者は、例外なく生贄対象。

――――――――――


 息を吞む間もなく、カイルが言った。


「行くぞ」

「……悪い」


 悠真は短く言った。


「俺は行かない」

「は?」


 その瞬間、空気が凍りついた。

 ギルド員の数人はポカンと口を開け、リディアは唇をゆっくりと吊り上げる。


「は? ユーマ、さっきまで乗り気だったじゃない。まさか私の婚約者ともあろう男が、実戦を前に怖気付いてるんじゃないでしょうね?」


 彼女は顔を悠真の耳元に近づけ、冷ややかに囁いた。


「勇者の足を引っ張る気?」

「違う。行けば死ぬから行かない」


 悠真はリディアを見つめて、はっきりと告げた。


「ダンジョンは罠だ。対処できない」


 頑なな拒否に、数人が笑い、数人が顔をしかめる。

 カイルが不機嫌に片眉を上げた。


「罠だって証拠は?」

「ない。けど、俺は知ってる」

「ははっ、根拠なしかよ。いい加減にしろよ。リディア嬢の顔に泥を塗るつもりか? 黙って俺に従え」


 鋭い声が石畳に響いた。


「腰抜けの忠告なんて誰が聞くかよ」


 カイルは聞く耳を持たない。

 だが、これは予想通りだ。前世でプレイしたゲームで、彼の性格は知り尽くしている。

 悠真は息を整え、淡々と続けた。


「忠告はした。入るな。入れば、全員、死ぬ」


 しばしの沈黙。

 リディアが、薄く笑った。


「……ユーマ、ガッカリだわ。ねえ、カイル。こんな人、必要?」

「――いらないな」


 カイルは小馬鹿にするような口調で即答し、眩い陽光の中へ歩み去る。ギルド員たちも続いた。

 残ったのは、悠真とリディア。


 勇者達の姿が見えなくなると、リディアは舌打ちをして悠真の元を離れていった。


 風が吹き抜け、掲示板の端がばさりと鳴った。

 悠真は深く息を吐く。


(始まった)


 胸ポケットの内側で、見慣れた薄青い文字が灯る。


――――――――――

【Quest Log】

Main:儀式を阻止せよ(未開放)

Sub:警告を発した(達成)

Reward:何も起こらない

――――――――――


「……だよな」


 悠真は、日陰へ歩き出した。生き延びる準備を、今から始める。


     ◇


 日が落ちて、夜風が湿り気を帯びる。

 酒場の隅でスープを啜っていると、ギルドの若者が血相を変えて飛び込んできた。


「た、大変だ! 勇者様御一行と連絡が途絶えた!」


 喧噪が止む。椅子の軋む音だけが広がる。

 悠真はスプーンを置き、目を閉じた。


(死んだか)


 誰かが泣き、誰かが怒鳴り、誰かが「臆病者の婚約者のせいだ」と罵った。

 悠真は席を立ち、勘定を置いた。彼の横を、怒りと嘆きが通り過ぎていく。


 店を出る前、彼は振り返らないまま、短くだけ告げた。


「俺の忠告を聞かない誰かが、明日も死ぬ」


 扉が閉じ、夜の冷気が頬を撫でた。

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