加害者と被害者の結婚式

 気づくと眠りについていた。

 それからどれくらい眠っていたのかはわからない。

 時計を見ると時刻は朝の四時。太陽はまだ昇らない。


 眠る前のことを思い出した。

 彼女を殺す覚悟を決めたこと。

 小説を書くこと以外の全てを失う覚悟。

 それらの決意は張り付けられたラベルのように、僕の人格にしっかりと定着していた。


 熱いシャワーを浴びた。

 夜の間にまとわりついた冷や汗が流れ去る。


 お湯が今まで感じていたしがらみをも流れ落した感覚。

 今からやるべきことを順序良く組み立てる。


 部屋に戻りパソコンの電源をつけ、ワードを起動させる。

 昨日起きた出来事、そして自分の感情を書き連ねる。


 彼女との出会い、いや鞄を忘れたあの日の出来事から、小説を書く覚悟を決めた瞬間まで。

 出来る限り細かく、必要かどうか関係なしに羅列していく。


 どうせ完成するのはまだ先だ。

 彼女が死ななければこの小説は終わらない。



 その日はいつになく早い時間帯に学校へ向かった。

 両親に訝しそうに見られたが、学校に宿題を忘れたと言ったら納得した。


 きっと今も不器用だけど優しい息子だと思ってくれている。

 そのことに罪悪感と同時に面白さを感じてしまっている自分は、もう元には戻れないのだろう。


 自分のクラスに向かうよりも先に、去年過ごした教室へと向かう。

 小説を書くことをあの子に話す為だ。

 せっかく覚悟を決めたのに、気が変わったなんて言われたら目も当てられない。

 早い方がいいだろう。


 とはいえ学年以外、彼女について何も知らない。

 診断書の名前すら、病名と余命の衝撃で記憶から消えていた。


 だから僕にできるのは、誰よりも早く登校し、一年生の顔を片っ端から確認する―――不審者そのものの行動だけだった。

 これが社会人なら即座に通報されていただろう。


 続々と生徒が登校し始める。

 皆僕とすれ違う度、奇異なものを見る視線をこちらに向けてくる。


 自分たちのコミュニティに存在する異物。

 直接声や動作には出さないが、排除したいという気持ちは伝わってくる。

 まだ行動に起こしていないのは、曲りなりにも先輩という肩書があるからだろう。


 それでも生徒の数が増えるにつれ、視線は次第に攻撃的になってくる。

 噂話もわざと聞こえるように言っていると思えるほどだ。


 正直なところ心地の良いものではなかった。

 昨日までならすぐにでも立ち去っていただろう。


 だが今は小説を書く為と思えばこそ、喜んで受け入れていた。

 心境の変化とは恐ろしいものだ。


 そんなことを考えていると目的の人物は現れた。


「……おはようございます」

「おはよう」


 当たり前だが昨日と同じ制服に学校指定の鞄。

 彼女は一緒に歩いていた友人に手を振るとこちらに近づき、ニヤリと笑みを浮かべた。


「こんなに早く決めてくれるとは思いませんでした」

「君がいつまで生きられるかわからないからね」

「それもそうですね」


 っと、嬉しそうに目を細めた。


「こんな場所でする話でもないでしょうから、例の教室に行きましょうか?」

「わかった」


 昨日彼女と出会った教室へと向かう。

 あの教室は人通りも少ない為、後ろめたい話をするには都合が良い。


 教室に着くと彼女は昨日と同じように教卓に腰掛け、片膝をかかえるように座った。


「それで先輩は小説を書いてくれるんですか?」

「こうして会いに来たんだ。答えは判っているだろ?」

「答えの判っている質問をするのが、楽しく会話をするコツですよ?」

「楽しい会話ね…。君が死ぬ小説の打ち合わせなのに?」

「もちろん。楽しみで仕方ないです」


 心底楽しそうに笑みを溢す彼女。

 どうやら彼女の価値観は、小説家になる覚悟を決めても理解できないらしい。


「何より気持ちは口に出してこそだと思うんですよね。

 先輩も恋人が出来たら、ちゃんと愛の言葉は口に出さないといけませんよ。

 女性はその辺、重要なんですから」

「ありがとう。覚えておくよ」


 茶々を入れられたものの言いたいことはわかる。

 僕らの関係は口に出し宣言しなければ成り立たない。


 殺人の加害者と被害者であり共犯者。

 彼女の質問に答えることは、契約書に印を捺すように二人の関係性を証明することだ。


 途中で逃げることは許されない。

 言い訳など意味を持たない。

 気持ちを口に出さなければならない。


「穏やかな時も病で苦しんでいる時も、君を愛さず慰めず、その命が終わる時まで小説を書き続けることをここに誓う」


 結婚式のような口調で、僕は彼女を殺すことを神に誓った。


「……先輩は中々のロマンチストさんですね」

「この方が小説になった時に映えるだろ?イ○スタ映えってやつだよ」

「イ○スタグラムをやっていないことはわかりました」


 はぁっと溜息を吐き、呆れた顔を見せるがどうやらお気に召した様だ。

 彼女は教卓から降りると、そろっと僕の隣に並ぶように立った。

 そして少し大袈裟に手を挙げると口を開く。


「体が動くうちも、病で化け物になり果てたとしても、先輩を愛さず拒まず、先輩の隣で苦しみながらこの命を終えることを誓います」


 神様は僕達の誓い聞き入れてくれただろうか。

 いや、そもそも神様がいるならこんな結末にはならなかったはずだ。

 奇跡も魔法もなく、命の価値は平等ではない。


 彼女と一緒にいてわかったことは、神様は人間に優しくはない。

 皆そうとわかっていても誰しも最後は神様に縋るのだ。

 縋られる神からすれば滑稽なものだろう。


 その後は連絡先の交換し、放課後一緒に出掛ける約束を取り付けた。

 それから一言二言交わしそれぞれの教室に戻った。


 放課後に異性と出かけるなんて昨日までは考えられなかった。


 その日はとても快適に授業を過ごすことが出来た。

 とは言っても捗ったのは勉強ではなく小説づくりの方だったが。


 いつもと違う所はそれが虚像ではなく実在する人間だということ。

 自分の名前と彼女の名前を書き、自分たちの住む街を描写し、そして…彼女の死を想像した。


 彼女がどのように弱り苦しみ息絶えるのか。

 その結末を僕という主人公はどのように感じるのか。


 どうやらこの小説の主人公は、白馬の王子様よりも、毒リンゴを差し出す魔女に近いらしい。


 他愛のないことを考えていると授業は終わっていた。

 しかしノートを閉じることはせずノートに文字を書き連ねる。


 小説を書いていることがバレたとしても、今思い浮かべているアイディアをノートに書き記したかった。


 周りの目を気にせず自分のやりたいことが出来る。

 一日目の変化としては十分な成果だと思う。


 覚悟を決め、人間を辞めたことで僕の人生は輝いた。

 他者から見ればそれは干し草を燃やすような、短期間で燃え尽きる神々しさとは無縁の光かもしれない。


 だけど明かりの無かった世界に光が灯れば、それは希望だと誰しもが形容するだろう。


 それが死者の人魂が放つ光だったとしてもだ。

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